第97話 決着
ロミュオーの放った攻撃魔術は膨大な熱と破壊を撒き散らし、聖堂そのものを大きく鳴動させた。
その破壊力は凄まじく、両側の側廊を完全に崩落させた。
また天井にも深刻な損傷を与え、一部は崩れて穴が開いていた。
黒煙がもうもうと舞い上がり、崩れた天井から瓦礫がバラバラと降り注ぐ。
爆心地となった床には先ほどとは比較にならない規模の、巨大なクレーターができていた。
未だ熱波が収まらぬ中、その大破壊を為した張本人であるロミュオーは自らの魔術が刻み付けた爪痕に惚れ惚れと見入っていた。
「くは……くはははは! 見ろ、圧倒的じゃないか! あの餓鬼、塵も残さず消滅したぞ! 聖女もろともだ!」
クラリモンドの姿で悦に入り、高笑いする。
「自分が庇えば守れると思ったか? 残念、とんだ勘違いだ。僕の深遠たる魔術の奥義は貴様ごとき脆弱な小僧がどうにかできるものではな――」
彼は最後まで言い切ることができなかった。
そして突然ガラリとその表情を変えると、打って変わって非難するような声を上げた。
「ロミュオー、何てことをしてくれたの? ヴェロニカには手を出さない約束でしょう!」
『ふん……本当に煩いな、君は』
クラリモンドの背中から半実体の姿を現わしつつ、うんざりしたようにロミュオーは答えた。
「あの状況ではやむを得ないだろう。ああでもしなければこちらがやられる可能性があった。手段を選んでいられる状況じゃなかった」
「だからといって……」
「黙れ! そもそもお前が余計な注文をつけるから手こずる羽目になったんだ。最初から手段を選ばずまとめて殺してさえいれば、あんな餓鬼に遅れを取るような醜態を晒さずに済んだんだ!」
「ロミュオー……」
「いくら教え子の身が可愛くとも自分が死んだのでは意味がないだろう。なに、代わりが欲しければいくらでも僕が見繕ってきてやるさ」
「……」
「さて、聖女の死体を確認するか。頭だけでも残っていればいいんだが……」
その時。
――風が吹いた。
立ち込める煙が、ふっと薄らぐ。
「……ん?」
ロミュオーは不審げに眉根を寄せた。
煙の向こうに、何かが見えた気がしたのだ。
(なんだ?)
薄くなった煙をうっすらと染め上げるように、何かが青い光を放っている。
「まさか……」
愕然と呟く。
その光には見覚えがあった。
いや、目撃したばかりだった。
その青白い燐光を。
(まさかまさかまさか)
ロミュオーの顔に動揺が走る。
だが、何度見直してもその忌々しい光を見紛う筈もない。
「守護障壁……!」
青白い神聖魔法の輝きを前に、ギリギリと奥歯を噛み締める。
腸が煮えくり返る思いだったが、ロミュオーは認めざるを得なかった。
自分の魔術は残念ながら、あれに防がれてしまったのだと。
――しかし、彼が真に驚愕するのはこの後だった。
「な……?」
煙がさらに薄まり、そこに立っている人影が露わになる。
現れたその人影を見て、ロミュオーは今度こそ完全に言葉を失った。
あらゆる破壊的な力から対象者を守護する、神聖なる五芒星の光。
聖女となったリタが先ほど見せたそれを、しかし今展開しているのは彼女ではない。
「ヴェロニカ……」
クラリモンドが呆然と呟く。
守護障壁を紡いでいるのは――ヴェロニカだった。
「馬鹿な!」
ロミュオーが悲鳴じみた声を上げる。
「高等魔法だぞ! いくら天使の助力を得たところで、聖女でもない見習いが扱えるものじゃないはずだ!」
「舐めてんじゃ……ないわよ。聖女が何ですって?」
障壁の維持に全精力を注ぎながら、ヴェロニカが無理やり笑みを浮かべる。
「あの子にできて、私にできないことなんて……何一つだって、ないのよ!」
そう啖呵を切ると同時にヴェロニカは力尽きた。
掌から放っていた燐光が消え、障壁が消滅する。
そのまま倒れ込みそうになるのを、意地で堪えた。
「……ヴェロニカ……」
床に手を着いて息を荒げる教え子を見つめ、クラリモンドが声を洩らす。
「あの子が、あんな高等な術を……」
その声は震えを帯びていた。
「おのれぇぇっ! なぜだ! なぜこうも邪魔ばかり入る!?」
一方、ロミュオーは癇癪を起こしていた。
「だ……だが、あの小僧はいないな。どこにもいない。……死んだか?」
僅かに怯えを含んだ顔で視線を動かす。
しかし……いない。
どこにもアゼルの姿はない。
守護障壁によって護られたのは術を行使したヴェロニカ本人と、その隣にいたマルク。
そして後ろで失神しているリタとアンジェリカ。
この4人のみ。
破壊され尽くした聖堂をしばらく神経質に窺っていたロミュオーは、やがて安堵したように顎の下の汗を拭った。
「いない……やはりいない。あの小僧は死んだらしい。僕の魔術でくたばったんだ!」
そして一転して嬉色満面の顔を浮かべた。
「だったらもう心配はいらない。いくら天使の加護があろうと、今のあいつらは何も怖くないんだからな。とっとと聖女を殺してしまうとしよう!」
「いいえ……そうじゃないわ」
その言葉にクラリモンドが首を振った。
「何?」
「もし彼が死んでいたなら、あの子たちはあんな顔をしていないわ。あんな……希望に満ちた顔を」
「何を言っている?」
ロミュオーが訝しげに見下ろす。
しかし彼女は彼を見ていなかった。
クラリモンドの瞳はただ一心に、子供達の顔を見つめていた。
「あの子達は確信しているんだわ。……彼の勝利を。自分たちに確かな未来が――明日が待っていることを!」
「馬鹿な。何を言っているんだ君は?」
呆れたようにロミュオーは言った。
「あの爆発で生きていられる筈がないだろう。あんなちゃちな魔鎧で僕の魔術に耐えられるはずがないんだからね。奴らは跡形もなく灰になったのさ」
そう言うと天を仰いで勝鬨をあげた。
「そうさ、くたばったんだ! 生意気な小僧と身の程しらずの下級悪魔め。今ごろは地獄で自分達の愚かさを嘆いていることだろうよ!」
そのまま高笑いを上げる。
その視界の中、何かが動いた。
「……? 何だ?」
天井近くに何かがある。
黒煙はまだ上がっている。焼け焦げた煤が風に乗り、舞い上がっているだけだとロミュオーは思った。
しかし、そうではなかった。
天井の辺りに「何か」が浮かんでいる。
羽を広げ、焔が上げる煙と上昇気流に乗って、空中を漂っている。
今日何度目かの驚愕に、ロミュオーは顔を大きく引き攣らせた。
「あれは――!」
『……ほらね。言った通りでしょう?』
ヴェロニカ達を見下ろしながらゼルペンティーナが言った。
『あの子たちなら心配ないって』
「そうだな」
広げた羽で宙を舞いながら、アゼルは頷いた。
――あの時。
リタ達を庇いに飛び出そうとしたアゼルを呼び止めた者が、二人いた。
一人はゼルペンティーナ。
もう一人はヴェロニカ。
彼女たちが伝えようとした言葉はそれぞれ違っていたが、意味するところは同じだった。
ゼルペンティーナは、『行くな』と。
そしてヴェロニカは、「来るな」と。
彼女達の声を信じ、アゼルは跳んだ。
少しでも遅れていたら自分は死んでいたに違いない。
跳ぶ直前に見たヴェロニカの目を思い出す。
視線が交わったあの瞬間、彼女の瞳は確かにこう言っていた。
「こちらは大丈夫だから、跳べ」と。
だからアゼルは跳ぶことができた。魔術が起こした爆風に乗り、宙を舞った。
申し訳程度の小さな翼でも、風に乗って浮かぶことぐらいはできた。
『まったく大したものね、あの子は』
「そうだな」
跳びながらアゼルは見ていた。ヴェロニカの魔法が、あの巨大な爆発から仲間たちを護る姿を。
その姿は勇敢で、そして――気高かった。
負けてられないな、と思う。
『気付かれたみたいね』
こちらを見上げるロミュオーを見て、ゼルペンティーナが言う。
「問題ない。あとは落ちるだけだ」
遥か下方の標的を見つめ、アゼルは静かに答えた。
羽を畳むと、下降が始まった。
その速度は次第に上がり、周囲の風景が溶けてゆく。
『どこに落ちればいいか、わかるわね?』
「ああ」
答えながら羽を動かし、軌道を僅かに修正する。
目指す場所へと、誤たず落ちるように。
「ちゃんと視えている」
羽ばたくと、落下速度はさらに増した。
「奴らが来るぞ! 早く逃げるんだ!」
一方、地上ではロミュオーが恐慌状態に陥っていた。
「おい、何をしている!? お前が動かなければ僕も逃げられないだろう!」
「……」
しかしクラリモンドの反応は鈍く、迫り来るアゼルを緩慢に見上げるばかり。
「聞いているのか、おいっ!」
焦ったロミュオーが口汚くクラリモンドを罵る。
それを上から見ていたアゼルの胸に、様々な想いが生じた。
父が死に、孤児となったこと。
リタが聖女候補に選ばれたこと。
そして……マルクと婚約したこと。
(未練だな)
アゼルは思い切るように首を振った。
思い出すのは昔のことばかりではない。この数日のことも頭を過ぎった。
初めてマルクと語らったこと。
気付けなかったヴェロニカの想い。
そして……ゼルペンティーナと交わした契約。
アンジェリカやキュリルス。そしてヌートに到るまで、様々な顔が脳裏を過ぎった。
様々な想いが、胸に溢れた。
それらは次第に膨れ上がると、喉を突く叫びとなって、アゼルの口から迸り出た。
「――おおぉっ!」
「ひぃぃっ!?」
獣じみた咆哮に恐れをなしたロミュオーが、半狂乱でクラリモンドの肩を揺する。
「クラリモンド! おい、クラリモンドっ!」
「……」
「ええい! この馬鹿女がぁっ!」
業を煮やしたロミュオーが拳を振り上げる。
次の瞬間。
「――――――――ぉぉぉぉおおおっっ!!」
流星のように舞い降りたアゼルの短剣が、その首を一撃で刎ね飛ばした。




