第98話 結末①
ロミュオーの首が高々と宙を舞う。
その顔は己の身に起きたことが信じられないとばかりに、驚愕の表情を貼り付けたままだった。
そしてそのまま、地面に落ちて転がった。
『まだよ』
「わかってる」
落下の勢いを借りてロミュオーの首を斬ったアゼルは、膝で着地の衝撃を吸収すると、返す刀でクラリモンドの尾を4本とも根元から断ち斬った。
「これでいいのか」
『ええ。これでこいつらに抵抗する手段はなくなったわ」
言葉通りもう危険がなくなったと判断したのか、ゼルペンティーナがにゅるりと姿を現わす。
「馬鹿な。そんな、そんな馬鹿な……」
「……ホントにまだ生きてるんだな」
床に転がりながらも、未だにブツブツと茫然自失の態で呟いているロミュオーの生首を見たアゼルは、少し呆れた。
「そうよ。悪魔は首を刎ねた程度じゃ死なないわ」
同じくそれを見下ろしながらゼルペンティーナ。
「だけどこの状態ならこいつは魔術を使えない。尻尾も斬ったし、もう抵抗する気力もないでしょ」
そう言うと意地の悪い目でクラリモンドを見やった。
彼女の変身はまだ解けていない。
「それともその爪で引っ掻いてくれるのかしら?」
「……そんなことしないわ。引き際ぐらい心得ているわよ」
クラリモンドが静かに呟く。
彼女の表情には諦念のようなものが宿っていた。
「私は戦い方なんて知らない。何をしても貴方達には敵わないでしょう。好きにしてちょうだい」
「だそうよ。アゼル、わかっているわね?」
「……ああ」
アゼルは短剣の切っ先を相手に向けた。
覚悟を決めたようにクラリモンドが瞼を閉じる。
そして……。
「待って!」
今まさに短剣を振るおうとした時、ヴェロニカの声がその手を止めた。
「何をしようとしているの、アゼル」
勝敗が決したのを見て走ってきたのだろう。ヴェロニカが、息を切らせながら言う。
アゼルはその問いに、ゆっくりと答えた。
「決まってる。トドメを刺すんだ」
「トドメって……」
ヴェロニカの顔が色を失う。
「いくら首を斬ろうが悪魔は死なない。悪魔は契約した人間の魂を通じて実体化しているだけだからだ。人間の首を刎ねればその人間は死ぬが、その場合は悪魔がその人間の身体を乗っ取ってしまう。そうなんだろ?」
「え、ええ」
「悪魔と悪魔憑きを同時に殺すには、両者の魂の座となっている心臓を破壊するしかない。間違いないな?」
「……ええ、それで合っているわ。その蛇から聞いたのね?」
「ああ」
「待って!」
再び短剣を振り上げようとしたアゼルに向けて、ヴェロニカは声を張り上げた。
「なぜ止める?」
「勝負はもうついているわ。クラリモンド様にはもう抵抗する力は残ってない。そこまでする必要はないでしょう?」
「……」
「ドローデンの騎士団に引き渡しましょう。じきに街の教会から神官を連れて到着するはずよ。そしたら無力化して拘束できるわ。それでいいじゃない……ね?」
ヴェロニカは必死な口調で言い募った。アゼルの機嫌を取るように、笑顔を取り繕うことさえした。
クラリモンドは黙って成り行きを見守っている。
「そんな手間を掛ける必要があるのか?」
しかしアゼルは首を振った。
「悪魔憑きが暴れたらその場で処分されるのが普通なんだろう。ただでさえ後ろ指を差される存在な上に、罪を犯したんだからな。誰も文句は言わない」
「それは……」
「悪魔憑きは日陰者だ。もう二度と陽の目を浴びることはない。だったら……」
「元に戻れるわ」
「……何?」
アゼルの頬がピクリと動く。
振り向くと、ヴェロニカは挑むような顔つきでこちらを見つめていた。
「話が違うぞ。悪魔憑きになったら二度と元に戻れないと言ったのはお前だったはずだ」
「たしかにそう言ったわ。でも、あれから調べたのよ」
「調べた?」
「ええ。悪魔憑きを元に戻すのは本当に不可能なのかって」
そう口にするヴェロニカの目元にはわずかに隈がある。
そういえば、とアゼルは思い出した。
ゼルペンティーナは言っていた。彼女は昨夜、調べ物をしていたようだと。
この口振りからすると、どうやらその答えを見つけたということなのか。
はたして彼女は言った。
「そしたら……あったのよ。先代聖女ロザーリアが、悪魔憑きになった人間を元に戻した記録が!」
「先代の聖女が?」
「そうよ。つまり……わかるでしょう? リタならあなたを人間に戻せる!」
「……」
「クラリモンド様だって人間に戻せる。だからアゼル、殺しては駄目よ!」
「……その女は沢山の人間を殺した。罪もない騎士団の人々や、聖職者を」
僅かな沈黙を挟み、アゼルは聖堂内の惨状を示しながら言った。
「それは……」
むろんヴェロニカも忘れていた訳ではなかっただろう。
それでも面と向かって指摘されれば視線を落とし、口を噤むしかない。
追い討ちを掛けるようにアゼルは続ける。
「悪魔憑きであろうとなかろうと、これだけのことをしたなら死刑は免れない。だったらここで殺したところで何も変わらない」
「……いいえ。悪魔憑きのまま死ねば、その魂は悪魔に囚われたままになってしまう」
ヴェロニカの表情は沈んでいたが、それでも頑なに首を振った。
「死後の安寧さえ奪われ、地獄で永劫に苦しむことになるのよ。いくらなんでも、そんなのあんまりだわ」
「それがこの女には相応しい罰かもしれない」
「それは私達が決めることじゃない。死後の神々の審判に委ねるべきよ」
「……ふざけるなよ。それじゃ僕だけが祓われ損じゃないか」
話に割って入ったのはロミュオーだった。
生首の状態で床に転がったまま、憎々しげな目付きで睨んでいる。
「言っておくが、この女は正常だぞ! あの司教達を殺したのも、騎士達を虐殺したのも全てこいつ自身の意志でしたことだ。この女は理性を保ったまま、純然たる自分の意志で殺戮を行った!」
「黙りなさい、悪魔! どうせあんたが唆したんでしょう。いいえ、洗脳したんだわ!」
「僕は唆したりなどしていない。まして、洗脳などと! 僕はただこの女に力を与えただけだ。その力に酔って、この女は殺人を犯した!」
クラリモンドは反論することなく、黙ってそれを聞いていた。
「それを非難などしないさ。僕とて殺しを愉しんだからな。……だが、だからこそ僕だけが祓われるのは納得がいかないな。それは公正ではないはずだ!」
「黙りなさい、黙って!」
「話が進まないわねぇ。アゼル、ちょっとあいつ黙らせてよ」
「そうだな」
「おい待て貴様、何をするつもりだ? ちょ……っ!」
口に大きめの石を押し込むとロミュオーはようやく静かになった。
手についた砂を払いながら戻ったアゼルに、ヴェロニカが取り縋った。
「アゼル……お願いよ。この場は見逃して」
「……」
「クラリモンド様は許されないことをした。それは私だってわかっているわ。でも、それなら……いいえ、だからこそ人間として裁かれるべきよ。人の社会で犯した罪は、人の法で裁かれなくてはいけない」
「そいつは悪魔憑きだ」
「だけど人間だわ。まだ、人間に戻れるの」
アゼルの左手を取り、切実な口調で訴えかける。
「あなたもよ、アゼル。あなただって人間に戻れる。……だってあなたは、誰も殺してない。誰も殺さないまま、この手を汚さないまま、元のあなたに戻れるのよ」
「ヴェロニカ……」
「あなたはちゃんとリタを護ったわ。今さらその手を血で穢す必要なんてない。そうでしょう?」
「……」
アゼルは自分の両手を見下ろした。
短剣を握り締めた右手。
そして、ヴェロニカの手に包まれた左手。
二つの手に順番に視線を向ける。
返事をしないアゼルに焦れたのか、ヴェロニカは続けた。
「ねぇ、お願いよアゼル! クラリモンド様はたしかに罪を犯したわ。だけどこの方は、何十年もずっと修道女として己を律してこられた方なの。修道院の暮らしがどれほど窮屈なものかは、あなただって知っているでしょう」
修道請願を立てた者は己が信奉する神に誠心誠意仕えるために様々な制約を課せられる。世俗の人間が当たり前に享受できるごく普通の幸福や安楽な暮らしを捨て、ひたすら信仰の道を歩む者たちだ。
それがどれほど厳しく窮屈なものかということは、部外者であるアゼルにも推し量ることができた。
「クラリモンド様は必ずしも自分から望んでこの道に入られたわけじゃない。ご自分の家のために仕方なく修道院に入られたのよ。それでもこの方は何十年も厳しい刻苦を重ね、他の誰よりも厳格で敬虔な生き方をされてこられた。こんな死に方をしていい方では絶対にないのよ!」
「ヴェロニカ……」
懸命に自分を庇おうとするヴェロニカの姿に、クラリモンドが表情を動かす。
それを横目に見たアゼルの瞳が、かすかに揺らぐ。
「なにも見逃してあげてと言っている訳じゃないの。騎士団に引き渡して、罪を償うチャンスを与えてあげてほしいだけ。それぐらいなら構わないでしょう?」
そんなアゼルに、畳み掛けるようにヴェロニカは続けた。
「聞いてくれたら私、何でもするわ。あなたのものになったっていい。……いいえ、私があなたの従者になるわ。何でも言うことを聞いてあげる。だから、お願いよ……っ」
「…………」
ゼルペンティーナの視線にはずっと気付いていた。
その瞳はこう言っていた。
「どうするの、アゼル?」――と。
アゼルはふう、と一つ息を吐いた。
「ゼラ、鞘を出してくれ」
「……」
ゼルペンティーナが黙って虚空から鞘を出現させる。
アゼルはそれを受け取ると、短剣を鞘に納めた。
「アゼル……!」
ヴェロニカが歓喜の表情を浮かべる。
それを尻目に。
アゼルは身を翻すと、貫手でクラリモンドの胸を貫いた。




