第11話 それぞれの次
舞台袖から客席を覗くと、いつもよりオレンジが多かった。前の方だけではない。後ろの壁際にも、オレンジのペンライトが何本も揺れている。その間には赤、黄色、紫、ピンク、白、緑があり、青もあった。
「すごいですね」
ひよりが言うと、隣で同じようにカーテンの隙間を覗いていたアンが振り向いた。
「そりゃ今日、リサ最後だし」
「分かってるけど。実際見ると、こんなにいるんだなって」
青の一本は、いつもの眼鏡の男だった。
「まひる、アン。そろそろ」
後ろからリオに呼ばれ、二人はカーテンから離れた。舞台袖に八人が集まる。リサは最後の日だというのに、いつもと変わらなかった。自分のオレンジの飾りを確認したあと、隣にいたユナの襟を直している。
「リサ、自分の最後なのに人の衣装見てる場合?」
レイが言った。
「曲の途中で外れたら気になるでしょ」
「今日くらい自分のことだけ考えればいいのに」
「レイがそれ言う?」
「どういう意味よ」
「はいはい、最後の日まで始めないで」
ミオが割って入る。
「私からじゃないって」
「レイからだったよ」
ナツまで言った。
「なんで全員そっちなのよ!」
ひよりは吹き出した。リサも笑っている。本当に、いつもと同じだった。
「リトルフレアさん、お願いします!」
スタッフの声がかかる。
レイがいきなり手を前へ出した。
「ほら。最後くらいやるよ」
「何を?」
アンが聞く。
「円陣に決まってるでしょ」
「いつもやってないじゃん」
「今日だけ!」
「急だなあ」
「いいから手!」
文句を言いながらも、八人が輪になった。ひよりも手を重ねる。右にはリオ、左にはリサがいた。
「じゃあリサ、最後なんだから何か言って」
レイに振られ、リサは少し考えた。
「何も考えてないよ」
「何でもいいから」
「じゃあ――」
リサは重なった手を見てから、みんなの顔を順番に見た。
「今日も、いつも通りやろう」
「短っ」
「長い方がいい?」
「いや。それでいいけど」
後ろで佐伯が笑っている。リサも笑った。
「今日が終わるまでは八人だから。行こ」
八人の手が一度に上がった。
*
曲が始まると、最後の日だと考えている余裕はなくなった。ひよりが身体を開くと、そのすぐ横をリサが抜けていく。次にはナツが入り、反対側からユナが来る。八人用に組み直した振付は、誰か一人が動けば、そのぶん別の誰かも場所を譲るようにできていた。リサが前へ出た。
「リサー!」
客席から名前が飛び、オレンジが一斉に跳ね上がる。リサは右から左まで客席を見ながら手を伸ばした。その動きを追うように、いくつもの光が揺れた。ひよりも後ろで腕を上げる。最初は、ちゃんと覚えておこうと思っていた。リサがどこを通るのか。どんな顔で客を見るのか。横へ来たとき、どれくらい近くにいるのか。
けれど二曲目に入ったころには、覚えておこうとしていたことを忘れていた。青い光を見つけて腕を大きく振ると、眼鏡の男も、その少し離れた青も振り返してくれる。嬉しくて次の位置へ走ると、アンが来た。二人並んで同じ拍で腕を伸ばせば、今度は青と紫が一緒に上がった。
次には赤が動く。リオがひよりの前を抜け、その後ろへ入ったところでナツの歌声が伸びてきた。黄色を持った客だけではなく、その周りまで身体を揺らしている。八人いれば、客席から返ってくる声も八つの方向へ動いていく。その中に、自分へ向いた青もある。
楽しかった。今日はリサの最後なのに、やっぱりライブは楽しかった。
最後のサビへ入る。八人がステージいっぱいに広がり、ひよりも腕を上げた。すぐ左で、リサのオレンジの袖が同じ高さまで上がる。
最後の音。八人の身体が止まった瞬間、歓声が押し寄せてきた。ひよりは息を切らしながら顔を上げる。オレンジの光が、さっきよりも高いところで何度も揺れていた。
*
「今日は来てくれて、ありがとうございました」
最後のMCで、リサがマイクを持った。客席からすぐに声が飛ぶ。
「リサー!」
「やめないでー!」
リサが少し困った顔をした。
「それ言われると困るなあ。もう決めちゃったから」
客席から笑いが起きる。前の方には、泣きながらオレンジを振っている人もいた。リサはその辺りへ目を向けた。
「そんな泣かなくても」
「泣くよー!」
「なんでよ」
また笑いが広がった。
「私、結婚するんですよ」
拍手が起きた。
「赤ちゃんも生まれます」
今度はさらに大きな拍手になった。リサはそれをしばらく聞いてから、マイクを持ち直した。
「だから、ちゃんと幸せになります」
「幸せになれよー!」
後ろから、ひときわ大きな声が飛んだ。リサがすぐそちらを見る。
「なるよ!」
今度はリサも大きな声で返した。歓声と笑い声が重なった。隣でレイが鼻をすすった。ミオが横を見る。
「泣いてる?」
「泣いてない!」
「声おかしいけど」
「汗!」
「目から?」
「うるさい!」
マイクが拾ってしまい、客席がまた笑った。リサまで笑っている。ひよりも笑った。胸の奥に引っかかっているものは消えなかった。それでも今日は、そのまま笑えた。
「今まで、本当にありがとう」
リサが頭を下げる。ほかの七人も並んで頭を下げた。顔を上げると、オレンジの光が何度も大きく振られていた。
*
次の水曜日、音楽に合わせて右へ二歩入り、リオの後ろを抜けた。次の位置で身体を半分開くと、ひよりはいつものように一歩下がってしまった。
そこをリサが通る。身体が先に覚えていた。
けれど、誰も来なかった。
「まひる」
リオの声が飛ぶ。
「そこ、詰めて」
「あ」
ひよりは慌てて空いた場所へ入り、そのまま曲を追った。七人で最後まで通して音が止まると、鏡の中をもう一度見た。やはり七人しかいない。さっき無意識に空けた場所へ、目が戻った。
「……いないんだった」
「何が?」
水を飲んでいたレイが聞く。
「リサさん。ここ、通るから」
「ああ」
レイも床を見る。
「先週まで通ってたもんね」
「はい」
「じゃあ、もう詰めないと」
「分かってます。足が勝手に下がったんです」
ひよりはリサを通そうとした場所へ戻り、さっき空けた分だけ前へ出た。レイも隣へ立って床を見たが、何か言う前にアンが口を挟んだ。
「そこ、次あたし通るから」
「あ、そっか」
レイが半歩ずれる。ひよりと目が合うと、すぐに眉を上げた。
「今のは確認よ」
「私も、そういうことにしてほしかったです」
アンが笑い、レイが「まひるまで!」と声を上げた。
佐伯が手を叩いた。
「はいはい。もう一回やるわよ」
全員が位置へ戻った。ひよりも自分の場所へ立つ。先週より、鏡の前が少し広かった。
「……広いですね」
思わず言うと、レイが顔をしかめた。
「私、八人のとき狭いって言ったけど、こんな広くなれとは言ってないのよ」
ミオが吹き出した。
「誰もレイの希望で減ってないから」
「分かってるわよ!」
ひよりも笑って、もう一度始まった音楽へ足を出した。同じ場所まで来ても、今度は下がらなかった。リサのために空けていた半歩へ自分で入ると、それだけで七人の形になった。
*
練習が終わり、ひよりが床に座って靴紐を解いていると、ミオが声を上げた。
「じゃあ、今度は私たちから話があるんだけど」
ひよりの手が止まった。ナツも嫌そうな顔をする。
「その言い方、今すごく嫌なんだけど」
「私も」
レイがすぐに続いた。
「もうその始まり方禁止にしない?」
「始まり方の問題じゃないでしょ」
ミオは苦笑して、隣のユナを見る。ユナが頷いた。
「私とユナも、リトルフレアを卒業することにした」
「は?」
レイの声が部屋に響いた。
「ちょっと待って」
「だから言いづらかったんだって」
「リサが卒業したばっかりなんだけど!」
「分かってる」
「何なの? 今、卒業流行ってるの?」
「流行ってないよ」
ユナが笑った。ナツは笑わなかった。
「いつから考えてたの?」
「前から」
ミオが答えた。
「リサが辞めるから決めたわけじゃないよ。二人でずっと話してた」
リオが壁際にいる佐伯を見る。
「社長、知ってた?」
「相談は受けてたわよ」
「なんで言わないのよ!」
レイが佐伯へ詰め寄った。
「本人たちが話す前にアタシから言えるわけないでしょうが!」
「それはそうだけど!」
「じゃあ怒らないでよ!」
レイは何か返そうとして、結局口を閉じた。
ひよりはミオとユナを見る。
「次、何するんですか」
「二人でVTuber」
ユナがすぐ答えた。
「ミオは喋るの好きだし、私は歌もゲームもやりたいし。二人なら色々できそうだから」
「ユナは色々やりたいだけだけどね」
「それの何が悪いの」
「悪いとは言ってない」
いつもと変わらない調子だった。ひよりは少し迷ってから聞いた。
「アイドル、嫌になったんですか」
二人がこちらを見る。
「全然」
ミオはすぐ答えた。
「楽しかったよ」
「じゃあ、なんで」
「次にやりたいことができたから」
ユナの答えにも迷いはなかった。ひよりは口を開きかけた。また、人が減る。七人になったばかりなのに。言いたいことはいくつも浮かんだが、少し考えてから口にした。
「……そっか」
ミオが首を傾ける。
「何、その顔」
「何がですか」
「全然納得してない顔」
「納得はしてます」
「ほんと?」
「応援します」
ユナが笑った。
「顔、全然応援してないよ」
「顔は仕方ないでしょ」
「じゃあ、その顔は何なの」
ひよりは膝を抱え直した。
「寂しいんです」
二人の笑顔が少しだけ止まった。
「でも、やりたいことあるなら応援します。寂しいけど」
「二回言った」
「大事だから」
ミオが笑った。
「じゃあ、ちゃんと応援してもらおうかな」
「しますよ」
「配信来てね」
「時間が合えば」
「急に弱い」
「仕事あるんですよ、私」
「夜だよ?」
「次の日も仕事です」
「真面目だなあ」
ユナが笑った。卒業すると決めても、その笑い方は昨日までと変わらなかった。
*
それから何度か七人でライブをして、白と緑の最後の日が来た。客席にはその二色がいつも以上に多く、ミオが話せば白が揺れ、ユナが歌えば緑が跳ねた。最後の曲まで普段通りの二人と一緒に、七人で頭を下げた。
顔を上げると、泣いている客が見えた。ミオがマイクを持ち直した。
「五年間、本当にありがとうございました。リトルフレアで――」
「また会えるからね!」
横からユナが声を上げた。ミオの顔が止まる。
「ちょっと待って」
「何?」
「今、私すごく綺麗に締めようとしてたんだけど」
「あ、ごめん」
「絶対思ってないでしょ」
「でも、また会えるじゃん。配信するし」
「それ私がこのあと言おうとしてたの!」
「先に言っちゃった」
「最後までこれか!」
客席から笑いが起きる。
「ミオー!」
「ユナー!」
白と緑が激しく揺れた。ユナは両手を振る。
「ありがとう!」
「だから私が締めるって!」
「じゃあどうぞ」
「もう無理でしょ、この空気!」
笑い声がさらに大きくなった。ミオもしばらく耐えていたが、とうとう吹き出した。
「……まあ、いいや」
ユナの肩へ腕を回す。
「また会いましょう」
「うん。またね!」
白と緑が一緒に上がった。ひよりも笑いながら拍手した。
*
終演後、ミオとユナが楽屋を出ると、さっきまで二人の荷物があったところに床が見えた。急に余った場所を眺め、ひよりは着替えたシャツの袖を引いた。鏡には、レイ、リオ、ナツ、アンと自分の五人しかいなかった。
「次のライブ」
アンが顔を上げた。
「何?」
「五人ですよね」
「そうだね」
ナツが答える。
また立ち位置が変わる。次の練習では、最初から五人の場所を作るのだろう。
「まひる」
レイの声がした。
「はい?」
レイはまだ衣装を脱いでいなかった。椅子に座り、胸元から外したピンクの飾りを指先で弄っている。
「どうしたんですか」
「いや……」
いつものレイにしては、妙に歯切れが悪かった。ナツも気づいてそちらを見る。
「何?」
「私も、話あるんだけど」
ナツの顔が露骨に嫌そうになる。
「もうやめてよ、その言い方」
「仕方ないでしょ!」
「何、今度は」
「だから……」
レイは一度口を閉じた。リオもアンも、片づける手を止めている。レイは手の中のピンクを見てから、顔を上げた。
「私も卒業する」
お読みいただき、ありがとうございます。
★地下アイドルの結婚事情について★
地下アイドルは、結婚したからといって必ず卒業するわけではありません。
活動を続ける人もいれば、人生の区切りとして卒業する人、妊娠や生活の変化をきっかけに休止・卒業を選ぶ人もいます。
大切なのは一つの正解ではなく、本人の気持ちや体調、グループの方針によって形が分かれることです。
※本内容は、作者個人が調べた情報をもとにまとめたものです。時期やグループによって事情・傾向が変化している場合があります。
★リトルフレアの卒業メンバについて★
☆白瀬ミオ(白担当)
頭の回転が速く、ライブではMCを得意としていた。卒業後はユナと二人でVTuberという新しい道へ進む。リトルフレア アダルト組のメンバの一人
☆夏目ユナ(緑担当)
明るく凝り性で、歌だけでなくゲームや企画にも興味を持つタイプ。ミオとともに「次にやりたいこと」を見つけ、アイドルを卒業した。アダルト組の一人
☆月城レイ(ピンク担当)
姉御肌で、メンバーを引っ張っていたアダルト組の一人。
☆桜庭リサ(オレンジ担当)
リトルフレア結成時から活動してきた最年長メンバー。おっとりした雰囲気ですが、実はかなり肝が据わっており、騒がしいメンバーたちを自然に支える存在です。結婚と妊娠を機に、アイドルとしての卒業を決めました。アダルト組の一人。




