第92話 適性
「あいつ……傷が治ってない。自己修復が働いてないんだわ」
「魔力を節約しているんだろう。多少の傷ぐらいなら戦闘に支障はないからな」
「そんなのって……」
マルクの言葉にヴェロニカは言葉を失くす。
戦闘に支障はないとはいっても、痛みはあるはずではないか。
「あいつ、どうしてあそこまでできるの?誰かと戦うなんて、今日が初めての筈なのに。それなのに、いきなりあんな……恐ろしい悪魔と戦わされて。あんなに傷だらけになってまで、どうして……」
騎士としての訓練を受けているマルクと違い、アゼルは戦闘とは無縁の生き方をしていたはずだ。
いくら悪魔憑きになったとはいえ、いきなりあそこまで戦えるものだろうか。
「一昨日の夜、あいつと話をした」
「え?」
唐突な言葉にヴェロニカは戸惑った。
訝しげな視線をマルクに向けるが、彼はこちらを見ていなかった。一心に戦闘を見つめている。
そして視線を離さないまま続けた。
「俺はアゼルに冒険者になったらどうだと勧めた。あいつに向いていると思ったからだ。そしたらあいつ、何て言ったと思う?」
「……何て言ったんですか」
「自分には戦うことなんてできない。だから冒険者には向いていない、とさ」
「アゼルがそんなことを?」
ヴェロニカは思わず呆れてしまった。
昨日までなら確かに自分もそう思ったかもしれない。
しかし、今は違う。
あんな強大な悪魔と互角に渡り合う彼の姿を見て、向いていないなどと思う者はいないだろう。
「あいつはこうも言っていた。たとえ魔物相手だろうと、自分には剣を振るうなんてできそうにない。だから戦いに向いていないとな。……おかしな話だ」
「おかしな話?」
「だってそうだろう。普通、戦いが苦手な奴というのは傷つけられるのが怖いからそう思うんだ。ところがあいつは、誰かを傷つけるのが怖いから無理だと言った」
「あ……」
言われてみればその通りだった。アゼルは無意識に、自分を「傷つける側」に置いている。
「あいつは自分が傷つくことを恐れていない。ただ、優しすぎるんだ。誰かと争ってまで何かを手に入れようとは思わない。そういう奴だ」
「……そうですね」
「そういう奴は自分のためでなければ戦える。自分が傷つくことを恐れず、誰かを護るために立ち向かうことができるんだ。ちょうど今の、あいつのようにな」
そう確信をもって語るマルクを見て……。
ヴェロニカはふと疑問を抱いた。
「マルク様って、あいつとあまり話したことがないんじゃありませんでしたっけ?」
ヴェロニカの認識ではその筈だった。一年近く顔を合わせているのに、最近まで二人はろくに話したことがなかったと。
その割には詳しすぎないだろうか?
言葉足らずの質問だったが、意図はきちんと伝わったらしい。
マルクは頷くと、こう答えた。
「ああ。だが、リタにさんざん聞かされたからな」
「リタに?」
「『アゼルは凄いんだ、とっても優しくて強い人なんだ』……とな」
「あの子……」
ヴェロニカは額に手を当てた。
婚約者相手にそんなことを話す馬鹿がどこの世界にいるというのだ。
きっとリタのことだから悪気はないのだろう。まったく何の含みもなく、純粋に善意で自分の幼馴染の話をマルクに語って聞かせたのだろう。
しかも、自慢げに。
(なんて質が悪い)
心からマルクに同情した。付き合わされた彼は堪ったものではなかったろう。
だからこそ、続くマルクの言葉に彼女は耳を疑った。
戦いに目を向けながら、マルクはたしかにこう呟いたのだ。
「だから俺は、あいつと友人になりたかったんだ」
――と。
唖然とその横顔を眺め、ヴェロニカは今度こそ心底呆れ果てていた。
「マルク様……それ、いいんですか?ご自分の婚約者からそんな話を聞かされて」
「ん?……さて、どうだろうな」
口元に浮かびかけた笑みをマルクが噛み殺す。
それはヴェロニカが初めて見る彼の表情だった。
次いでマルクが、何かを言おうと口を開きかけるのが見えた。
その時だった。
どぉん、と轟音が響き、巨大な振動が聖堂全体を揺らした。
アゼルが斬った尻尾が柱を薙ぎ倒し、とうとう片方の側廊が倒壊したのだ。
側廊の二階部分がガラガラと音を立てて崩れていく。
「……」
一瞬そちらに気を取られたヴェロニカは、マルクの言葉を聞き逃してしまった。
だが、何かを呟いていたことは唇の動きでわかった。
「マルク様、今……」
「何だ?」
振り返ったマルクの表情を見て、口に出しかけた言葉を呑み込む。
聞いたところで答えてはくれない。そうわかってしまったから。
だから代わりに、別のことを訊ねた。
「アゼルは勝てるでしょうか」
「ああ、勝てる」
その口調があまりに確信に満ちていたので、ヴェロニカは少し驚いた。
「どうしてわかるんですか?」
「理由は二つある。一つは、アゼルの動きが少しずつ洗練されていることだ」
「洗練……ですか」
「ああ。おそらくあいつは最初、戸惑っていたんだ」
「戸惑う?」
「自分の身体がどの程度動けるかわからなかったんだ。急に身体能力が上がったんだから当然だな。それで動きの制御がうまくいかず、必要以上に動作が大きくなっていた」
「なるほど」
身体がうまく動かせないから反撃をうまく当てられない。
或いは、相手の攻撃を避けきれずに食らってしまう。
戦いに疎いヴェロニカにもそれぐらいは理解できた。
「それが今は違うと?」
「ああ。身体の使い方がわかって、最小限の動きで攻撃を躱すことができている。見ろ」
促されて視線を戻す。
そして気付いた。アゼルは絶えず動き続けているのだ。
次々に襲いくる敵の攻撃を跳んで躱し、或いは反撃を加え、そして次の場所に跳ぶ。
その一連の動作を切れ目なく、延々と繰り返している。
同じ場所に寸刻も立ち止まることなく、めまぐるしく動き続けている。離れて見ているこちらの目が、彼の動きを追いきれないほどに……。
思い返せば、たしかに最初はああではなかった。
着地する時に勢いを殺しきれずに体勢を崩し、攻撃を食らっていた。
あるいは攻撃を回避しようと跳んだはいいものの、跳びすぎて別の攻撃を食らってしまうこともあった。
それが今は、違う。
「光弾よ穿て!」
ロミュオーの攻撃魔法をアゼルが横に跳んで躱す。
その着地した瞬間を狙って上から尻尾が突き刺しにくるも、その時には既にアゼルは別の場所に移動している。
後に、切断された尾だけを残して。
「ちょこまかと!」
苛立ったクラリモンドが宙に跳んだアゼルを串刺しにしようとするのを見て、ヴェロニカは声を上げそうになった。
空中では身動きが取れない。そう思ったからだ。
しかし、避けられないと思いきや。なんとアゼルは空中で身体を捻ると、難なくその攻撃を躱してしまった。
思わず目を奪われていた。なんてしなやかな動きなんだろう?
(そういえば)
ふと思い出す。
そういえば、アゼルは自分のことをパンテラ種の亜人なのだと言っていた。
アンジェリカによれば、それはネコ科の動物だということだったが。
「……なるほど」
実際に見て得心がいった。今の彼の動きは確かに、イヌよりもネコ科のそれを思わせる。
空中での身体の捻り。
小回りの利く俊敏な動作。
身体の柔軟さを生かした立ち回り。
実際に見たことはないが、それは野生の獣を思わせる動きだった。
マルクが彼に冒険者になるよう勧めたというのも、この姿を見れば納得できる。
「最初、アゼルは敵の4本の攻撃を避ける間に一本を斬り落とすのがやっとだった。それに手傷も多かった。動きに無駄が多く、最小限の動作で避けられなかったからだ」
「はい」
「それが次第に3本に1本の割合になった。そして今は2本に1本だ」
次々に繰り出される4本の尾による連続攻撃。
アゼルが一本目の攻撃を躱す。間髪入れず二本目が来る。
それも僅かに後ろに退いて、躱す。
そしてアゼルが何かしたと思った直後、その尾はスッパリと切り飛ばされている。
「避けざまに反撃しているんだ。……まったく、大した芸当だ」
マルクはなぜか誇らしげだった。
「誰にも教わらずにあれができるんだからな」
「野生の本能ですかね」
「野生ではないだろうが、本能的なものだろうな」
顔を見合わせ、小さく笑みをかわす。
と、ヴェロニカは思い出した。
勝てる根拠は二つあるのではなかったか?
「マルク様。もう一つの理由というのは?」
「ああ。それは……」
マルクはそれには答えず、戦闘を指で示した。
「見ていればわかる」
促され、ヴェロニカが視線を戻す。
いつのまにかクラリモンドの4本の尾は、随分と短くなっていた。
少しずつアゼルが距離を詰めている。ロミュオーとクラリモンドに、迫っている。
その短い刃が、彼らの喉元に届く距離へと。




