第17話 人はいる
翌週の土曜日。武蔵村山の大型ショッピングモールの一階、吹き抜けになったイベントスペースを見て、ひよりは思わず足を止めた。
「すご……」
ステージのすぐ後ろを、絶え間なく人が行き交っている。買い物袋をいくつも提げた家族。制服姿の学生。ベビーカーを押す夫婦。飲み物を片手に歩くカップル。その上ではエスカレーターが動き続け、二階の手すり際にも人影があった。館内放送に、店から流れてくる音楽まで重なっている。
外は蒸していたのに、館内の冷房は強かった。汗の乾きかけた腕が少し冷え、ひよりは衣装の肩を指でさすってから、また通路へ目を戻した。
いつものライブハウスなら、開演前の客席を見れば、だいたい何人いるか分かった。今日は数えようとも思わない。
「やっぱ、めっちゃいるじゃん!」
振り返ると、紫の衣装を整えていたアンが顔を上げた。
「だから、人はいるって言ったでしょ」
「この人数なら、さすがに何人か止まるって」
「どうだろ」
「またそれ!」
アンが笑った。
「二人とも、準備!」
少し離れたところからレイの声が飛んできた。
「まひる、通る人ずっと見てても客増えないから!」
「数えてたわけじゃないです!」
「だったら早く靴確認して!」
「してます!」
「アンも笑ってない!」
「何であたしまで!」
レイは二人を急かしたあと、会場スタッフに呼ばれてすぐ別の方向へ走っていった。
ひよりは足元を確かめながら、もう一度だけ通路を見る。
これだけいれば、何人かは見てくれる。
先週は、前より客席の声が大きかった。一度リトルフレアを見ただけだった女性が、今度は黄色いペンライトを持って、ナツを見るために戻ってきた。あの人だって、最初は別のグループを見るためにライブハウスへ来ていた。だったら今日も、この中の誰かがそうなるかもしれない。
「まひる」
リオに呼ばれ、ひよりは顔を戻した。
「そろそろ行くよ」
「うん」
赤、黄、紫、青の四人で舞台袖へ移動すると、ステージの前にはすでに見慣れた顔があった。眼鏡の男が青いペンライトを持っている。少し離れたところにはタンクトップの男。鉢巻の男も来ていた。鉢巻の男のペンライトは、今日もまだ光っていない。
「あ、ちゃんといる」
「誰が?」
ナツが聞いた。
「いつもの人たち」
「来てくれたね」
「モールにも来るんだなって」
「そりゃ、うちらを見に来てくれてるんだから」
ナツはそう言って、黄色い飾りを指先で直した。
ひよりは客席へ顔を戻す。その向こうには、まだ何倍もの人が歩いていた。
*
「リトルフレアー!」
四人がステージへ出た途端、聞き慣れた大声が飛んできた。ひよりは笑った。確認するまでもない。タンクトップの男だ。
前奏に合わせて四人で腕を揃え、一歩踏み込む。いつものライブハウスとは床の感触も、頭上の高さも違ったが、身体は迷わなかった。
「リオー!」
「ナツー!」
「アンー!」
「まひるー!」
名前が順番に飛んでくる。ひよりは青を見つけ、その方へ腕を伸ばした。眼鏡の男がすぐに振り返す。眼鏡の男の隣でも、青が一本上がった。そこまでは、いつものライブと変わらなかった。
身体を返したとき、ステージの横を歩いていた若い女性と目が合った。女性の足が少し遅くなり、ひよりは次の位置へ移りながらも、その人を目で追った。ナツの歌が始まっても、まだこちらを見ている。
止まるかもしれない。そう思ったところで、隣を歩いていた友人が何か話しかけた。女性はそちらへ笑って返事をし、そのまま二人で歩いていく。ひよりは正面へ顔を戻した。
次にアンが前へ出ると、通路にいた制服姿の二人組が足を緩めた。一人がスマートフォンを上げる。アンはすぐに気づき、カメラへ少し身体を向けた。歌の邪魔にならない一瞬で、きれいに笑う。
二人組は顔を見合わせ、何か話しながら通路の先へ歩いていった。上げていたスマートフォンも一緒に遠ざかる。アンはもう次の客を見ていて、ひよりも振付へ意識を戻した。
向こうから来た男の子はリオを振り返ったが、すぐに前を歩く父親へ駆けていった。次の人は最初からこちらを見ず、その次の人の目も一瞬で離れる。ひよりは大きく腕をひらいた。
「まひるー!」
青い光が跳ねる。眼鏡の男だ。ひよりはそちらへ笑い返し、次の拍子で反対側へ身体を向けた。そこにも、まだ知らない顔がいくつもあった。
*
二曲目が終わると、ナツがマイクを上げた。
「じゃあ、今日もいくよ! リトルー!」
「フレアー!」
返事は来た。眼鏡の男とタンクトップの男、その少し後ろの何人かが声を返し、鉢巻の男の口も動いている。
先週のライブハウスでは、その声が前より大きくなったと四人で喜んだ。返ってくる声は先週と同じくらいあるのに、吹き抜けの天井へ抜けて、すぐに薄くなった。
ひよりは客席の外側へ目を向けた。通路の人は歩いたままだった。こちらを見ている人もいる。笑っている人もいる。それでも、足は止まらない。二階から覗いていた人も、エスカレーターが動けばそのまま上へ運ばれていく。
「もう一回――」
言いかけて、ひよりは口を閉じた。回数を増やせば、あの人たちまで声を返してくれる気がした。けれど次の曲の前奏が流れ始める。
「まひる、次!」
「あっ」
リオの声で身体を返し、位置へ戻った。先週なら、十分大きいと思えた声だった。今も嬉しい。なのに、そのさらに外側にいる人の多さが、今日は見えてしまった。次の腕を伸ばした向こうでも、人の流れは何も変わらず続いていた。
*
『フライング・ハート』の前奏が流れた。
最初の位置についたひよりの目に、少し離れたところで立ち止まっている小さな女の子が入った。買い物袋を提げた母親らしい女性の隣で、こちらをじっと見ている。
目が合った。女の子の目が少し大きくなる。ひよりは振付に合わせて、右腕を大きく伸ばした。
女の子の腕が上がった。ひよりは一瞬、そちらを見たままになった。
真似している。
次の動きで胸の前から両手をひらくと、女の子も少し遅れて同じ形を作った。肘は下がっていても、ちゃんと同じ方向へ腕が伸びる。ひよりは嬉しくなって、身体を傾ける動きをいつもより少し大きくした。
女の子も真似をした。勢いをつけすぎたのか、隣の母親へ肩がぶつかる。驚いて娘を見る母親の横で、女の子は笑っていた。ひよりも笑った。
もう一度同じ腕の動きが来ると、今度は女の子の方が先に上げようとした。ひよりはその腕が伸びるのを見てから、自分も同じ方向へ伸ばす。女の子がもっと笑うのを見て、ひよりの胸の奥が熱くなった。
知っているファンではない。青いペンライトも持っていないし、自分の名前だって、たぶん知らない。それでも今は、自分を見ている。
「ほら、行くよ」
母親が手を取ると、女の子が振り返った。ひよりの足はもう次の位置へ動いていたが、振付を続けながら、女の子のいた方へ顔を向けた。
歩き始めた女の子が、もう一度こちらを見る。腰の横に下ろした手を小さく振ると、女の子も振り返した。母親は歩調を緩めず、人の流れへ戻っていく。
ひよりも踊りながら笑った。人の間へ入った女の子の顔が、もう一度だけ見えた。次に同じ場所を見たときには、いなかった。
ナツの歌声が横から伸びてくる。ひよりは正面へ顔を戻した。眼鏡の男が青を振っている。その少し後ろを、知らない男性がこちらを見ながら通り過ぎた。ひよりはそちらへも腕を伸ばしたが、男はもう人の流れの中へ入っていた。
*
最後の音が止まった。
「ありがとうございました!」
リオの声に合わせて四人で頭を下げる。拍手が返ってきた。眼鏡の男が青を振り、タンクトップの男が両手を叩いている。少し離れたところでは、鉢巻の男も拍手していた。
通路を歩いていた何人かも、つられるように手を叩いた。けれど足は止まらない。ひよりが手を振ると、一人が振り返した。その人もすぐ、連れと一緒に店の方へ歩いていった。
四人が袖へ向かい始める。ひよりはもう一度客席を見た。さっき真似をしてくれた女の子はいない。スマートフォンを向けた制服姿の二人も、もう人混みの中だった。
誰も嫌そうな顔はしていない。つまらなかった、と言った人もいない。ただ、それぞれが元々行こうとしていた場所へ戻っていった。
「まひる、戻るよ」
「あ、うん」
ひよりはリオの後を追って袖へ入った。
*
「物販こっち! 場所違うから間違えないで!」
レイに連れられ、四人はイベントスペース脇に用意された机へ移動した。いつものライブハウスより明るい。通路との間を遮るものもほとんどなく、買い物客の顔までよく見えた。ひよりは自分の位置についた。最初に来たのは眼鏡の男だった。
「一枚お願いします」
「はい。今日もありがとうございます」
「モール、珍しいですね」
「人すごかった」
「ずっと歩いてましたね」
「見えた?」
「めちゃくちゃ見えましたよ」
ひよりは少し笑った。
「私も」
「また見てたんですか」
「だって目の前通るから」
「踊りながら?」
「踊りながら」
「怖いなあ」
「何がですか」
二人でチェキを撮る。男が写真を受け取って離れると、次は前にも来たことのある女性だった。その次も、見覚えがある。タンクトップの男は今日も四人全部を回っていた。
「今日、声どうだった?」
男が聞く。
「聞こえてました」
「よっしゃ!」
「あなたの声はね」
「みんなのは?」
「聞こえてたよ」
「じゃあよっしゃ!」
「何でも自分の手柄みたいにしないでください」
「俺も一員だから!」
「メンバーではないです」
「客席の!」
「ああ、それなら」
「認められた!」
「声大きいって!」
隣のナツまで笑った。
男を見送ったあと、ひよりは通路へ目を向けた。ライブを見ていた人の顔を探していると、知らない女性が物販の前で足を緩めた。
ひよりは少し背筋を伸ばした。女性は四人の名前とチェキの案内を読み、それからひよりを見た。目が合いそうになり、ひよりは口を開きかけた。
「ねえ、こっち」
先を歩いていた連れから呼ばれ、女性が振り返った。
「今行く」
もう一度だけ机の方を見て、そのまま連れを追っていく。ひよりは開きかけた口を閉じた。
「次、いいですか?」
「あ、はい!」
正面へ顔を戻すと、また知っている顔だった。写真を撮ってライブの話をし、笑って見送る。嬉しくないわけではない。むしろ、来てくれるたびに顔が分かる人が増えている。それでも列が一度切れるたび、さっきライブを見ていた知らない誰かが来ないか、つい通路へ目が向いた。
最後まで、見覚えのない顔が列へ入ることはなかった。
*
片づけを始めても、モールの人通りはほとんど減っていなかった。ひよりは衣装を入れた鞄のファスナーを閉め、少し離れた通路を見た。
「あんなにいるのに」
「何が?」
アンが隣でペンをケースへ戻している。
「人」
「ああ」
「今日のライブ、悪くなかったよね?」
リオが顔を上げた。
「悪くなかったよ」
「ほんとに?」
「うん。私はそう思う」
即答だった。
ひよりは少し黙った。
「じゃあ、なんで来ないんだろ」
「足を止めてくれた人はいたじゃん」
ナツが言った。
「あの子もいたし」
「子供?」
「うん。踊ってくれた」
「見えてたよ」
ナツが笑う。
「めちゃくちゃ嬉しそうだったじゃん、まひる」
「だって真似してくれたから」
「よかったじゃん」
「よかったけど……」
ひよりは鞄の持ち手を掴んだ。
「新しい人は、誰も物販に来なかった」
少し間が空いた。アンがケースの蓋を閉じる。
「人がいるのと、うちらを見に来てるのは違うから」
ひよりはアンを見た。
「それ、先週から分かってたの?」
「何回かモール出てるし」
「先に言ってよ」
「言ったじゃん」
「何を」
「人はいるって」
「それだけじゃ分かんないよ!」
「じゃあ、今分かったでしょ」
「性格悪っ」
「なんで!」
アンが笑った。ひよりも言い返そうとして、結局少し笑った。
「でもさ」
鞄を持ち上げながら、もう一度通路を見る。
「前の黄色の人も、最初は別のグループ見に来てたんだよね」
「そうだよ」
ナツが答えた。
「それで一回来て、次も来た」
「うん」
「今日も誰か一人くらい来ると思ってた」
言ってから、自分でも少し都合がよかったと思った。ナツは笑わなかった。
「一回見たら次も来てくれる、だったら楽なんだけどね」
「そっか」
ひよりは小さく答えた。眼鏡の男なら、もう顔が分かる。タンクトップの男も、鉢巻の男も、何度も見てきたので離れていても見つけられる。
今日、一瞬だけステージの前で笑っていた人たちは、一度見ただけではもう人混みの中から探せなかった。
「はい、そこまで!」
レイがスマートフォンを片手に戻ってきた。
「反省するなら帰ってから! 次の予定出たから確認するよ」
「もう出たの?」
リオが近づく。
「来週の合同イベント。出演者確定」
レイが画面を見せた。アンが横から覗き込む。
「……え」
「何?」
ひよりも近づいた。いくつも並んだ出演者名の中を、アンの指が滑る。
「PRISMIAいるじゃん」
ナツも画面を見る。
「ほんとだ」
リオの表情まで変わった。ひよりだけが三人を順番に見る。
「何?」
アンが顔を上げる。
「まひる、PRISMIA知らないの?」
「名前は見たことあるよ。たぶん」
「たぶんって」
「ライブは見たことないもん」
「マジで?」
「そんなに?」
ひよりはリオを見る。
「すごいの?」
リオは少しだけ考えた。
「見れば分かるよ」
お読みいただき、ありがとうございます。
アイドルが活躍する場所は、都心のライブハウスだけではありません。郊外のショッピングモールでも、屋外ステージや館内のイベント広場を使ったミニライブ、CDの発売記念イベントなどが開かれています。
関東では、東京の「ららぽーと立川立飛」、埼玉の「イオンレイクタウンmori」、千葉の「イオンモール幕張新都心」、神奈川の「アリオ橋本」なども、こうしたイベントの会場になっています。
買い物の途中に聞こえてきた歌が気になって、少し足を止める。ステージを眺めているうちに、名前を知らなかったアイドルを応援したくなる。そんな出会いが、いつものショッピングモールで待っているかもしれません。
今回は、身近な場所にあるアイドルのステージを、関東圏の施設からイラストでご紹介します。
※作者個人が公開情報をもとにまとめた紹介です。各施設の監修・公認を受けたものではありません。イラストはイメージで、実際の施設や景観とは異なります。イベントは常時開催ではありませんので、開催日や観覧・参加条件は各イベントの公式案内をご確認ください。




