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第11話

夕飯のあとも、花はリビングに残っていた。


スマホをいじりながら、ここにいていいのか、部屋へ戻るべきなのか、自分でも決めかねているようだった。


俺は少しずつ荷物をほどいていた。

生活を、この家に戻していくみたいに。


「本当にいいの?」


花が聞く。


「勉強しに行っても」


「ああ。使ってない机は余ってる」


花は納得したように頷き、それから部屋へ戻っていった。


花が家にいることは、思っていたよりも心地よかった。


過去が全部無駄だったわけじゃないと、少しだけ思わせてくれる。

そして、その温かさがいつまで続くのか考えてしまうくらいには、怖かった。


翌日、昼を少し過ぎた頃、花は英会話教室にやって来た。

リュックを片方の肩にかけ、受付の近くで所在なさげに立っている。


本当に来るとは思いきれていなかった。


俺は近づいて、スタッフに事情を説明した。


通りかかった室長が笑う。


「先生の邪魔しすぎないようにね」


花の頬が赤くなる。


「邪魔なんかしません」


聞こえなかったふりをした。


花は隅の席に座り、すぐに参考書を広げた。


授業が始まる。

文法練習。

リスニング。

いつもの流れ。


花は、俺が教えているところを見ていた。


べったりした視線じゃない。

遠慮がちな、でもどこか誇らしそうな目だった。


俺がそちらを見るたび、花は背筋を伸ばして、勉強しているふりをする。


発音に苦戦している生徒を手伝うと、少し笑う。

冗談が通じると、なぜか姿勢を正す。

俺が疲れた顔をすると、表情がわずかに硬くなる。


見られている。


そんなふうに誰かに気にされることに、俺は慣れていなかった。


授業の合間、花が小さく手招きした。


すぐには笑わない。

少しの間、俺を見上げる。

頭の中で言葉を並べているみたいだった。


「塾の先生と違う」


「悪い意味で?」


花は首を振る。


「ちゃんと説明する。急がない」


少し迷ってから、声を落とす。


「昔も、そうだった」


意味はよく分からなかった。

でも、胸には届いた。


「宿題見てくれたときも、そうだった」


軽く流そうとして、やめた。


子どもが大人を褒めている感じではなかった。

もっと、何かを確かめるような言い方だった。


「ありがとう」


花は一度だけ頷く。

それで満足したように、参考書へ戻った。


俺は必要以上に長く、その場に立っていた。


そんな小さな、まっすぐな評価が、思った以上に深く刺さっていた。


空き時間になって、気づけば俺は教室を見回していた。


探したくないものを、探している。


そのとき、扉が開いた。

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