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アイドルとは!  作者: Aramaki_mai
第二章 地下の四人
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第19話 悪くなかった

挿絵(By みてみん)

最初の音に合わせ、四人の足が揃って前へ出た。冷房の効いた袖を離れた途端、肌へまとわりつく空気が変わる。ステージの照明に、午後の日差しと大勢の客がつくる熱まで混じっていた。


ひよりは右腕を上げながら、客席の端を見る。さっきからスマートフォンを見ていた男は、まだ下を向いている。隣の友人がステージへ顔を向けても、親指だけが画面の上を動いていた。


ほんとに見ないんだ。


「まひるー!」


前方から声が飛ぶ。眼鏡の男が青いペンライトを高く上げていた。少し右には黄色い光。何度か来てくれている女性だ。その周りには、何も持っていない人もいれば、別のグループのTシャツを着た人もいる。PRISMIAのタオルを首へ掛けた女性は、ステージを見ながらまだ隣の友人と何か話していた。いつものライブハウスとは、客席の色がまるで違う。誰を見に来たのか分からない客の方が多い。


ひよりはアンの後ろを抜け、次の位置へ入った。


もっと大きく動けば、あの男も気づくかもしれない。一瞬だけ考える。けれど、四人で合わせてきた振付がある。


ひよりは決められた位置まで踏み込み、伸ばした腕を音に合わせて強く止めた。胸元の青いリボンが跳ねる。


次の小節で、ナツが前へ出た。黄色いスカートが大きくひらき、マイクが上がる。声が伸びた。柔らかいのに、広い場所でも埋もれない。離れた別ステージから低い音が風に乗ってきたが、その上をナツの声がまっすぐ抜けていく。ひよりは後ろへ下がりながら、思わずそちらを見た。身体を動かしながらなのに、高い音へ上がっても声が細くならない。


客席で、それまで友人と話していた女性が口を閉じた。腕を組んでいた男が顔を上げる。PRISMIAのタオルを掛けた女性も、ナツを見る。


ひよりは客席の端へ目をやった。スマートフォンの上で動いていた親指が止まっていた。やがて、男の顔が上がる。ほんの数秒だった。それでも確かにステージを見た。


ひよりがさっきから気にしていた相手を振り向かせたのは、自分ではなかった。ナツの歌だった。


当のナツは、その男には気づいていない。別の場所を見ていた。黄色いペンライトの女性が、ナツを見上げていた。周りの客がようやく顔を向ける中、その人の腕はもう高く上がっている。ナツの口元がわずかに緩む。歌は切らさない。大きく手を振ることもしない。ただ一瞬だけ目を合わせて笑った。黄色い光が、もう一度高く上がった。


ひよりまで嬉しくなる。


サビへ入った。


「この声、君まで届け!」


四人の声が重なる。前方の客が一斉に腕を上げた。赤、黄、紫、青。その間には、ペンライトを持っていない手も混じっている。ひよりは身体を返した。ナツの歌で顔を上げた客が、まだステージを見ている。


今度はリオが前へ出た。大きく踏み込み、次の音で止まる。四人の足が同じ拍子に収まった瞬間、客席から声が上がった。


反対側からアンが前へ出る。正面だけではなく、少し離れた客へも笑顔を向ける。さっきまで腕を組んでいた男が、今は口元を緩めていた。


先週とは違う。モールでは、一度こちらを見ても、すぐにみんな自分の行き先へ戻っていった。今日は、一度こちらを向いた顔が残っている。


曲が終わり、拍手が広がった。


「ありがとうございます!」


リオが声を上げる。


「リトルフレアです!」


「知ってるー!」


間髪入れずに返ってきた。タンクトップの男だ。アンが吹き出した。


「声でかっ」


客席にも笑いが起きる。


「褒めてないからね」


「ありがとー!」


「聞いてないし!」


また笑いが広がった。屋外の大きなステージなのに、一瞬だけ客席が近くなる。ナツがマイクを上げた。


「まだいけますかー!」


「おー!」


前方から声が返る。眼鏡の男、タンクトップの男、黄色い女性。いつもの顔が多かった。ナツは客席を見渡した。片手を耳へ当てる。


「え、今ので終わり?」


さっきより大きな声が上がった。ナツが笑う。そのまま次へ行くかと思った。けれど、視線がさらに奥へ動いた。一段高くなった後方には、まだ腕を組んでいる人もいる。


「後ろの方、まだ元気ある?」


一瞬だけ間が空いた。


それから、少しばらばらな「おー!」が返ってきた。


前方ほど大きくない。揃ってもいない。それでも、ひよりが聞いたことのない声がいくつも混じっていた。


ナツの目が丸くなる。すぐに顔いっぱいで笑った。


「あるじゃん!」


今度は前方まで一緒になって声を上げた。歓声がステージへ返ってくる。ひよりの身体がむずむずした。自分も何か言いたくなる。横を見ると、アンも楽しそうに客席を見ていた。リオは笑いながら、もう次の曲の位置へ動いている。ひよりも自分の場所へ戻った。イントロが始まった。


*


二曲目に入る頃には、最初にあった「次のグループを待っているだけ」の空気が薄れていた。


アンが紫の袖を振りながら前へ出る。さっきナツの歌で振り向いた客へも、最初から自分を見ていた相手と同じように笑いかけた。リオのパートでは、赤を持っていない客まで身体を揺らしている。ナツが歌えば、客の視線がまた中央へ集まる。


ひよりの順番が来た。


「まひるー!」


眼鏡の男が上げた青の隣に、知らない女性がいた。目が合うと、女性は少し驚いた顔で自分を指さす。ひよりも頷き、あなた、と伝えるつもりで笑った。女性の顔がぱっと変わった。


次の拍子が来る。ひよりは決められた振付のまま身体を返した。背中側から、小さな歓声が聞こえる。振付を変えなくても返ってきた。それが、なんだか嬉しかった。


四人の位置がまた入れ替わる。揃った瞬間、今度は拍手が起きた。その向こうでは、出演表を見ながら客が行き交っている。別のステージへ向かう人もいれば、こちらへ入ってくる人もいる。それでも今、目の前にいる人たちはリトルフレアを見ていた。


*


「最後の曲です!」


ナツが言う。客席から残念そうな声が上がった。ひよりの胸が跳ねる。もっとやりたい。その気持ちを抱えたまま、位置につく。


「『フライング・ハート』!」


最初の音が鳴った。初めてステージに立った日の曲。あのときは、自分がどこへ立つのかを間違えないだけで精いっぱいだった。客席を見ることすら怖かった。


今は、前へ出た先で誰と目が合うかを楽しみにしていた。眼鏡の男の青を見つけ、その奥へも目をやると、鉢巻の男が曲に合わせて手を叩いている。ペンライトは暗いままでも、腕はもう組んでいなかった。


その周囲の知らない顔まで、同じところで身体を揺らしている。次のサビにはあの人たちも入ってきてくれるだろうか。ひよりは客席を向いたまま、腕を伸ばす拍を待った。


サビで腕を伸ばすと、前から同じ動きが返り、少し遅れてその後ろでも誰かが真似した。ナツの歌に身体を揺らしていた黄色い女性の隣でも、知らない人がサビの手振りを追っている。


ナツも気づいて、一瞬だけ目を大きくした。次の歌詞へ入る頃には、さっきよりもっと楽しそうに笑っている。ひよりも笑い、リオと位置を入れ替えてアンと並んだ。四人の腕が一緒に上がった。


「はい! はい! はい!」


声が返る。前方だけではなかった。少し離れたところからも、今日初めて聞く声が重なった。ひよりは、最後のサビがもう一回来ればいいのにと思った。初舞台でも、もっと客の声を聞いていたかった。今日は、ナツの歌で顔を上げた人たちが、次の曲になっても四人を見ている。リトルフレアを待っていたわけではない人たちまで。次に四人で腕を上げたら、あの人たちは何を返してくれるだろう。もう少し見ていたかった。


最後の音で四人の動きが止まる。一拍遅れて、拍手が押し寄せた。


「リトルフレアー!」


「ナツー!」


「まひるー!」


知らない声も混じっていた。ひよりは息を弾ませながら客席を見る。黄色い女性が両手でペンライトを振っている。その周りでも何人かが拍手していた。客席の端では、さっきまでスマートフォンを見ていた男も、画面を下げたままこちらを見ている。


四人で頭を下げた。


「ありがとうございました!」


*


袖へ戻ると、冷房の風が汗ばんだ腕へ当たった。


「今の、よくなかった?」


ひよりは振り返りながら言った。


「まひる、まだ戻りきってない。そこ空けて」


レイに肩を押される。


「あ、ごめん」


「あと水。先に飲む」


「はい」


壁際へ寄ると、アンも戻ってきた。


「でも普通によかった」


「でしょ?」


「なんでまひるが得意げなの」


「してないよ」


「してる顔」


最後にリオとナツが入ってきた。四人とも汗だくだった。佐伯からペットボトルを受け取り、ひよりは蓋を開けながらナツを見る。


「ナツさん」


「ん?」


「さっきの人、顔上げたよ」


「誰?」


「ずっとスマホ見てた人」


「ああ。まひるが気にしてた人?」


「うん」


ナツがボトルを口へ運びかける。


「ナツさんが歌ったとき」


その手が止まった。


「ほんと?」


「ほんと。最初そこばっかり見てたから」


「そこばっかりは見ないでよ」


「違うって。最初だけ」


ナツが笑った。


「黄色の人は、ナツさんも見えてたでしょ?」


「うん」


「でも、あの人も見た。他にも結構見てたよ」


ナツの目が、黒いカーテンの向こうへ向く。もう客席は見えない。


「……そっか」


ボトルを一口飲んだ。


「じゃあ今日、ちゃんと届いたんだ」


「うん」


アンがタオルで首元を押さえながら口を挟む。


「今日、かなり返ってきてたしね」


「後ろからも聞こえた」


ナツがすぐ答えた。


「あれ、ちょっとびっくりした」


「ナツさん本人がびっくりしてどうするの」


「するでしょ。いつもより全然多かったもん」


リオが水を飲み終え、ボトルを下ろした。


「四人も揃ってたと思う」


ひよりはすぐそちらを見る。


「じゃあ、今日よかったよね」


「うん」


リオは少し考えてから言った。


「悪くなかった」


アンが眉を上げる。


「その言い方だと微妙なんだけど」


「違う。かなりよかったって意味」


「最初からそう言えばいいじゃん」


「じゃあ、かなりよかった」


「急に軽い」


ナツが吹き出した。ひよりも笑う。喉は乾いているし、まだ身体も熱い。それでも、さっきの客席をもう一度見たかった。


「はい、喜ぶのはいいけど通路空けて」


レイが手を叩いた。


「次の人たち来るから」


ひよりの手が止まる。次。PRISMIA。


「見るの?」


アンが聞いた。


「見る」


「即答」


「だってリオが、見れば分かるって」


リオも近くへ来る。


「言ったけど」


「じゃあ見る」


「そんな宣言しなくていいから」


ナツも隣からカーテンの向こうを覗いた。アンまで結局、その横へ入る。


空はまだ明るい。ただ、午前中の白い光はもうなく、昼には目立たなかったステージ照明が少しずつ色を持ち始めていた。客席も動いている。別のステージから来たらしい人たちが横から入り、空いていた場所へ詰めていく。


「増えてない?」


「PRISMIAだけ見る人もいるから」


アンが答える。


「今来たの?」


「フェスなんだから、そういう人もいるでしょ」


「ああ……そっか」


見慣れた顔は、まだ客席に残っている。青や黄色の光も見え、ひよりはさっき自分たちへ返ってきた拍手を思い出した。あの人たちは、次の三人をどんなふうに見るのだろう。


PRISMIAのタオルを掛けた女性は、もうそれを首から外し、両手で持って待っていた。


客席の端では、あのスマートフォンの男もまだいる。ただし、もう画面は見ていなかった。男はスマートフォンをポケットへ入れた。司会者がステージへ出る。まだ名前も呼ばれていないのに、客席のあちこちから声が飛んだ。


「レナー!」


「ユイー!」


「ミアー!」


ひよりの指が、ペットボトルのラベルへ食い込む。


司会者がマイクを上げた。


「続いては――」


一瞬だけ間を置く。


「PRISMIA!」


歓声が膨らんだ。ひよりの肩が反射的に引ける。前方だけではない。少し離れた後方からも、いくつもの声が重なってくる。さっきまでリトルフレアのC&Rに声を返していた人たちも、最初から笑っている。スマートフォンを見ていた男まで、両手を上げて叫んでいた。


三人がステージへ出る。歓声が、さらに大きくなる。ひよりは隣を見る。ナツはペットボトルを口元へ運びかけたまま、客席を見ていた。ひよりは何か言おうとしたが、すぐには声が出なかった。


まだ、三人は踊ってもいない。


ついさっきまで自分たちへ返ってきていた声が、今は袖のひよりを置いて、ステージの奥まで押し寄せていく。同じ客席のはずなのに、急にずっと遠くなったように見えた。


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