第84話 決死の突撃
「マルくさマ……!」
敵がマルク達に向かって攻撃を加えようとするのは見えていた。――が、咄嗟に動けなかった。
脚に損傷を負っていたからだ。
アゼルは満身創痍になっていた。全身に無数の傷を負い、動きが鈍っている。
いくつかの傷は自己修復によて塞がっているものの、大きな傷はなかなか塞がらない。
それが治りきる前に、また新たな傷を負ってしまうからだ。
動けないほどの怪我は今のところない。だが先ほどの攻撃で片方の肺を貫かれ、痛みで注意力が疎かになっていた。
いくら身体が頑丈になったところで、痛みを感じなくなるわけではない。
息をするだけで身体が強張るような激痛に襲われる。それも少しずつ和らいでいくのがわかるが、しばらくはまともに動けそうになかった。
だが、そんな泣き言は言ってられない。
(今のをまたやられたら……)
そう考えると背筋が凍った。
今のはマルクが防いでくれたが、次もうまくいくとは限らない。
決して彼を侮っているわけではない。しかし相手は騎士団を苦もなく全滅させた悪魔だ。むしろ一度でも攻撃を防いだマルクの技量を称えるべきだろう。
だが、それもいつまで続くか……。
「あの騎士君は大したものだけど、そんな彼でもどうにか尾の一本を凌ぐのが精一杯だろうね」
絡みつくような粘っこい口調で、ロミュオーがクラリモンドに話しかけている。
その目はこちらを向いていない。
だが、間違いなく自分に聞かせているのだとわかった。
「そうねロミュオー。2本同時に防ぐのはあの子には無理なんじゃないかしら?」
「だったら今度は2本でやってみないかい?聖女と騎士君、両方を狙って」
あの粘着質な響きの言葉は、明らかに自分を絡めとろうとしている。
それがわかっていながら、アゼルは耳を欹てずにはおれない。
「そうしたら、どちらか一人は仕留められるよ」
「それはいい考えね!」
クラリモンドが陽気に手を叩く。
「なら賭けるかい?彼が自分と聖女、どちらの命を優先するか」
「そんなの賭けになるかしら?あの子はきっとリタの命を護るに違いないわ」
「いやいや、わからないよ。どんなに高潔に見える人間でもいざとなったら自分の身を優先してしまうものさ。僕は何度も見てきたよ、普段口では立派なことを言っている聖人君子が、土壇場で仲間を裏切るのをね」
ロミュオーは下卑た笑いを浮かべた。
「そうして仲間を見捨てておいて、後から絶望して青ざめるのさ。自分で仲間を裏切ったくせに、罪の意識に苛まれてね。そのブザマで滑稽なことといったら、君にも見せてあげたいよ」
「是非とも見てみたいわ。試してみましょうよ!」
「っ!」
アゼルは怒りの余り、一瞬痛みを忘れた。
『見え透いた挑発よ。あんなのに乗るんじゃないわ』
『……わかってるよ』
『怒りに任せて飛び込んでもあいつらには届かない。届いたところで、今のあんたじゃ奴の『鎧』に傷一つ付けられやしない。それぐらいもう理解できたはずよ』
『……』
『今はとにかく、冷静に……』
「ねぇロミュオー、せっかくだからもっと派手にいきましょうよ」
クラリモンドが4本の尾をこれ見よがしに蠢かしながら言った。
「私の尾は4本あるのよ。……そして、あの子達もちょうど4人」
それを聞いたヴェロニカとアンジェリカが表情を凍りつかせる。
怯える二人をからかい、その表情を愉しむようにクラリモンドは続けた。
「誰が生き残るか見物じゃない?」
「あっは!それもいいね!4人いっぺんに串刺しにしてやろうか!」
ロミュオーは手を叩いて喝采し、それからようやくアゼルに視線を向けた。
「ボロクズと化したこいつらを、君にプレゼントしてあげるよ。同類のよしみでね」
「――ッ!」
『待ちなさいこの馬鹿!』
ゼルペンティーナの制止も聞かずにアゼルは飛び出していた。
『ああもう!この距離でも躱せないくせに、近付いたらなおさらでしょ!?』
悲鳴じみたゼルペンティーナの声が脳内で喚く。
それでもアゼルは止まらない。雄叫びを上げて突進する。
「ガあぁアぁっ!」
「うふふ、おバカさんね!」
嘲りとともに最初の一撃が飛んでくる。
正面から飛んでくるそれをアゼルは左に動いて躱した。
「あら、やるじゃない!」
すぐさま2本目。
左にズレたアゼルの進路を塞ぐように、次の尻尾が向かってくる。
駆けながら、今度はそれを右に躱す。
――と、一本目と挟まれる形になる。
「やっぱりお馬鹿さん!」
左右を挟まれたアゼルに向けて、3本目の尻尾が襲い掛かる。
だがアゼルもそう来ることはわかっていた。息を大きく吸い込んで、
だんっ!
床を蹴って大きく跳躍する。
3本目を躱し、飛鳥の如く敵に向けて頭から突っ込む。
ごぼり、と口の中に血が溢れた。
息を大きく吸った拍子に肺の傷が開いたのだ。
それでもアゼルは構わなかった。戦いの興奮と怒りが、痛覚を麻痺させていた。
脳裏にあるのは、ただ一つの意思。
(このまま届く。いや、届かせる!)
後のことはどうなっても構わない。首根っこに齧りついてでも奴らを倒す!
頭にあるのはただそれだけ。
だが、もちろん忘れてはいなかった。
尻尾はあと1本残っている。
全精力を掛けて跳躍しながら、アゼルはクラリモンドが嗤うのを視界に捉えた。
それで悟った。
(向こうも同じことを考えている)
跳びながらでは次の攻撃は躱せない。最後の攻撃で自分は確実に仕留められる。
(それでも……)
クラリモンドの最後の尻尾が自分に向けて放たれる。
視界の外でマルク達が息を呑むのが見えた気がした。
見える筈など、ないというのに。
加速する視界と思考の中で、アゼルはそれでも愚直に跳んだ。
もとより、自分の軌道を変えられないのだからクラリモンドの攻撃に頭から突っ込むしかない。
このままでは確実に脳天から貫かれてしまう。
(それでも!)
激突する直前、アゼルは身体を捻った。
頭から敵に向けて突っ込みながら、錐揉み状に身体を回転させる。
遠心力を利用して首を可能な限り反らし、敵の攻撃の軌道上からむりやり頭部を外させる。
それにより狙いを逸らされた尻尾が、頭ではなく左肩に突き刺さった。
左腕は千切れて吹き飛んだ。
「アゼルッ!」
ヴェロニカの悲鳴が上がった。
だが、それでもアゼルは一切顧みなかった。
痛みを感じている暇などない。
腕なんて、惜しくもない。
リタを……彼らを護れるのなら、他に何もいらない。
(このまま突っ込む!)
己を、一発の弾丸と化せ!
「っ!」
目まぐるしく動く視界の中、クラリモンドの目が驚愕に見開かれるのを、アゼルは確かに見た気がした。
(届く!)
それを見て勝利を確信する。
このまま突っ込んでも恐らく有効打は与えられない。
だが、捕まえて押さえ込むことならできる。
敵の動きを封じ、その間にマルク達を脱出させる。
今の自分の腕力ならそれぐらいはできる筈だ。
(あと少し。このまま――この腕さえ届けば……!)
残った右腕を伸ばす。クラリモンドはもう目の前にいる。
「こレデ――!」
「はい、ご苦労様」
「ッ!?」
アゼルは声にならない悲鳴を上げた。
突然、後ろから何かに身体を掴まれたのだ。
(他にも敵がいるのか!?)
ゾッとしながら振り返る。
――が、そこには誰もいない。
一瞬戸惑ったものの、すぐにその正体を悟った。
……避けたはずの尻尾が、胴に巻きついている!
「避けたらそれで終わりだと思った?そんな訳ないでしょうに。だからお馬鹿さんって言ったのよ」
クラリモンドがクスクスと嘲り笑う。
「尻尾は私の身体の一部なのよ。一度避けられても自在に軌道を変えられるというわけ。もっとも、あまりに無理な挙動はできないけどね」
捕まえたアゼルを見上げ、クラリモンドはからかうように続けた。
「少し手間取ったけど、ようやくコツが掴めてきたわ。あなたのお陰ね」
「僕の出番はなかったようだね。一応準備してたんだが」
嘆くようにそう言ったのはロミュオーだった。その掌は魔力の光を帯び、ピタリとアゼルに向けられている。
それを見たアゼルは悟らざるを得なかった。
どちらにせよ、自分に勝機などなかったのだ。
「どうやら契約者の質でもこちらが断然上だったようだ。ま、わかりきっていたことだけどね」
「当然よロミュオー。私がこんな子供に遅れをとるわけないでしょう?」
そう言っている間にも残り三本の尾がアゼルの手足に絡みつき、締め上げてくる。
「だけど思ったよりは頑張ったじゃない。少し――ほんの少しだけ、肝が冷えたわ。ご褒美をあげないといけないわね」
そう言うとクラリモンドは4本の尾でアゼルを天井高くまで持ち上げた。
さほど太いとも言えない尾が、驚くべき膂力で巨体となったアゼルを宙吊りにする。
逃れようと必死にもがくも、尾の拘束はビクともしない。
そして……
「そら、受け取りなさい!」
――天井近くから床まで、一気に振り下ろされる!
「アゼル!」
その叫びが誰のものだったかはわからない。
聞き分ける余裕などある筈もなかった。
アゼルは為す術なく、頭から床に強く打ち付けられた。
どごぉっ!
「グァァっ!」
硬い石床が割れ、粉々に砕けた破片がバラバラと飛び散る。
あまりの衝撃に意識が飛びかけた。
「そら、もう一度!」
再び宙に持ち上げられ、遠心力をつけて床に叩きつけられる。
「ははは、なかなか頑丈じゃないか!」
二度、そして三度。
それを繰り返し、グッタリとしているアゼルを見たヴェロニカの顔から血の気が引く。
「お願い、もうやめてぇ!」
クラリモンドの表情が僅かに動いた。
「……ふん、まあいいでしょう」
そう呟くとクラリモンドは、もはやピクリとも動かなくなったアゼルを宙吊りにする。
そして。
「しばらく寝てなさい!」
ぶぅんっ!
思い切り振り回し、勢いよく側廊の柱に向かって投げつけた。
アゼルは為す術もなく柱に叩きつけられ、それを容易く粉砕すると、さらにその奥の壁を突き破った。
「ああ……っ」
姿が見えなくなったアゼルを目で追い、ヴェロニカが絶望的な呻きを洩らす。
「ま、死んではいないでしょ。下級悪魔は頑丈ですものね」
「君はやさしいね。あんなブザマなできそこないに情けを掛けてやるなんて」
「あの程度の相手ですもの。生かしておいたところで手を咬まれる心配もないわ」
「違いない。あれだけ頑張っても彼らは結局、僕らに毛筋一つも傷を付けられなかったわけだからね」
傷つけられた自尊心を回復させたのか、ロミュオーが上機嫌で笑みを浮かべる。
「さて」
そして、マルク達に視線を向けた。
いや――リタに向けて。
「前菜はもう十分だ。そろそろメインディッシュといこうじゃないか」
「……」
マルクが黙って前へと歩み出て、剣を構える。
「ほう?まだ抵抗する気力があるのか」
「そんなことして何の意味があるの?私たちには到底敵わないことは、今のを見てわかったでしょうに。リタを差し出せばあなたたちの命までは取らないと言ったはずよ?」
「意味があろうとなかろうと、俺のすることは変わらない。自分の役目を果たすだけだ」
「うふふ。その強がりがいつまで持つかしら」
「……試してみるがいい」
昏倒したままのリタを背後に庇い、マルクが集中力を研ぎ澄ませる。
「俺はリタの守護騎士だ。お前達には指一本触れさせん」




