第83話 『魔鎧』
確かに手ごたえはあった。自分の拳は過たずクラリモンドの尻尾に命中している。
普段の貧弱な拳ならともかく、悪魔憑きとなった今の自分の力なら破壊することができたはずだ。
――だが。
「ナ……ッ?」
土埃が晴れ、自分の打撃の痕を確認したアゼルは目を疑った。
クラリモンドの尻尾は千切れるどころか、傷一つすら付いていなかったのだ。
(だったら!)
アゼルは拳を手刀の形に変えると、今度は尖った鉤爪をクラリモンドの尾に思い切り突き立てた。
がぎんっ!
「――ギャあぁッ!」
しかし、悲鳴を上げたのはアゼルの方だった。
勢いよく突き刺した筈の鉤爪は尻尾の表面を浅く引っ掻くだけで肉には刺さらず、むしろ鉤爪の方が割れ、砕け散ってしまったのだ。
指先に走った激痛で注意が散漫になる。そこに――
「危ない!」
後ろからヴェロニカの警告が届いた。
ハッと思ったがもう遅い。
どがっ!
「がァ……ッ!」
横から薙ぐように襲い掛かってきた、別の尻尾の一撃がまともに側頭部を直撃した。
「グ……ウぅ……!」
幸い、アゼルの頭を打ったのは鋭利に尖った先端の棘ではなかった。そのため頭に穴が開くことも耳が削がれることもなかった。
しかし脳天への強烈な一撃に意識が飛びかける。
「あっは!なんて愚かな子供だ!そんな攻撃で僕の『魔鎧』を傷つけられるとでも思ったのかい?」
ロミュオーの勝ち誇ったような声が響いた。
「そんな下級悪魔と組むからそうなるのさ。恨むならその下等な蛇と、そんな奴と契約を結んだ自分のマヌケさを恨むんだな!」
「案外あっけなかったわね。ロミュオー、もうトドメをさしちゃっていいでしょう?」
「もちろんさ。任せたよ、僕のクラリモンド」
クラリモンドの残り2本の尾が同時に、まだ意識が混濁したままのアゼルに迫る。
「アゼル!目を醒まして!」
「う……っ?」
ヴェロニカの声に反応して意識が覚醒する。が、咄嗟に状況が掴めない。
そこに、
『後ろに跳びなさい!』
「っ!」
脳内に響いたゼルペンティーナの切羽詰った声に急かされ、無我夢中で跳ぶ。
「ち……っ。逃がしたわね」
クラリモンドが舌打ちする。
アゼルは間一髪で、頭と胴への同時攻撃を回避していた。
絶体絶命の危機を乗り越え、息を吐いて呼吸を整える。
「そう気落ちすることはないよ。わかったろう?あいつらの攻撃は僕らには通じない」
一方、ロミュオーは悔しがる恋人を余裕の表情で慰めていた。
「……そうね。ぜんぜん痛くなかったわ」
アゼルに攻撃された尻尾を引き戻し、打たれた部分をしげしげと観察したクラリモンドが感嘆の声を洩らした。
「凄い。傷一つ付いていないのね」
「あんな下級悪魔に何をされたところで僕の魔鎧はヒビ一つ入りはしない。わかるかい?これは戦いなんかじゃないんだ。僕らが無力な弱者をひたすら弄ぶ狩りなんだよ」
「まったくその通りね」
「焦ることはない。その身体の使い方に少しずつ慣れていけばいいのさ」
そう言うとロミュオーは視線を前方に動かした。辛くも攻撃を逃れ、まだ足元をふらつかせているアゼルを眺め、愉快そうに目を細める。
「あの獲物でね」
「うふふ。そうね、ロミュオー」
クラリモンドは嫣然と微笑んだ。
再び悪魔たちの攻撃にさらされ逃げ惑うアゼルの姿を、マルク達は為す術なく見守っていた。
「ああ、もう……一方的じゃない」
その光景を固唾を呑んで見守っていたヴェロニカが、焦りを口にする。
「近づくこともできないなんて」
「そもそも近づいたところで打つ手がない」
厳しい顔つきでマルクが言う。
「さっきのアゼルの攻撃、狙いは悪くなかった。あの尻尾を破壊することができれば向こうの懐に入ることができるわけだからな」
「でも……」
「ああ。今のアゼルがあの拳で殴っても傷一つつけることさえできなかった。この分では、なんとか近づいて本体を攻撃したところで同じ結果にしかならないだろう」
「……」
「あのぉ。それって、あの悪魔が言ってた『魔鎧』ってやつのせいなんでしょ?」
黙り込んでしまった親友の代わりという訳でもないだろうが、今度はアンジェリカが口を開く。
「それって結局なんなんですか?」
「悪魔が自らの魔力を高濃度に圧縮して身に纏う防具だ」
「……ええ。中級以上の悪魔はそうやって身を護っているのよ」
「それって、あの黒くてゴツゴツしたやつのこと?あのキモい悪魔と院長様が身体に付けてる変なやつ」
「キモ……まあ、そうよ。あの黒いの」
ヴェロニカはロミュオーとクラリモンドに視線を向けた。
その視線の先にいる悪魔と悪魔憑きはどちらも肌にピッタリと貼りついた、衣服とも甲冑ともつかないものをその身に纏わせていた。
深淵の闇がそのまま凝って形を為したような、不吉な漆黒の物体を。
「あれは物質化した高純度の魔力の塊。言ってみればあの鎧そのものが一種の魔力障壁みたいなものなのよ。単純な物理攻撃で破壊するのは至難の業だし、魔術への耐性も高いと言われているわ」
「えぇ……。そんなの倒せないじゃん」
「そうよ。だからアゼルが苦労してるんじゃない!」
四本の尻尾から必死に逃げ回るアゼルの姿を見て、ヴェロニカが苛立ちを露わにする。
「でもさ、そんなに便利ならどうして下級悪魔は使わないの?」
「使わないんじゃない。使えないんだ」
余裕がないヴェロニカに替わってマルクが答える。
「魔力を圧縮して物質化させるにはそれを可能にするだけの魔力量と、それを制御する高度な技術が必要になる。下級悪魔はそのどちらも持ち合わせていない」
「じゃあ下級悪魔って弱っちいの?」
「中級悪魔に比べれば格下だけど、弱いってことはないわよ」
いささかムッとした顔でヴェロニカが振り向く。
「魔鎧を造れない代わり、下級悪魔は人間の身体に直接同化してその肉体を強化する。それにより筋肉は肥大し、皮膚が硬質化するの。もちろん魔鎧ほど頑丈じゃないけどね」
「それが今のアゼルの姿ってことだね」
「……そうよ」
ヴェロニカは渋い顔で言った。
「あの悪魔、アゼルをあんな姿にしてくれちゃって」
「ゼラさんだっけ。あの人、どうやって勝つつもりなんだろ」
「人じゃない。悪魔だ」
「そもそも人の姿してなかったじゃないの」
二人に揃ってツッコまれ、さしものアンジェリカも少し照れた。
「あはは、そうだったね。でもなんかあの悪魔、ちょっと人間っぽかったよね」
「そうかしら。気のせいじゃない?」
「気のせいじゃないってば。少なくともあっちの気障な悪魔よりぜんぜん話しやすい感じしたもん」
「気を許しちゃ駄目よ。そうやって油断させるのが悪魔の手口なんだから」
「そうだな、と言いたいところだが……正直、俺もアンジェリカに同感だ。あのゼルペンティーナという悪魔の言うことには不思議と説得力を感じた」
油断なく戦況を見据えながらマルクも同意を示す。
「あいつがクラリモンドを倒せると言った時、俺はなぜかそれをすんなりと信じることができた」
「あ、私も~」
「ちょっとアンジェ……マルク様まで」
「ヴェラだってホントはそう感じてるんじゃないの?」
「……まあ、あのロミュオーとかいう奴よりはマシだと思うわ」
ヴェロニカが決まり悪そうに言う。
「それでもあいつは悪魔なのよ。私達にいい顔しといて、腹の中で何を考えてるかわかったもんじゃないわ」
「疑りぶかいなー」
「むしろあんたはすぐ信じすぎ。私は感じるのよ、あいつは絶対何かを隠してる。上級悪魔だとかいってたけど、あれもあながちハッタリだとは思えないわ」
そう言うとヴェロニカは戦いへと視線を戻した。
そして、クラリモンドの背中にいるロミュオーを睨む。
「そういう意味じゃ、あのロミュオーとかいう奴より余程底知れない……」
ヴェロニカは最後まで言い切ることができなかった。ロミュオーが突然、こちらを振り向いたのだ。
そして、にたりと笑った。
「ひ……っ」
ゾッとして小さく悲鳴を漏らしたのと、マルクが飛び出したのはほぼ同時だった。
「伏せろ!」
「っ!?」
何がなんだかわからぬまま、アンジェリカと二人で地面に身を投げだす。
「はぁっ!」
烈迫の気合と共にマルクが剣を一閃する。……と。
ぎぃんっ!
ヴェロニカの目でははっきり捉えられなかったが、自分達を狙って飛んできた何か――もちろんクラリモンドの攻撃に決まっている――が、マルクの剣によって軌道を逸らされたのは辛うじてわかった。
「い、今のは……」
「リタを狙っていた」
最小限の言葉でマルクが答える。
しかしその顔は、攻撃を防ぐことに成功したとは思えないほどに青褪めていた。
「あら?防がれちゃったわ、ロミュオー」
「向こうの騎士君もなかなかやるね。聖騎士でもないただの人間が僕らの攻撃を凌ぐなんて」
くっくっと耳障りな笑い声を上げながらロミュオーがマルクを嘲る。
「だけど油断してはいけないよ。僕らはいつでも聖女を狙っているんだからね」
「く……っ」
マルクは額にびっしょりと汗を浮かべていた。
――たった一度。
たった一度剣を振るっただけだというのに、全力で走った後のようにゼェゼェと息を荒げている。
その腕が小刻みに震えていることにヴェロニカは気が付いた。
今の攻撃で腕が痺れてしまったのだ。
……あんな相手に、どうやって勝てるというのか?
ヴェロニカは改めて、自分達の置かれた絶望的な状況を思い知った。




