第18話 見れば分かる
翌週の土曜日。東京テレポート駅を出た瞬間、ひよりは顔をしかめた。
「暑……」
まだ午前中なのに、日差しが肌へ刺さる。駅前のアスファルトまで白く光って見えた。
その暑さの中を、同じ方向へ歩いていく人が何人もいる。首にタオルを掛けた人。派手なTシャツを着た人。透明なバッグいっぱいに缶バッジを付けた女の子。鞄から何本もペンライトを覗かせている人。ひよりは歩きながら、何度も横を見た。
「この人たちも、フェスかな」
アンはスマートフォンを見たまま「たぶん」と答えた。ひよりが派手なTシャツの背中を追って角を曲がりかけると、腕を掴まれる。
「そっちじゃない」
「え、だってあの人」
「あの人は知らない。うちらはこっち」
レイたちは真っすぐ歩いていた。ひよりはアンに引き戻され、レイたちに追いつこうと足を速めた。
前を歩いていたレイが振り返った。
「はい、そこ! 歩く! 今日は移動もあるんだから、朝から迷子にならない!」
「迷子にはならないですよ」
「誰が一番危なそうか言ってみなさい」
ひよりは黙った。隣でナツが、冷えたペットボトルを首筋へ押し当てている。
「生き返る……」
「ナツさん、それ飲むやつでしょ」
「あとで飲むよ。今は首」
「ぬるくなるよ」
「その前に飲むから」
リオだけは会話に入らず、歩きながら出演表を見ていた。ひよりは横から画面を覗き込む。
「PRISMIA、何時だっけ」
「私たちの次」
「近っ」
「先週も言ったでしょ」
「覚えてるよ。確認」
リオが一度だけこちらを見る。
「ほんとに?」
「ほんと」
先週、ショッピングモールから帰る前。出演者一覧の中にPRISMIAの名前を見つけた瞬間、リオもナツもアンも反応した。ひよりだけが、よく分からなかった。
『そんなにすごいの?』
そう聞いたとき、リオは少し考えてから言った。
『見れば分かるよ』
結局、ひよりは今日までライブ映像をまともに見ていない。見れば分かると言われたのだから、見ればいい。それくらいに思っていた。
*
お台場のフェス会場へ着いてから、人はさらに増えた。遠くから別のステージの音が聞こえる。曲が終わるたび、どこかで歓声が上がる。出演表を見ながら早足で移動する人もいれば、友人同士で「次どっち?」と相談している人もいた。
リトルフレアの出演するステージへ近づくと、人の流れが一つの方向へ集まり始めた。ひよりは足を緩めた。前のグループを目当てに来たらしい色のペンライトが、ステージの前だけでなく、その後ろでも何本も揺れている。
買い物袋を持って横切る人はいない。誰も別の店へ向かって背中を見せていかない。
「今日、すごくない?」
関係者用の通路へ入ってからも、ひよりは振り返っていた。
「何が?」
アンはスマートフォンの画面を鏡代わりにして、前髪を直している。
「客。みんなライブ見に来てる」
「ああ」
「反応薄くない?」
「だって、PRISMIA待ち多いと思うし」
「え」
ひよりはもう一度外を覗いた。言われてみれば、同じ文字の入ったタオルを肩に掛けている人が何人もいる。三人の写真を鞄に付けた女性もいた。PRISMIA。
「でも、私たちも見るでしょ」
「まあ、見る人は見るんじゃない?」
「じゃあいいじゃん」
「何が?」
「見てもらえる」
アンの手が止まった。画面越しに、少し呆れた顔を向けてくる。
「まひる、先週から基準下がってない?」
「変わったんだよ」
「認めるんだ」
「だって先週、ほんとにみんな歩いていったもん」
真似して踊ってくれたあの子も、手を振ったあとには母親と行ってしまった。今日は、腕を伸ばしている間に相手がいなくなる心配をしなくていいかもしれない。ひよりは通路から見える客席を、もう一度覗いた。
今のグループを見ながら、次の出番を待っている人たちがいる。その目に自分たちも入れると思うだけで、楽屋へ向かう足が弾んだ。
「まだ、うちらを見に来たわけじゃないけどね」
「終わったあとに、名前くらい覚えてもらうよ」
ひよりは胸元の青いリボンを直した。アンがスマートフォンを下ろし、初めてまともにこちらを見た。
「……あたしも覚えてもらうから」
「うん。四人いるし」
控室の入口でアンが先にドアへ手をかけたので、ひよりはその横をすり抜けた。そのまま控室へ入ると、今度は冷房が強かった。
「寒っ」
ナツが腕をさする。
「さっき暑いって言ってたじゃん」
「暑いのと冷房寒いのは別なの」
「わがまま」
「アンだって、さっきから前髪しか見てないじゃん」
「外歩いたら崩れるでしょ」
アンは日焼け止めを塗り直しながら言った。
ひよりは胸元の青いリボンを直し、また入口の方を見る。外へ出れば暑いのに、控室は寒い。人は多く、どこにいても別のステージの音が聞こえる。いつもの週末とは何もかも違う。なのに、不思議と怖くはなかった。早く、自分たちの出番になればいいと思った。
*
「四人とも、ちょっと来て!」
レイが入口から手招きした。
「何?」
リオが真っ先に立ち上がる。
「挨拶。PRISMIAさん来たから」
その瞬間だけ、リオの足が止まった。ほんの一瞬だった。でも、隣にいたひよりには見えた。
「緊張してる?」
「してない」
「返事早っ」
「まひる、今それ言う?」
後ろでナツが笑いをこらえる。アンは普通に笑った。
「分かりやす」
「アンまで言わないで」
「はいはい、遊んでない! 先方待たせない!」
レイに追い立てられ、四人で通路へ出た。少し先に佐伯がいる。外部の人間がいるからか、口調もいつもとは違った。
向こうから女性三人と、スタッフらしい男性が歩いてきた。桐谷レナ、白石ユイ、神崎ミア。写真で見たPRISMIAの顔を見つけ、ひよりも無意識に背筋を伸ばした。
写真ではいつも中央にいるレナも、今は他の二人と並んで普通に歩いている。ミアの話にユイが笑っていたが、こちらに気づくと三人の会話が止まった。
「FRAME WORKSの佐伯です。本日はよろしくお願いします」
「セレノアの者です。こちらこそ、よろしくお願いします」
スタッフ同士の挨拶が済むと、ミアが先に一歩出た。
「PRISMIAの神崎ミアです。今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
リオが答えた。少しだけ声が固い。ひよりも慌てて頭を下げる。
レナも笑って、
「よろしくお願いします」
と続いた。ユイも同じように頭を下げる。誰も偉そうではない。地下で活動しているリトルフレアを珍しそうに見るわけでもなかった。
「リトルフレアさん、このあとですよね?」
ミアが聞いた。
「はい」
「私たち、その次なので。袖で見られたら見ますね」
「ありがとうございます」
リオの返事が、また少しだけ速かった。ひよりが横を見る。すぐに気づかれた。
「何?」
「別に」
「その顔やめて」
「何もしてないけど」
短い挨拶を終えると、PRISMIAの三人はスタッフと一緒に奥へ歩いていった。途中でレナがスタッフを呼び止めて何か確認する。ユイも画面を覗き込む。ミアは一度だけこちらを振り返り、軽く手を振った。
アンが振り返す。三人が角の向こうへ消えた。ひよりは息を吐いた。
「普通だった」
「何が?」
ナツが聞く。
「PRISMIA」
「何だと思ってたの?」
「もっと、なんか……メジャーって感じなのかと」
アンが口を挟む。
「歩き方から違うとか?」
「そこまでは言ってないよ」
「じゃあ光ってるとか」
「それはちょっと思った」
「思ってたんじゃん」
ナツが吹き出した。ひよりも笑った。
リオだけは、笑わなかった。PRISMIAが消えた通路を見ている。
「ステージ見たら分かるよ」
また同じ言葉だった。
「そんなに違う?」
「違う」
今度は、間がなかった。それ以上は何も言わない。ひよりも聞かなかった。
*
出番十五分前。四人はステージ袖へ移動した。外へ近づくにつれて、冷房の冷たさより人の熱が勝ってくる。前のグループが歌っていた。ひよりは袖の隙間から客席を覗く。
「あ」
青い光を一本見つけた。眼鏡の男。少し後ろにはタンクトップの男もいる。まだリトルフレアの出番ではないのに、前のグループへ大きな拍手を送っていた。
鉢巻の男もいた。今日もペンライトに色はついていない。それでも来ている。
「黄色の人もいる」
ひよりが声を落とすと、ナツがすぐ隣へ来た。
「どこ?」
「あそこ。ちょっと右」
「あ、ほんとだ」
あの女性は、今日も黄色を持っていた。周りの客が別の色を振る中で、その一本だけでも見つけられたのが嬉しかった。
「また来てくれたね」
ナツが笑う。
ナツの視線を追うと、ひよりにも見慣れた顔がいくつか続いた。その間を埋める知らない人たちまで、今日は自分の声が届く場所にいる。
PRISMIAのタオルを肩へ掛け、友人と話している人もいた。その近くの男はスマートフォンに目を落としたまま、一度もステージを見ていない。ひよりはしばらく待ってみたが、顔は上がらなかった。
「PRISMIA、やっぱ多いね」
アンが言った。
「うん」
ナツも同じ方を見る。リオは黙ったまま、客席を見ている。ひよりは、スマートフォンの男が気になった。
「やだな」
「何が?」
「あの人、ずっとスマホ見てる」
アンが男の方を見る。
「まだうちら出てないじゃん」
「出ても見なかったら?」
「知らないよ」
「冷たっ」
「じゃあどうすんの。本人に『見てください』って言いに行く?」
「それは嫌」
「でしょ」
ひよりはまた男を見る。隣の友人に画面を見せながら、何か話している。前のグループがサビへ入っても、顔は上がらなかった。
先週のモールなら、このまま歩いていなくなったかもしれない。でも今日は、ここにいる。ひよりは少し考えた。
「じゃあ」
「何?」
「こっち向かせればいいのか」
アンが眉を上げた。
「言うのは簡単だけど」
「どうやるの?」
「なんであたしに聞くの」
「アン、そういうの得意そうじゃん」
「雑すぎるでしょ」
横から、リオが小さく笑った。
「でも、それしかないんじゃない」
ひよりが見る。リオは客席へ顔を向けたままだった。
「目当てが誰でもいいよ。出たら、こっち見てもらおう」
「できるかな」
ナツが言う。
リオが一度、四人を見る。
「やるしかないでしょ」
「リオが一番緊張してるくせに」
「してないって!」
今度は声が大きかった。アンが吹き出す。ナツまで肩を揺らす。ひよりも笑った。
胸の鼓動は、まだ少し速かった。それでも、笑ったあとは、さっきより舞台へ近づきたくなった。
「リトルフレアさん、スタンバイお願いします!」
「はい!」
四人の返事が重なった。
前のグループが最後の挨拶をすると、大きな拍手が起こった。戻ってくる出演者と入れ替わりにリオが先頭へ立ち、ナツ、アンが続く。ひよりも後を追った。
袖の向こうから、むっとした熱気が流れ込んでくる。客席の話し声が近づき、司会者がマイクを上げた。
「続いては――リトルフレア!」
「リトルフレアー!」
誰より早く飛んできた大声に、ひよりは笑った。タンクトップの男だ。四人でステージへ出る。
「リオー!」
「ナツー!」
「アンー!」
「まひるー!」
知っている声が順番に飛んでくる。眼鏡の男が青を高く上げ、黄色の女性もナツへペンライトを振っていた。その周りで話していた人たちまで顔を上げる。PRISMIAのタオルを掛けた女性も、会話を止めてこちらを見た。
知らない顔がいくつもこちらへ向く中で、ひよりは客席の端を探した。あの男だけは、まだスマートフォンを見ていた。
最初の音が鳴る。ひよりは自分の位置から一歩踏み出した。決められた振付のまま。ただ、顔だけは――まだ下を向いている男の方へ向けた。
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関東の夏は、アイドルの大型フェスシーズン!
夏の関東では、数多くのアイドルが集まる大型フェスが開催されます。
普段はライブハウスを中心に活動しているグループだけでなく、メジャーデビューした人気アイドルや、全国から集まる注目グループ、新人アイドルまでが同じイベントに出演する、アイドル界の大きなお祭りです。
一日にいくつものステージが組まれ、目当ての「推し」を見に行くのはもちろん、知らなかったアイドルと偶然出会えるのも夏フェスの魅力。ライブだけでなく、物販や特典会などを楽しめるイベントもあります。TOKYO IDOL FESTIVAL(略称:TIF)でもライブに加えて物販・特典会エリアが設けられています。
地下や小さなライブハウスから活動を始めたアイドルにとっては、「いつか立ちたい大きな舞台」の一つになることもあります。
※イラストは2026年に開催された夏フェスについてまとめたものです。
※作者個人が公開情報をもとにまとめた紹介です。各施設の監修・公認を受けたものではありません。イラストはイメージで、実際の施設や景観とは異なります。イベントは常時開催ではありませんので、開催日や観覧・参加条件等は各イベントの公式案内をご確認ください。




