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アゼルとゼラ(或いはリタ)  作者: 塵野オコ
第四章 「その日」
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第89話 天使の力

 だんっ!


 強く踏み込み、マルクが一気に相手への距離を詰める。


「!?」


 ヴェロニカに気を取られていたクラリモンドの反応が遅れる。


「ふっ!」


 その首を目掛け、マルクが気迫と共に剣を薙ぐ。

 敵の虚を突き、首を掻き切ることができる完璧なタイミングだった。

 ――だが。


「惜しかったね。僕がいなければやれていただろうに」


 ロミュオーがからかうように告げる。マルクの剣を、無造作に指で摘まみながら。

 マルクの起死回生の一閃は惜しくもロミュオーによって阻まれていた。


「あ……危なかったわ。ありがとうロミュオー」


 冷や汗を浮かべたクラリモンドが恋人に礼を言う。

 マルクの剣は彼女の首から指一本のところで止まっていた。


「どういたしまして、可愛い人。これは僕の当然の務めさ」


 軽い口調でそう言うと、ロミュオーはマルクの剣を仔細に観察し始めた。

 それには気付かず、クラリモンドがマルクを睨みつける。


「困ったお坊ちゃんね、マルク。不意打ちで淑女の首を斬ろうだなんて、行儀がなってないわ」


「それはすまないな」 


 掴まれた剣をなおも押し込もうと、力を込めながらマルクが答える。


「だが無抵抗の少女をいたぶる輩よりはマシだろう。俺もいいかげん我慢の限界だったんでな」


「ふん。……まあ、どうせ貴方には私を傷つけることなどできなかったでしょうけどね」


 クラリモンドが自らがその身に纏った魔鎧(よろい)を見せつけるように示す。


「咄嗟のことで驚かされはしたけど、それだけのこと。貴方の剣ではこの魔鎧に傷一つ付けられないのだから」


「いや、そうでもないよ」


 そう言ったのはロミュオーだった。

 思案げにマルクの剣を眺める恋人に、クラリモンドが怪訝な顔を向ける。


「ロミュオー?どうしたの」


「君は実際に危ないところだったんだよ。僕が止めていなければ、まあ首を落とされることはなかったろうが、それなりに痛い思いをしていたはずさ」


「どういうこと?」


「剣を掴んで確信した。この少年と、そしてあちらの赤い髪の少女……」


 ロミュオーは横目でヴェロニカに視線を走らせて続けた。


「この二人からは天使の気配がする」


「……え?」


「なんですって?」


 ヴェロニカとクラリモンドが驚きの声を上げる。

 一方、マルクは僅かに表情を動かしただけだった。


「どういうことなの、ロミュオー」


「この剣には微弱だが天使の力が宿っている。……おかしいと思っていたんだ。たとえどれほどの技量があろうと、並の剣ならとっくに折れていた筈だ」


「天使の力で剣の強度を上げていたということ?」


「ああ。魂の門(アストラル・ゲート)を通じて天使が彼に助力していたんだ。当の本人すら知らない内にね」


「じゃあ、ヴェロニカの治癒(ヒール)上級治癒(ハイヒール)に匹敵する効力を発揮したのも……」


「そうだ。天使の力が加わることで効力が上乗せされたんだ」


 その会話を聞きながら、ヴェロニカは知らず自分の両手を見つめていた。


(私に天使の力が?)


 実感はまるでなかった。さっきはアンジェリカの命を救いたい一心で、必死だっただけだ 。

 戸惑うヴェロニカをよそに二人は会話を続けていた。


「……でも、この二人はまだ見神の儀を受けていないわ」


 まだ信じられないという口調でクラリモンドが言う。

 しかし悪魔は首を振った。


「儀式は参入者の意識が天界と繋がりやすいように「場」を整えているに過ぎない。素質がある者なら儀式を経ずとも天界と繋がれる」


「儀式の補助なしに天使とコンタクトしたというの?」


「稀だが、素質のある者が生命の危機に晒されることで覚醒が促されるケースがある。この二人の場合はまさにそれだろう」


 ロミュオーは油断無くマルクの動きを封じながら言った。


「この少年からは特に強大な天使の気配を感じる。まだ繋がりは微弱だが……今すぐ殺すべきだ」


「そう……」


 クラリモンドはヴェロニカに目を向けた。


「ヴェロニカ……あなたも()()()()だったのね」


「あ……」


 なんと答えればいいのかわからず、ヴェロニカは戸惑った。自分でもこのことをどう判断したらいいかわからなかったからだ。

 自分に天使を召喚する素質がある。

 それが事実なら、素直に嬉しい。

 だが、師と慕っていたクラリモンドのあんな告白を聞いた後で――そんな彼女の見ている前で――無神経に喜ぶことなど、できなかった。


 アンジェリカを意味も無くいたぶったことは許せない。

 だが、それでも彼女を憎みきれない自分がいる。

 彼女がどれほど求めても手にすることのできなかった天使の力。それを自分が得たことで、彼女を酷く傷つけてしまったのではないか――そんな風に彼女を気遣っている自分が確かにいた。


 そうして葛藤しているヴェロニカを、クラリモンドもまた複雑そうな顔で見下ろしていた。


「どうする。彼女も殺すかい?」


「いいえ……やめておきましょう」


 それでも、その問いには逡巡することなく首を振った。


「殺していいのはヴェロニカ以外よ。その取り決めに変わりはないわ」


「わかったよ。まあ、そういう約束だったからね」


 軽い口調でロミュオーはそう言うと、マルクに微笑みかけた。


「そういう訳だ。君にはここで死んでもらうよ」


 マルクは取り合わず、ただフッと笑った。


「……何がおかしい?」


 それを見たロミュオーの眉がピクリと上がる。


「別に」


「天使の加護を得られたから強気になっているのか?残念だけど、いくら素質があろうと君の天使はまだこの場に来れやしないよ。少し手を貸しただけで精一杯のはずさ」


 言いながらロミュオーは手に力を込めた。金属の軋む嫌な音が響く。

 やがてパキン、という高い音を立て、剣は半ばから折れてしまった。

 剣先を放り投げ、ロミュオーが勝ち誇る。


「この通りさ。君と繋がりかけている天使はどうやらかなりの力を持っているようだが、今できるのはこの程度なんだ。君がここで死ぬ運命に変わりはないよ」


「当てにしていない」


「何?」


「取ってつけたように現れた天使など端から当てにしていないさ。俺が当てにしているのは、もっと別のものだ」


 折られて切っ先をなくした剣を眺め、マルクが小さく嘆息する。

 ロミュオーはその首を掴むと、マルクの体を片手で持ち上げた。


「マルク様!」


 ヴェロニカが悲鳴を上げる。


「別のものだと?」


「……ああ」


 苦しい息の下で、それでもマルクは不敵に笑ってみせた。

 マルクの身体がうっすらと光っていることにロミュオーは気が付いた。魂の門(アストラル・ゲート)から僅かに流れ込む天使の力が、彼の身体を守護しているのだ。

 不快げに唇を歪める悪魔に向けてマルクは続けた。


「『時間が足りなかった』……」


「?」


「たしか、そう言っていたからな」


「……何の話だ。お前は何を言っている?」


「だから時間を稼いでいた。俺は……いや俺たちは、ただそれだけでよかったんだ」 


「時間稼ぎですって?」


 クラリモンドがヴェロニカに目を向ける。

 ヴェロニカは気まずげに視線を逸らした。

 一方、ロミュオーが見たのはリタだった。


「……はっ!」


 昏倒したままのリタを見て、悪魔は小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「時間を稼げば聖女が復活するとでも?子供らしい、なんとも愚かな発想だ!いくら聖女とて使い果たした魔力がそうそうすぐに回復しはしない!」


「愚かなのはどっちだ。勝手に間違った回答を出して勝ち誇るな」


「何だと……」


 悪魔が腕に力を込める。ギチギチと音を立て、マルクの首が締まる。


「ならば言ってみろ。お前は何を待っていた?」


 絞め上げられるマルクの額に血管が浮き上がる。

 さすがに苦しいのか、その顔が苦悶に歪む。

 顔色が土気色に変わるのを見て、ヴェロニカは息を呑んだ。


「言え。この場に助けなどもう来ないはずだ。それなのにお前達は何を待っていた?それともただの子供じみた負け惜しみか?」


「ぐ……がはっ!」


 ロミュオーが腕の力を緩めるとマルクは咳き込んだ。


「言え。でないと今すぐ聖女を殺す」


「アゼルだ」


「……何?」


「俺たち三人は、あいつが戻ってくるのを待っていた」


「……アゼルですって?」


 クラリモンドはポカンと口を開けた。

 そしてロミュオーと顔を見合わせると、二人揃って嗤い始めた。

 マルクとヴェロニカはその哄笑を黙って聞いた。


「ははは!アゼルって、もしかしてさっきの子供かい?あの下級悪魔と契約した、愚かで無力なただの子供か!彼が僕らに手も足も出なかったのを、君らだって見ていただろうに!」


「あの子なら呑気にお寝んねしてるわよ。たくさんの瓦礫のお布団の下でね。寝心地が良すぎて当分は起き上がってこないでしょうよ!」


「仮に目覚めても僕らに歯向かう気になどなれないだろうさ。今ごろ震え上がっているんじゃないか?」


「とっくに逃げ出しているかもしれないわね」


「違いない。まったく、何を言い出すかと思えば!」


 悪魔たちの嘲笑はなかなか終わらなかった。

 マルクはそれを、辛抱強く待った。

 やがて笑いの発作が納まると、ロミュオーは再びマルクの首を絞め上げた。


「なかなか笑わせてもらったよ、騎士くん」


 嬲るような言葉とは裏腹に油断無くマルクの手足を警戒しながらロミュオーは言った。


「お礼に苦しまないよう、一思いに殺してあげるよ」


「礼など……いらないさ。別に、笑わせる気などなかったから……な」


 苦しい息の下、途切れ途切れにマルクは口を開く。


「また負け惜しみか?もういいかげんに」


「お前たちこそ……さっきから何を言っている?」


 勝ち誇る相手に、この言葉を告げるために。



 「あいつがあの程度で諦めるとでも思ったか?」



 その時。その言葉に応えるように……。


 カツ――――ン……。


 静まり返った聖堂に、足音が響いた。

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