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東の森

朝の空気は、心地よいほど涼しかった。


葉にはまだ朝露が残り、エファス村の木々の隙間から、朝日がゆっくりと差し込んでいる。


エイデンは家の前に立ち、大きく息を吸った。


「ここが……」


「Holy Worldの世界……」


初めてそう口にしたときよりも、その言葉がずっと現実味を帯びて感じられた。


頬を撫でる風。


湿った土の匂い。


あちこちから聞こえてくる鳥のさえずり。


すべてが生きている。


ゲームの中で繰り返し再生される効果音とは、まるで違っていた。


エイデンは振り返る。


イヴの暮らす質素な木造の家は、どこか温かみを感じさせた。


台所の煙突からは、細い煙が立ち上っている。


窓の向こうでは、イヴが手を振っていた。


「気をつけて行ってらっしゃい!」


エイデンも小さく笑いながら手を振り返す。


「うん!」


家を出ると、村の大通りを歩き始めた。


エファス村は、それほど大きな村ではない。


土の道に沿って、木造の家々が整然と並んでいる。


店を開け始める者。


家の前を掃除する者。


荷車で収穫物を運んでいる者。


どこまでも平和な光景だった。


この世界が最後にどうなるのかを知らなければ――


エイデンも、ここを理想的な村だと思っていただろう。


「…………」


《Map》を開く。


目の前に半透明の地図が表示された。


青い点が、現在地を示している。


東の森までは、村からおよそ一キロ。


「まだそんなに遠くないな」


UIを閉じ、再び歩き出す。


途中、何人かの村人が声をかけてきた。


「おはよう、エイデン!」


「おはよう」


「また森に行くのか?」


「うん」


「あまり遠くまで行くなよ」


「最近、モンスターを見かけることが増えてるからな」


エイデンは小さく頷いた。


イヴも同じことを言っていた。


ということは――


森の周辺で、何かが変わり始めているのかもしれない。


十五分ほど歩くと、土の道は細い獣道へと変わっていった。


左右には大きな木々が高くそびえ立っている。


陽の光も、葉の隙間からわずかに差し込む程度だ。


周囲は次第に静かになっていく。


時折、野生動物が踏んだのか、枝の折れる音が聞こえた。


エイデンは足を止める。


「東の森……」


再び《Search Bar》を開いた。


そして入力する。


Bug EXP Area 01


昨日読んだBlueditの投稿がすぐに表示された。


一文一文、改めて慎重に確認する。


《Area 01の東の森へ行く》


《小川の近くにいる、濃い緑色のLevel 3スライムを探す》


《戦闘開始から5秒以内にモンスターのコアを攻撃する》


《バグが発生するのは特定のスライムのみ》


エイデンは内容を頭に叩き込んだ。


「つまり、どのスライムでもいいわけじゃない」


「特定の個体だけか」


UIを閉じる。


そして、さらに森の奥へと進んでいった。


最初のモンスターを見つけるまで、それほど時間はかからなかった。


小さな角を生やしたウサギが、草を食べている。


その頭上には文字が浮かんでいた。


Horn Rabbit Lv.1


「…………」


「本当に名前が表示されてる……」


イヴのときに見えたものと同じだ。


モンスターはこちらに気づいていない。


エイデンは戦わず、その場を避けることにした。


狙いは低レベルのモンスターではない。


さらに先へ進む。


数分後――


茂みの向こうから、一匹の狼が姿を現した。


Forest Wolf Lv.4


狼はエイデンを見るなり、低く唸った。


「グルルル……」


「えっ?」


反応する間もなく、狼が飛びかかってきた。


「うわっ!」


エイデンは反射的に横へ転がった。


鋭い爪が地面を叩く。


土埃が舞い上がった。


「くそっ!」


すぐに《Inventory》から小さな斧を取り出す。


一瞬の光とともに、斧がその手に現れた。


「こうなったら……」


「やるしかない!」


狼が再び飛びかかってくる。


今度はエイデンも構えていた。


右へ避ける。


そして――


力いっぱい斧を振り抜いた。


ザシュッ!


斧が狼の前脚を捉えた。


「ガウッ!」


狼の身体が数メートル先へ弾き飛ばされる。


しかし――


頭上に表示されているHPは、わずかに減っただけだった。


「……硬い」


モンスターのHPが見えるからといって、戦闘が簡単になるわけではない。


今のエイデンの身体は、まだ普通の人間と大差ない。


回避がほんの少しでも遅れれば――


死ぬ。


狼が再び立ち上がった。


その目つきは、さらに凶暴になっている。


「グルルル……」


だが、突然――


狼は背を向けた。


そして、そのまま森の奥へ走り去っていく。


「……逃げた?」


エイデンは数秒間、呆然とその姿を見送った。


やがて、安堵の息を吐く。


「危なかった……」


斧を《Inventory》へ戻した。


「Level 1じゃ、やっぱり弱すぎるな……」


もしあの狼が攻撃を続けていたら――


おそらく負けていた。


エイデンは改めて確信する。


EXPバグ。


あれを絶対に成功させなければならない。


失敗すれば――


メインストーリーが始まる前に、自分の冒険が終わる可能性すらある。


エイデンは再び歩き始めた。


それから十分ほど経った頃。


水の流れる音が聞こえてきた。


「川……」


歩く速度を上げる。


やがて、小さな川が目の前に現れた。


水は底がはっきり見えるほど澄んでいる。


Blueditに書かれていた通りの場所だった。


エイデンは周囲を観察する。


一分。


二分。


五分。


まだ現れない。


そして――


ついに。


川辺にある大きな岩の陰から――


濃い緑色のスライムが、ゆっくりと跳ねながら姿を現した。


ぽよん。


ぽよん。


ぽよん。


その頭上に表示された文字。


Slime Lv.3


「…………」


エイデンはごくりと唾を飲み込んだ。


「見つけた」


すぐにBlueditの投稿を開き直す。


最後の手順を確認する。


《外側の身体を攻撃するな》


《戦闘開始から5秒以内に、体内にある青いコアを攻撃しろ》


エイデンはUIを閉じた。


視線をスライムへ向ける。


半透明の身体の奥。


そこには――


小さな青いコアが見えた。


「あれが……」


「狙いだ」


エイデンは斧を強く握り締める。


そして構えた。


一歩。


二歩。


三歩。


ついにスライムがエイデンの存在に気づいた。


ゆっくりとこちらへ跳ねてくる。


ぽよん。


ぽよん。


ぽよん。


その瞬間。


エイデンの目の前に、赤い文字が表示された。


《Battle Start》


エイデンは一気に駆け出した。


「五秒……」


「五秒以内に仕留める!」


斧を大きく振り上げる。


そして――


スライムの体内にある青いコアへ向けて、一気に振り下ろした。


ザシュッ!!


刃がスライムの身体を貫く。


パキンッ!


青いコアが砕け散った。


スライムの身体が、その場で動きを止める。


次の瞬間――


エイデンが今まで一度も聞いたことのない通知音が、耳に響いた。


――ティン!


そして、その音が鳴った直後。


何十もの通知ウィンドウが――


一斉にエイデンの視界を埋め尽くした。


「……は?」

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