第88話 アンジェリカ
「アンジェ……」
「人がおとなしく聞いてたら勝手なこと言ってくれちゃってさ。そりゃちょっとは似てるとこがあるかもしんないけど、ヴェラと院長様は全然違うよ」
「……何が違うと言うのかしら」
「そんなの決まってるでしょ?……たとえ何があってもさ、ヴェラがこーんなことするわけないじゃん!」
無惨に破壊された聖堂と、そして大勢の亡骸が転がる惨状を示しながらアンジェリカはキッパリと断言した。
「そんないけすかない悪魔と手を組んで大暴れしちゃって。リタのことだって、要するに単なるヤキモチでしょ?子供相手にヤキモチなんてして、みっともないったらないよ」
「なんですって……」
「普段はあんなに皆のこと叱ってたくせに。この前だって、ヴェラのこと鞭で打ったよね?あれホントに痛そうだったんだから。自分のこと棚に上げて、よくあんなことできたよね」
クラリモンドの目が吊り上がり、声には剣呑な気配が帯びる。
もちろん、気づいていない訳がなかったろう。
それでもアンジェリカは怯むことなく喋り続けた。
「大体さっきから院長様、自分のことしか喋ってない。家のために犠牲になったとか、努力を認めてもらえないとか言ってたけどさ、そんな人のところに天使様が降りてくるわけないじゃん!……リタはさ、そりゃ優秀なんかじゃないけど、いつも周りの人のことを考えていたよ」
口調のせいでわかりにくいものの、どうやらアンジェリカは本気で怒っているようだった。
ヴェロニカは彼女が怒っているところを初めて見た。
「ほら、ヴェラもなんか言ってやんなよ」
「アンジェ……。でも、私は……」
ヴェロニカは躊躇いを覚えた。
信じてくれるのはありがたいが、クラリモンドに共感する気持ちも否定できない。
だからせっかくの親友の言葉にも素直に同意することができなかった。
「もう、ヴェラまで何言ってるの?心配しなくてもヴェラはあんな風にはならないよ」
するとアンジェリカは腰に手を当て、呆れたように言った。
「たとえどんなことがあっても、無関係な人を八つ当たりで殺しちゃうなんて、絶対しない。ヴェラの親友である私が保証するよ!」
「アンジェ……」
ヴェロニカは少し涙ぐんだ。
彼女のことを、少し癖のある友人だと思っていた。世の中を少し醒めた目で見ていて、だから何事にも真剣になれない子なのだと。
そんな友人の真っ直ぐな言葉に、思わず胸が熱くなった。
「ふぅん……言うじゃないアンジェリカ」
クラリモンドが、さも感心したような口調で呟く。
「思い出したわ。そういえば貴女には、まだお仕置きをしてなかったわね」
「え?」
アンジェリカが目をパチクリさせる。
その時、マルクが叫んだ。
「避けろ!」
「え……っ」
クラリモンドが2本の尾を飛ばす。
一本はリタに。
そして、もう一本は……アンジェリカに。
「くっ!」
ぎぃんっ!という金属音を響かせつつ、マルクは辛くもリタへの攻撃を逸らす。
しかし。
「きゃああっ!」
「アンジェ!」
倒れる親友の姿を見たヴェロニカが顔色を変える。
背後から回り込んだ尾の一撃によって、アンジェリカは背中を激しく打たれていた。
「アンジェ、アンジェ!大丈夫っ!?」
「う、うぅ……っ」
ヴェロニカの声に反応し、うつ伏せに倒れたアンジェリカが呻き声を上げる。
打たれた背中を見たヴェロニカは悲鳴を呑みこんだ。
儀式用の祭服は破れ、露わになった肌は無惨に引き裂かれていた。
まるで刃物で斬られたように……。
「ま、待ってて。今回復を……!」
「あら、駄目よ」
しゅるる……。
「ひっ!?」
アンジェリカに回復呪文をかけようとしたヴェロニカが、足首を掴まれる感触にゾッと震え上がる。
慌てて足元を見ると、先ほどアンジェリカを打った尻尾が自分の足首に巻きついていた。
「あっ!」と思った時には引き倒されていた。
「いやぁっ!」
「ヴェロニカ!」
引き摺られていくヴェロニカを見たマルクが駆け寄ろうとする。――が。
「おっと、動かないことだよ騎士くん。動いたら……わかるだろう?」
「……っ」
マルクは出しかけた足を止めた。
悪魔の言うことを聞くのは癪だが、リタの前から動くわけにはいかなかった。
苦渋の色を浮かべるマルクを尻目に、ヴェロニカはクラリモンドの足元に引き摺られていった。
「そんなに怯えないでヴェロニカ。貴女には何もしないわ」
震えるヴェロニカに、優しい口調でクラリモンドが語りかける。
「クラリモンド様、何を……」
「言った通り、先日の件で罰を与えるのよ。貴女のことは鞭で打ったけど、儀式の前だからとこの子は免除してあげたでしょう?……でも、それも済んだことだし」
クラリモンドがアンジェリカの両腕に尻尾を巻きつけ、むりやりその場に立たせる。
そして意識朦朧とするアンジェリカに向かい、
「やっぱり公平にしてあげなくてはね!」
ばちぃんっ!
「いやあぁっ!」
別の尻尾を鞭のようにしならせ、その身体に叩きつけた。
「アンジェ!」
ヴェロニカが血相を変えて叫ぶ。
「前々から貴女のことは気に入らなかったのよ、アンジェリカ!やる気もなくサボってばかりのくせに要領だけはいい、ズルい子!」
びしぃっ!
「ぎゃんっ!」
「貴女が隠れて規則違反をしていることはわかっていたわ。何度こうしてやりたいと思ったことか。……だけど聡い貴女は決してシッポを掴ませなかったわね。腸が煮えくり返る思いだったわ!」
びしっ!
「ああ!」
響き渡るアンジェリカの悲鳴を聞きながら、マルクは手を出せないでいた。
クラリモンドが手心を加えているのは明らかだった。あの尻尾は鋼鉄の鎧を簡単に貫き、一撃で首を刎ねることができる威力と切れ味を持ち合わせている。
クラリモンドが本気なら、最初の一撃でアンジェリカは即死していたはずだった。
ならば、罰を与えるというのは言葉通りの意味だと考えていい。
下手に手を出せば却って事態を悪化させかねない。クラリモンドの気が変わり、彼女を本当に殺してしまう可能性すらあった。
「く……!」
それでも、かよわい少女が無抵抗でいたぶられているのをただ見ていることしかできないのは、マルクにとって耐え難いことだった。
――そして、もちろん。
「やめて、もうやめてぇ!」
親友が傷つけられる様を目の前で見せつけられるヴェロニカの心痛はむろん、その比ではない。
彼女はクラリモンドの尻尾で拘束され、手出しできない状態でその折檻を眺めることしかできなかった。
「……ぅ……」
打たれ続けたアンジェリカの声が途切れる。
「……ふん。まあ、こんなところね」
相手が気絶したのを見てとったクラリモンドが、ようやくアンジェリカを解放する。
とさっ、という軽い音を立ててアンジェリカは床に倒れた。
同じく解放されたヴェロニカが物も言わずに駆けつける。
「アンジェ!しっかり……っ」
意識のないアンジェリカに声を掛け、息があるのを確かめる。
ひとまず安堵したヴェロニカだが、友人の傷の具合を確かめて涙を流した。
「ひど、い……!どうして、ここまで」
「酷いという程ではないでしょう?貴女が受けたのと同じ、ただの折檻よ」
「そんな!いくらなんでもここまでじゃ……」
アンジェリカは全身から多量の出血をしていた。皮膚は裂け、肉がのぞいている箇所もある。
骨折も一ヶ所や二ヶ所では済まないだろう。
ヴェロニカは唇を噛み締めた。
涙で視界が滲みながらも、彼女は初めて師を睨んだ。
「う……っ」
しかしアンジェリカの苦悶の声を聞き、すぐに視線を戻す。
「……待っててアンジェ。今、楽にしてあげるから」
自分が使えるのは初級魔法である治癒のみ。
これほどの重症ではおそらく、完治させることはできない。
それでも苦痛を和らげることぐらいはできるはず。
ヴェロニカは目を閉じ、腕を組むと、痛みに苦しむ友人を癒すために心からの祈りを女神に捧げた。
「女神イシュターよ。傷つき迷える子羊に癒しの御手を授けたまえ」
祈祷の言葉を唱え、次いで呪文を口にする。
「治癒」
治癒魔法が発動し、傷ついたアンジェリカの全身を癒しの光が包み込む。
と、深く切り裂かれ血を流していた傷が塞がり始めた。
「ん……」
アンジェリカの呼吸と寝顔が安らかなものとなり、ヴェロニカがホッと安堵する。
その手際を見たクラリモンドは感心したように微笑を浮かべた。
「さすがヴェロニカね。まだ修練期間も終えていないというのに完全に治癒を使いこなしているわ」
「いや……おかしい」
弟子の手際を満足げに見やるクラリモンドとは対照的に、ロミュオーは警戒心を露わにした。
「どうしたのロミュオー?」
「よく見てごらん」
アンジェリカの全身を包んでいた治癒魔法の光が治まっていく。
……と、その傷は完全に癒えていた。
痛々しい傷口を晒していた裂傷は全て塞がり、少女の肌には傷跡一つ残っていない。
「そんな馬鹿な……。ヒールで完治するような傷ではないはずよ」
自分の目で見たものが信じられず、クラリモンドが目を瞠る。
ロミュオーは頷くと、確信の籠もった口調で告げた。
「ああ。あれは上級治癒だ」
「上級治癒ですって?」
クラリモンドは頬を引き攣らせた。
「ありえないわ!あれは高等魔法なのよ。いくらヴェロニカが優秀だろうと見習いが習得できるような魔法じゃない。現にあの子は治癒と唱えていたわ」
「わかっている。だからあれは……」
その時、マルクが動いた。




