第94話 未来視の力
「あんなの卑怯よ! 見えないところから攻撃するなんて!」
「……いや、卑怯とまでは言えないだろう」
柳眉を逆立てるヴェロニカとは対照的に、マルクは冷静だった。
「奴は自分の能力を有効活用しているだけだ。卑怯とまでは言えない」
「どっちの味方なんですか!? アゼルがピンチなんですよ!」
憤慨したヴェロニカが戦闘を指で差し示す。
その先では負傷したアゼルが敵の攻撃から逃げ回っていた。
「問われるまでもない。むろん俺はアゼルの味方だ」
「だったら……」
「だが、ピンチというのはどうかな」
「え?」
「落ち着いてよく見ろ。先程からアゼルは一度も攻撃を食らっていないぞ」
その言葉に振り返ると、ちょうど地面を突き破って現れた尻尾がアゼルに襲い掛かるところだった。
ヴェロニカは息を呑んだが、アゼルはそれをすんでの所で回避した。
「ほ……っ」
胸を撫で下ろして安堵する。
しかし安心している暇はなかった。すぐに次の攻撃に晒される。
アゼルはまたもそれをヒラリと躱した。
「ほらな」
「確かに……。でも、偶然じゃないんですか?」
「偶然じゃない。現にあの悪魔も、少しずつ余裕がなくなっているだろう」
「……ほんとだ」
ついさっきまで薄ら笑いを浮かべていたロミュオーだが、その顔は少し険しいものに変わっていた。
思い描いた通りにことが運ばず焦れているようにも見える。
「だけど防戦一方じゃないですか」
「肩の傷のせいで剣を振れないんだ。今はそれが癒えるのを待っているんだろう」
しごく落ち着いた態度でマルクは言った。
「怪我が治り次第反撃に転じるはずだ」
あたかも予言するようにそう告げる。
ヴェロニカはそれを疑わしそうな面持ちで聞いたが、はたしてすぐにギィンッ! という高い金属音が響き渡った。
アゼルが尻尾を切断した音だった。
「なにぃっ!?」
「……よし」
動揺を顕わにする悪魔とは対照的に、マルクは静かに拳を握った。
「ウソ……」
自分の目で見たものが信じられず、ヴェロニカはしばし呆然とする。
「信じられない。もう敵の攻撃を見切ったっていうんですか? こんな戦いの最中に」
アゼルが肩を負傷してから幾許も時間は過ぎていない。ヴェロニカにとっては長く感じたが、実際は五分も経っていないはずだ。
それなのに、彼はもう敵の攻撃を見切ってしまったというのだろうか。
「正確には見切ったという訳ではないだろう」
マルクは首を振った。
「どういうことですか?」
「言葉で説明するよりも見た方が早い。よく見ていろ」
言われた通りに視線を戻す。
と、すぐにまた一本の尾が地面からアゼルに襲い掛かろうとした。
それをアゼルは自分に当たる寸前で躱し、短剣の一撃を見舞わせる。
短い刀身が弧を描き、金属音と共に尻尾が千切れ飛んだ。
「……な?」
「いや『な』って言われても」
正直なにが言いたいのかわからない。
「わからなかったか。アゼルは今、床から攻撃が現れる前に回避を始めていたんだ」
「……? どういうことですか?」
「今のアゼルでもあんな至近距離から突然現れる攻撃を回避するのは難しい。見てから避けたのでは間に合わない。だから、見る前から回避行動に入っているんだ」
「……でも、そんなの不可能じゃないですか」
地面の下に潜んでいる尻尾がどこから現れるかなんて、わかる筈がない。
しかしマルクはまた首を振る。
「いや、不可能じゃない。それが『もう一つの理由』だ」
「え?」
一瞬、何のことかわからずに戸惑う。
しかしすぐに思い出した。確かに彼は言っていたのだ。
アゼルが負けない理由は、『二つ』あると。
「マルク様、その理由って?」
「忘れたのか? お前も知っているはずだ。あのゼルペンティーナという悪魔の能力を」
「……あ」
思わずポカンと口を開ける。
そうだ、すっかり忘れていた。
あいつの能力は……。
「『未来視』」
『ようやく使い方がわかってきたようね』
「黙っててくれ。気が散る」
集中していたところに水を差され、アゼルはぼやきながら頭を後ろに逸らした。
直後、床を砕いて飛び出してきた尾がそれまで頭部のあった場所を通り過ぎてゆく。
返す刀でその尾を斬り飛ばす。
『随分な言い草ね。人の能力を使わせてあげてるってのに』
「恩着せがましい奴だな」
切断した尻尾の残りが地面に引っ込むのを見ながらアゼルは毒づいた。
「未来が見えるって言ってもほんの一瞬でしかないじゃないか。使いづらいんだよ」
そうこう言っている内に次の攻撃が来るのが視えた。
今度は……足元だ。
真下からいきなり飛び出してきた尻尾が、右足の甲を貫くのだ。
だが、それは実際の出来事ではなかった。
アゼルが半歩だけ後ろに退がると、その右足には傷一つない。
足を貫いた尻尾は、未来視が見せた幻の映像に過ぎないからだ。
――と。
ヒュガッ!
アゼルが幻視した映像に僅かに遅れて、それをそのままなぞったかのように真下から尻尾が飛び出してきた。
退がらなかったら幻視した通りに右足を貫かれ、機動力を奪われていただろう。
標的を見失い、虚しく目の前を通り過ぎていく尾を冷静に眺めながら、短剣で切断する。
今のは完全に死角からの攻撃だった。
本来なら回避するのは不可能だったろう。
ゼルペンティーナが威張る通り、未来視がなければ窮地に陥っていた筈だ。
とはいえ使い勝手が悪いことには変わりがない。
「せめてもう少し早く次の攻撃の位置がわかれば助かるのに」
『それはあんたが未熟なだけ。能力を磨けばもっと先の未来だって視れるようになるわ。自分の未熟さを棚に上げて文句を言わないでほしいわね』
アゼルがぼやくと、反論が倍になって返ってくる。
「わかってるよ」
『戦闘中に一瞬とはいえ未来が視えることは大きなアドバンテージよ。勝ちたいならちゃんと使いこなしてみせなさいな』
言われてできるものならやっている、と内心で不平を零す。
率直に言って、そんなに恩を着せられるほど使い勝手がいい能力とは思えなかった。
とはいえ文句を言える状況でもない。認めるのは癪だが、未来視がなかったらとっくにやられていたのは事実なのだ。
生き残るためにも、そしてあのロミュオーを倒すためにも、四の五の言ってはいられない。
その時だった。
(っ!?)
突然ぞくっと背筋に悪寒が走った。
何の脈絡もなく、自分が背中から貫かれる映像が頭に浮かんだのだ。
考える間もなく、アゼルは咄嗟に横に跳んだ。
「なにっ!?」
遠くでロミュオーが叫ぶ声がした。
跳びながら振り向くと、まさに直前まで自分が立っていた場所を尻尾が通過するところだった。
ほんの僅かでも躊躇していたら、映像の通りに刺し貫かれていたに違いない。
(なんだ今のは?)
動悸がなかなか治まらない。間一髪のところで、辛くも命を拾った。
奇妙な感覚だった。
まるで背後からの攻撃が、一瞬見えたような……。
『あーあ、もったいないわね。今の、反撃できたんじゃない?』
ゼルペンティーナが意地の悪い口調で揶揄してくる。
それには取り合わず訊ねた。
「ゼラ、今のは何だ。まるで後ろから来る攻撃が見えたようだった」
『別に不思議でもなんでもないわよ。未来視は普通の視覚とは違うんだから』
「視覚じゃない?」
『そうよ。未来視なんて言われ方をされるけど、未来視は肉眼による視覚とはまるで別物なのよ』
「……」
確かに、いま脳裏に浮かんだ映像は視覚とは異なっていた。
これまでアゼルが未来視だとおもっていたものは、肉眼で見ている映像に被さるように視えていた。自分に迫る尻尾の現在の姿と、その一瞬後の姿が二重写しの軌道のように見えていたのだ。
だが、今見た映像はそれとはまるで別物だった。
それは、そもそも肉眼では見ることが不可能なもの。
なにしろ、自分が視えた。
自分の背中に尻尾の先端が突き刺さる映像を、アゼルは視たのだ。
それは肉眼による視覚では決して見ることができないものだった。
『前に話したでしょう? 未来視が視ているものは現実の物体じゃない。因果律の流れ……すなわち、運命の糸だと』
「運命……」
『そう。アゼルがこれから辿ることになる運命を、未来視は一足先に視せている。だから肉眼では見えないはずのものだって視ることができるのよ』
「……」
『戦闘が始まってからずっと、あんたは無意識にこの力を使っていた。死角から襲ってくる攻撃を危険信号として受け取って、無意識に避けようとしていたのよ。あんたはただの勘だと思っていたでしょうけどね』
「そう……なのか」
言われてみれば思い当たる場面がいくつかあった。
敵の攻撃に囲まれた時、無意識にどちらに跳べばいいのかわかっていたような気がする。
いくら悪魔憑きになったとはいえ、戦いの素人である自分が敵の攻撃をあれほど回避できたのはおかしいと思っていたが……そういうことだったのか。
そうでなければ自分はとっくにやられていただろう。
『ほら、また来るわよ』
その言葉通り、また映像を幻視する。
今度は2本だった。
右前方と、左後方。2方向から同時に攻撃がやってくる。
映像の中の自分は前方の尻尾に気を取られ、背後からの攻撃に刺し貫かれていた。
それを見たアゼルはその場に身を投げ出した。
地面に倒れ込みつつ、くるりと半回転して仰向けの体勢になる。
と、2本の尻尾が自分の真上で交差していった。
背中が地面に着く前に、アゼルは短剣を横に薙いだ。
2本の尾が交差する場所を、正確に。
はたしてその一振りは、狙い通りに2本の尾を同時に切断した。
「やった!」
後ろでヴェロニカが喝采を上げる。
それに気を取られつつも、アゼルは思わず呟いていた。
「……お前って、実は凄い悪魔なのか?」
『気付くのが遅いわよ、あんた』
そう言うゼルペンティーナの声は、満更でもなさそうだった。




