第85話 それは制約にして代償
「う……っ」
目を醒ますとアゼルは瓦礫の中に埋もれていた。
一瞬、何があったのか思い出せずに戸惑う。
無意識に身体を起こそうとした時、全身に飛び上がるような激痛が走った。
「ぎっ!?……あぁ……っ!」
身体がバラバラになったような衝撃に、指一本動かせない。
悲鳴を上げようにも、息一つできない。
(そうだ。僕は……)
痛みに耐えている内に徐々に先ほどの出来事を思い出した。
捨て身の攻撃に失敗してあえなく敵に捕まり、痛めつけられた上に側廊の奥に投げ飛ばされたのだ。
そのまま柱と壁を突き破り、その奥にあった祭室に突っ込んだのだろう。
「……くそ」
情けなかった。決死の覚悟で突っ込んだというのに、結局まるで歯が立たなかった。
と、唐突にアゼルは気付いた。
いつのまにか人間の姿に戻っている。
先ほどまで繋がっていたゼルペンティーナの気配も感じられない。
訝しく思った時、当人の声が響いた。
「あーあ、やられちゃったわね」
声がした方に振り向こうとすると、また全身に激痛が走る。
それでも痛みを堪えてなんとか首を巡らせると、ちょうど壁に開いた穴から蛇の姿をした悪魔が祭室に入ってきた所だった。
ゼルペンティーナはそのままこちらにやってくると、いつも通りの飄々とした調子で倒れ伏すアゼルの顔を覗き込んだ。
「だから言ったでしょうが。むやみに突っ込んでも駄目だってね」
「うる……さい」
「口を利く元気はあるみたいね」
そう言いながらアゼルの首に巻きつき、再び「同化」する。
と、全身の激痛が少しだけ和らいだ。
自己治癒が働き始めたのだ。
「ほら、ぼんやりしてないで。とっとと身体を起こしなさい」
「……」
言いたいことはあったものの、口を利くのも億劫なため言う通りにする。
左腕がないために難儀しながら、なんとか上半身を起こす。
「そっちの壁に凭れて」
「ああ」
壁に凭れると少しは楽になった。
と、傍らに何かがドサッと音を立てて落ちた。
「ほら、あんたの腕よ。わざわざ回収してきてあげたんだから感謝しなさい」
見ると、それは確かに自分の腕だった。どこかに行っていたと思ったら、それを取りに行っていたらしい。
「その腕を千切れた位置につけなさい」
言われた通りにすると、切断面に少し反応があった。
「これでくっつくのか?」
「くっつくけど、それだと時間がかかり過ぎるるわ」
ゼルペンティーナはそう言うと呪文を唱えた。
「修理」
切断面に魔力が流れ込むのをアゼルは感じ取った。
……と、傷口の肉が盛り上がり、腕が癒着し始める。
神経が繋がったと思った途端、またも激烈な痛みに見舞われた。
「ぐ……っ!」
身体の内側に焼き鏝を押し付けられたような痛みに、全身から厭な汗が噴き出す。
「神聖魔法ほどお優しくないからね。それぐらい我慢しなさい。無謀なことした罰よ」
全身に厭な汗を掻きながら激痛に堪えていると、ようやくそれも収まった。
腕を動かしてみる。……本当に繋がったようだ。
「これで治ったはずよ」
「すまん。助かった」
「かなりの魔力を使っちゃったわ。次やったら、もう治せないわよ」
「……わかった」
そう短く答えると、アゼルは口を閉じた。
「それにしても、まるで歯が立たなかったわね。さすがに口だけじゃないってことね」
「……」
「ま、最初の実戦であれだけやれれば上等よ。奴も腐っても中級悪魔だものね」
「……」
返事がないことに気づいてゼルペンティーナは首を捻った。
見ると、アゼルは俯いて何やら黙り込んでいる。
「?ちょっと、どうしたのよ」
そして一言、呟いた。
「……無理だ」
「は?」
「勝てない」
「……はぁ!?」
ゼルペンティーナはそれを聞くと目を剥き、素っ頓狂な声を上げた。
「あんたまさか、あれぐらいで怖気づいたってわけ?もう諦めるっていうの!?あんなちょっとばかし、こっぴどく痛めつけられたぐらいで!」
「……」
いつにない剣幕で怒鳴りつけられても、アゼルは反応を示さない。
それを見たゼルペンティーナはますます大きく顎を裂くと、噛みつかんばかりに大口を開けた。
「そんなことじゃ……っ」
「このままじゃ、勝てない」
アゼルはポツリと呟いた。
「――」
ゼルペンティーナが口にしかけた言葉を呑み込む。
聞こえていないと気付いたからだった。
「ならどうする。どうすればいい?」
アゼルはブツブツと呟き続けている。
「さっきと同じことをしても勝ち目はない。……ならどうする?どうやったら勝てる?」
断裂した腕は繋がっても、体の傷はまだ完全に癒えたわけではない。
深い裂傷はまだ塞がらず、全身の骨にもヒビが入っている。
その痛みすら忘れ、アゼルは完全に思考に没頭していた。
「いや……違うな。そうじゃない」
アゼルは急に顔を上げた。
そして呟いた。
「僕はどうやって勝つんだ?」
そしてゼルペンティーナを見やると、ギラギラとした眼で言った。
「教えろゼラ。僕はどうやってあいつに勝つんだ?」
「――へぇ?」
ゼルペンティーナはそのただならぬ様子にも怯むことなく、却って面白がるような声を上げた。
「面白いこと言うじゃない。あんた、まだあいつらに勝てるつもりなの?」
「当たり前だ。そうじゃなかったらお前は僕と契約してない」
アゼルは迷い無く即答した。
「未来を視ることができるお前が、こうなるとわかってて僕と契約したんだ。だったらつまり、そういうことだろ」
「あはっ!」
ゼルペンティーナはそれを聞くと吹き出した。
「あはははは!あんた、最高だわ!そうよ、そうこなくっちゃあんたを選んだ甲斐がないわ!」
蛇の姿をした悪魔は心底楽しそうに体をよじらせて笑った。
「でも前にも言ったけど、私の視る未来は絶対じゃないわ。あんたが私と組んだ時点で既に運命は流動的になっている。確実な未来なんてもうないのよ」
「少しでも可能性があるならそれでいい。死んでもそれに食らいついてやる」
「上等よ」
ゼルペンティーナが不敵な声でそう口にする。そして、
「ま、そもそも敵うわけないのよね。だって契約、まだ済んでないし」
――打って変わって無責任な口調でそう言った。
「は?」
アゼルは唖然とした。聞き間違いかと思ったのだ。
「……どういう意味だ?」
「だから、まだ契約してないってことよ。したとは言ってないでしょ?」
さも大したことではないと言いたげな態度に、アゼルは混乱した。
「じゃあさっきの姿は?」
「あれは私の魔力を流し込んで、無理やり身体を変化させてただけ」
あっさりと言ってのける。
アゼルは思わず毒気を抜かれかけたが、さっきのことを思い出すと、やはり腹が立った。
「……ちゃんと契約をしていれば奴らに勝てたってことか?」
「どうかしら。ま、さっきよりはまともな戦いになったのは確かね」
「だったらなんで契約しなかったんだよ」
唇を尖らせて文句を言う。ちゃんと契約していればこんな怪我を負うこともなかったかもしれないのに。
ゼルペンティーナはやれやれと鎌首を振った。
「あのねぇ、言っとくけど私は気を利かせてあげたのよ?だってあんた、キュリルスを死なせなくなかったんでしょ」
「当たり前だ」
「だから急いであげたんじゃない。あの時悠長に契約してたらキュリルスは首チョンパになってたわ。それでもよかったの?」
「いや……よくないけど」
「そらみなさい。急いで飛び出して正解だったでしょうが」
ゼルペンティーナが偉そうに居直る。
なんとなく釈然としないものの、アゼルは不承不承頷いた。
ここで言い合っていても仕方がない。
「まあ、それはわかった。それで今から改めて契約するってことか?」
「ええ」
「そんな時間があるのか?時間がないのは今だって同じだ。こうしている今もマルク様達は……」
「あの子達なら大丈夫よ。そう簡単にやられはしないわ」
「……本当に?」
「信じなさいよ。私の予知を信じたからあんたは今、ここにいるんでしょ」
「……そうだな」
確かにその通りだった。ゼルペンティーナの言葉を信じていなければ、自分はそもそもこんなところにはいない。
こいつを信じ、賭けたのだ。
今さら翻してどうする?
「わかった。それで契約って、どうするんだ?」
「契約自体は簡単よ。互いが契約内容に同意すれば、それで契約は成立する。あんたは既に契約する意思を示しているから、あとは私が同意するだけで契約は成立する」
アゼルは拍子抜けした。
「なんだ。だったらさっさと……」
「話は最後まで聞きなさい」
ゼルペンティーナが改まった声を出す。
アゼルもそれを感じ、黙って次の言葉を待った。
「ただ契約するだけならそれでいい。でも私は、そこに条件を追加したい」
「条件?」
「ええ。ロミュオーは今の私達にとっては難敵よ。本来の力を失っている私じゃ契約しても勝てる可能性は低い」
アゼルは神妙な面持ちでそれを聞いた。
先ほどはロミュオーを小馬鹿にしていたゼルペンティーナがここまで言うからには、それは事実なのだろう。
「だから条件を加えるの。条件というか、制約ね」
「制約?」
「ええ、制約よ。或いは代償と言い換えてもいい。それによって契約は強化される」
ゼルペンティーナが悪魔めいた……否、悪魔そのものの声音で言う。
アゼルはゴクリと唾を呑みこんだ。
「……その制約というのは?」
「私達の契約に加える制約は、ただ一つ」
ゼルペンティーナはそこで言葉を切ると、アゼルの目を見ながら告げた。
「『貴方が私と契約する本当の理由を、リタに教えてはならない』」




