第91話 再戦
『さて、今度こそ本当の初陣よ。気を引き締めなさい』
「リタ達は大丈夫なのか?」
『あの子達なら大丈夫よ。あんたはあいつに集中しなさい』
「わかった」
アゼルは頷くと敵に意識を集中した。
「……どうやら図に乗っているようだな。ほんの少し動きが速くなったぐらいで」
それまでとは違い、ロミュオーは明確な敵意をアゼルに向けていた。
「あまり調子に乗るなよ。さっきは少し面食らっただけだ。糞雑魚が少々マシな雑魚になったぐらいで僕らの勝利は揺るがない。そうだろう、クラリモンド」
「ええ」
クラリモンドが頷くと同時、尾の一本がふっとかき消えた。――と、凄まじい速さで射出された尾がアゼルの頬を掠めていった。
微動だにしなかったアゼルの頬からたらり、と血が垂れる。
「……ふっ」
その様子を見て少し溜飲を下げたのか、ロミュオーがほくそ笑む。
「どうだ、今のが見えたか?言っておくが、こちらだってまだ本気を出してはいないんだ。あの程度の速度に対応できないとでも思ったのか?」
『アゼル、手を出しなさい』
「ああ」
何か言っているロミュオーを無視して、先ほどのマルクと同じように手を掲げる。
するとこれも先ほどと同じように、何もない場所から鞘に納まった剣が落ちてきた。
だがそれは、アゼルにとって見覚えがあるもの。
父の形見の短剣だった。
「これは……」
『勝手に持ってきちゃったわ。これを使いなさい』
頷いて、鞘からゆっくりと短剣を引き抜く。
一度も使ったことなどないというのに、すっかり手に馴染んだ感触。
間違いなく父の短剣だ、とアゼルは思った。
片手では少し重いと感じていたそれが、今は随分と軽く感じた。
――と、柄元から切っ先に向けて、刀身が徐々に黒く染まっていく。
「これは……」
ゼルペンティーナの魔力が自分の腕を通じて短剣に流れ込んでいるのだとアゼルは気付いた。
自分の身体を覆う、黒い魔鎧と同じように。
いや――それとは段違いの量の魔力が刀身に込められていることを、今のアゼルは感じ取ることができた。
『これでこの剣は折れないわ』
「助かる」
『使い方はわかるわね?』
「ああ……問題ない」
身体が軽い。武器もある。
リタたちのことも、ひとまず心配する必要はない。
ならば何の問題もない。
倒すべき相手に父の短剣を向け、アゼルは告げた。
「これで奴を倒せる」
「無視するな、餓鬼がぁっ!」
吠えたロミュオーが腕を掲げる。
それが開戦の合図となった。
「炎よ馳せよ!」
ごおぉっ!
ロミュオーの怒りを表すような火炎の渦が唸りを上げてアゼルに向けて放たれる。これまでとは明らかに違う、明確な殺意の込もった威力で。
アゼルがそれを横に跳んで躱すと、劫火は床の上の絨毯を燃え上がらせた。
「クラリモンド!」
「わかっているわ!」
跳んだアゼルの着地点を狙いすましたクラリモンドの尻尾が飛んでくる。
アゼルはそれを、更に逆方向に跳んで躱す。
しかしそこにも尾の一撃が待ち受けていた。
「これじゃさっきと同じね、坊や!」
勝ち誇ったクラリモンドの揶揄が飛ぶ。
アゼルはそれを無視し、突き刺すように飛んでくる尾を僅かに横にずれて躱す。
さらに半回転し、避けたばかりの尻尾に向き直ると、それに向けて叩きつけるように右手の短剣を振るった。
と――
ギャリィイッ!
という金属が擦れあうような音を立てて、クラリモンドの尻尾は千切れ飛んだ。
「っ!?」
尾の先が喪失した感覚にクラリモンドが慄然とする。
千切れた尾は攻撃の勢いのままに直進し、向かいの壁に激突した。
「馬鹿な……斬ったというのか、僕の魔鎧を。あんなチャチな短剣で!」
ロミュオーが驚愕の声を上げ、クラリモンドが引き戻した尾を確認する。
そして尾の先端が確かになくなっているのを見て歯軋りを洩らした。
「これでもさっきと同じか?」
「虫けらが調子に乗りおって……!」
ロミュオーが口の中でブツブツと呟くと、切断された尾の先端は再び棘状に尖った。
「あら、便利ね」
それを見たゼルペンティーナが感心したように揶揄する。
「だけど一本だけ短いとバランスが悪いわね」
「そうだな」
「他の三本も切り揃えてあげなさいよ、アゼル」
「ああ。そうしよう」
憤怒と屈辱で額に青筋を立てたロミュオーは顔を上げて凄んだ。
「できるものならやってみろ……っ」
一方、後方ではヴェロニカが歓喜の声をあげていた。
「やった!アゼルがやりましたよ、マルク様!」
「ああ。初めてこちらの攻撃が通じたな」
こちらは幾分冷静にマルクが応じる。
「今までは何をしても通じなかったのに」
「あの短剣のおかげだろう。アゼルがやったこと自体は先程と同じだ。敵の攻撃を避けて、そこに攻撃を叩き込む。作戦自体はよかったが、その攻撃が通じなかったせいでさっきは失敗した」
戦いの趨勢を見守りながらマルクが解説する。
「だが今はあの短剣がある。アゼルは距離を取りながら尻尾に反撃を加え、相手の射程距離を少しずつ削っていくつもりだろう」
ヴェロニカは戦いに目を転じた。
マルクの言う通り、アゼルは敵の連撃を掻い潜りながら時おり反撃に転じ、尻尾を切断している。
その度に千切れ飛んだ尾が壁面や側廊を支える柱に激突し、破壊の爪痕を増やしていた。
「……でも、あんな小さな剣でどうしてあの尾を切れるんでしょう」
「大きさは関係ない。恐らく魔力で刀身を強化しているんだろう。あの魔鎧と同様にな」
自身の剣を見下ろしながらマルクは言った。彼が見ていたのはゼルペンティーナから受け取った新しい剣ではなく、先ほどロミュオーに折られた剣の方だった。
それは刃毀れしながらも、何度もあの強靭な尻尾の攻撃を防いでいた。
ロミュオーの言葉通りなら、先ほどは彼自身も剣を強化していたのだ。
天使の力を借りて。
(天使……)
気付けば、ヴェロニカは自分の手を見つめていた。
自分にも天使の力がある。あの悪魔はそう言っていた。
未だ実感はなかったものの、それが本当ならば喜ばしいことのはずだった。
……なのに。
(どうしてだろう)
ずっと望んできたことだというのに、今はそれほど嬉しいとは思えなかった。
だが、それより今は目の前の戦いだ。
ヴェロニカは再びマルクを見上げた。
「そこがわからないんです。あちらも全身を魔鎧で覆っているんでしょう?」
「ああ。だから今まで攻撃が通じなかった」
「両者の魔鎧を見る限りではどう見てもゼラよりロミュオーの方が魔力量が多いように見えます。……ということは、アゼルの短剣よりも相手の魔鎧の方が硬いはずでしょう?それなのにどうして……」
「おそらくアゼル達は、防御を捨てているんだ」
「防御を捨てている?」
「彼我の魔力量の差はもちろんゼルペンティーナもわかっている。だからこそアゼルに纏わせる魔鎧は最小限に留め、その分の魔力を短剣に注ぎ込んでいるんだろう。だから一点突破で相手の魔鎧を突き破れる」
「そんな。じゃあ攻撃を食らったら……」
「ああ。ただではすまないだろうな」
ヴェロニカは慌てて戦いに視線を戻した。
折りしもちょうどその時、クラリモンドの尻尾の棘がアゼルの腕を掠めたところだった。
血飛沫が上がった。
「ああっ!」
ヴェロニカは思わず悲鳴を上げた。
「ははは、やはり脆いな!」
それを見たロミュオーが勝ち誇る。
「やはり紙だな。そんなもの、ないも同じだ!」
「失礼ね。ないよりはマシよ」
ゼルペンティーナが顔を出し、負けじと言い返している。
しかしヴェロニカから見てもそれは負け惜しみとしか思えなかった。
激しい攻防でわからなかったが、よく見ればアゼルは既にあちこちに手傷を負っているのだ。
これではさっきまでとあまり変わらない。
ゼルペンティーナはああ言っているが、向こうの言い分の方が正しいのではないのか?
「そう心配するな。あいつらは多少の負傷は折りこみ済みだ」
表情の曇ったヴェロニカを慰めるようにマルクは言った。
「折りこみ済みって……」
「アゼルの魔鎧は心臓などの急所だけは少し分厚く造ってあるようだ。……それにアゼルも、先ほどから致命傷になる部位への攻撃だけは徹底して避けている」
アゼルがまた尾を切断した。
それに苛立ったロミュオーが口汚い罵声を上げる。
斬られたクラリモンドの尻尾がその勢いのまま飛んでいき、側廊の柱を破壊した。
それを見ながらマルクは続けた。
「だから大丈夫だ」
「……そんなの、ぜんぜん大丈夫じゃないですよ」
こうして話をしている内にもアゼルは手傷を負っている。
いくら致命傷を避けているとは言え、見ている方としては気が気でなかった。




