第93話 ロミュオーの奥の手
(馬鹿な馬鹿な馬鹿な――――馬鹿な!)
ロミュオーは焦っていた。
あの生意気な小僧はこちらの攻撃を掻い潜り、着実に間合いを詰めてきている。
ある程度の距離まで近づけば一気にこちらの懐に飛び込んでくるつもりだろう。
そして接近戦に持ち込まれてしまう。
(そうなれば……)
歯軋りした。
認めたくはない。認めたくはないが――。
(接近戦で勝てるとは限らない)
奴の短剣はこちらの魔鎧を切り裂く。
それはつまり、自分の命に届き得るということだ。
(そんなことは断じてあってはならない!)
あんな取るに足らない連中に自分が敗北するなど、決してあってはならないことだった。
本気で戦えばむろん接近戦でも後れを取るつもりはない。――つもりはないが、そんな馬鹿げた可能性が存在すること自体が問題だ。
聖女を殺せば自分の地位は保証される。その筈だった。
誰もが認める栄誉を掴み、より強大な力と、そして確固たる地位を手に入れる。
長年の念願である上級悪魔となり、輝かしい未来が約束される。
そんな有能な自分があんな雑魚相手にリスクを負う必要などない。
敗北する可能性があること自体、決してあってはならないのだ。
……だからこそ、これ以上あの連中を近づけさせてはならない。
そのためには。
「ろ、ロミュオー!攻撃がぜんぜん当たらないわ!」
「ええい、うるさい!この下手糞め!」
泣き言を口にするクラリモンドに罵声を浴びせる。
「僕の能力を使ってあんな雑魚に敗北するなど許されない。代われ、僕がやる!」
「え、代われって……」
「君の身体を使わせろと言っているんだ。僕があいつを倒してやる」
「でも……それは」
「四の五の言っている場合か!奴はもうそこまで迫っているんだぞ!」
「わ、わかったわ」
戸惑いを見せるクラリモンドを怒鳴りつけ、承諾させる。
それを合図にロミュオーは、クラリモンドの背から突きだしていた半実体を相手の身体に同化させた。
そして。
「くく――。最初からこうしていればよかったんだ」
クラリモンドの口を動かし、クラリモンドの声でロミュオーは言った。
「覚悟はいいか?蹂躙してやるぞ、下賎の者ども」
クラリモンドが――彼女の身体を借りたロミュオーが――アゼルを睥睨し、捻じ曲がった悪意で歪んだ笑みを口辺に浮かべた。
その変化にはアゼル達も気付いていた。
『向こうもいよいよ本気ね』
「ああ」
ブツブツと口の中で呪文を唱えていたロミュオーが、大きく腕を広げる。
『来るわよ』
「わかってる」
「爆炎!」
ロミュオーの呪文が発動し、一瞬の後にアゼルの視界は紅蓮の焔に埋め尽くされた。
広範囲を熱波で焼き尽くす炎熱魔法だ。
アゼルは後方に大きく飛び退いて焔から逃れる。
それを見たロミュオーは含み笑いを洩らした。
自らの優位を見せ付けるように、続けざまに呪文を口にする。
「再生」
と――短くなった尻尾の先端が盛り上がり始めた。4本全ての尾が。
数秒後には、アゼルに斬られたはずの尻尾は全て元通りの長さに回復していた。
「尾が一瞬で……」
『自己修復の上位魔法ね。腕や脚を一から生やすのは無理だけど、元から人間の身体に備わっている部位以外なら再生できるのよ』
「なるほど」
その説明でアゼルは納得した。
元から人間に備わっている手足と違い、羽や尻尾は悪魔の魔力を実体化したものだ。ならば再生するのも簡単というわけか。
「何あれ、ずっるい!」
後方でヴェロニカが叫び声を上げる。
「せっかく頑張ってあそこまで削ったのに……」
「くはは!残念だったな」
その反応に自尊心を回復させたのか、ロミュオーが余裕の態度を取り戻す。
「僕を追い詰めたとでも思ったかい?君には残念だろうが仕切り直しだ」
「別に残念でもないさ」
アゼルは軽く腕を振り、黒い刀身についた尾の残滓を払った。
「また同じことをすればいいだけだ。何度でもな」
再び開いた距離で、アゼルは先程と同じように短剣を相手に向けた。
クラリモンドの身体を借りたロミュオーの眉が、不快げに跳ねる。
「同じではない。光栄に思え、今度は僕が直々に相手をしてやるんだ。同じようにいくと思うなよ」
「そうか」
気のない声で答えると、アゼルは構えた。
上半身の力を抜き、短剣を持つ右手を軽く前に出す。
腰を少し落とし、膝は僅かに曲げる。
誰に教わった訳でもない。自分の動きやすいようにした結果、自然とこの形をとっていた。
「ご託はいい。とっとと掛かってこい」
「吠え面をかかせてやる……」
ロミュオーが眉間に皺を寄せ、腕を掲げる。
そして高らかに叫んだ。
「爆炎!」
「!?」
広範囲を焼き尽くす炎熱魔法により、アゼルの視界が再び焔で埋まる。
ついさっき見せられたばかりの呪文だった。効果範囲が広いから見た目こそ派手だが、威力はさほどないことは既に知っている。
生身ならともかく、こちらも魔鎧を纏った今ならさして脅威ではない。
だからこそアゼルは訝しんだ。
(一体なんの意味があるんだ?)
ロミュオーとの距離が離れたため、熱波はこちらまで届いていない。先ほどの呪文はこちらとの距離を稼ぐためだったのだろうが、既に距離がある状況では本当に何の意味もない。
いや……。
(目くらましか)
攻撃ではなく、視界を遮ること自体が目的なのかと察する。
だとしたら焔を目隠しにして尻尾が飛んでくるに違いない。
アゼルはどこから攻撃が来てもいいよう、視界を埋め尽くす焔を油断なく見据えて待ち受けた。
と、火の勢いは次第に弱まっていく。
「……なんだ?」
拍子抜けして呟く。待ち構えていた攻撃は結局、来なかったのだ。
まさか逃げたのか?と思ったが、そういう訳でもなかった。
爆炎が晴れた後を見やれば、ロミュオーは元の位置から動いていない。訝しむこちらの様子を眺めて、ただニタニタと嗤っている。
「何のつもりだ?」
答える訳はないと知りつつ問うても、案の定ロミュオーは嘲るように嗤うばかりだった。
一体どういうつもりなのか……。
(?)
アゼルは違和感を覚えた。
(……何だ?)
何かがおかしい。
視線を左右させ、周囲を警戒する。
しかしどこからも攻撃が迫っている様子はなかった。
ただ……妙な音がする。
先ほどの炎熱呪文の余波であちこちで火が燻っていた。その音に紛れて気付くのが遅れたが、くぐもった音が断続的にどこかから響いてくるのだ。
その正体を見極めようと周囲を見渡したアゼルは、奇妙なことに気付いた。
(尾が短くなっている?)
ロミュオー本体から視線で辿ると、それは地面にバラけるように四方に広げられ、床に横たえられているようだった。
ただその長さはどれも、先ほど見た時より短くなっているように見えた。呪文で再生したばかりであるにもかかわらず。
そして、また気付いたことがあった。
さっきから続いているのは音だけではない。……振動もだ。
地面がわずかに振動している。
それが少しずつ――近づいてくる!
アゼルがその意味を悟るより一瞬早く、マルクが叫んだ。
「下だ!」
「!?」
マルクの警告と、固い石の床を砕いてロミュオーの尾が飛び出してきたのはほとんど同時だった。
アゼルを取り囲むように、四方から4本の尾が同時に襲い掛かってくる!
「なにっ!?」
反射的に身体を前方に投げ出す。
しかし躱しきることはできなかった。
前方から飛び出してきた尻尾に右の肩口を大きく抉られる。
「アゼル!」
鮮血が飛ぶのを見たヴェロニカが悲鳴を上げる。
「くそ……っ」
傷口からボタボタと血を垂らしながらアゼルは毒づいた。
これでは短剣を振れない。
「ゼラ、回復できるか?」
『修理はもう使えないわ。右腕だけ自己修復を掛けるけど、すぐには治らないわよ』
「それでいい。頼む」
『了解』
怪我を負った右肩を対象に自己修復が発動する。だが、傷口は一向に塞がらない。
ゼルペンティーナの言う通り、完治には時間が掛かりそうだった。
しかしマルクの警告がなければ、抉られたのは右肩だけでは済まなかっただろう。
「チッ。余計なことを。あいつがいなければ仕留められていたものを……」
ロミュオーが忌々しげにマルクを睨む。
「……まあいい。あの様子ではどのみち次は躱せまい」
肩を抑えるアゼルの姿に溜飲を下げたのか、ロミュオーは機嫌よく笑みを浮かべた。
それを視野の端で捉えながらアゼルは短剣を左に持ち替え、立ち上がる。
既にその時には4本の尾はそれぞれ出てきた穴に戻り、視界から消えていた。
「くく、次はどこから来るかな?さあ、避けられるものなら避けてみろ……」
余裕を取り戻したロミュオーを見据え、アゼルはただ静かに呼吸を整えた。




