第77話 老騎士の意地
マルクが険しい視線をヴェロニカに向ける。
「そんなことは許されない。リタは千年振りに現れた真の聖女なんだぞ」
マルクもヴェロニカの目配せには気付いている。アンジェリカの眼には彼が本気で怒っているわけではないことがわかった。
「俺達にはリタを護る責任がある!」
「それはマルク様が騎士だからでしょう。私達には関係ないことです」
「世界の命運が掛かっているんだ。お前だって神に仕える身だろう」
「だからといって自分の命を捨てろと?私がリタのことを嫌っているのはご存知でしょう」
「そんな身勝手な私情で――」
「私が死んだらパウルマン家は――」
ヴェロニカとマルクが言い合いを始める。
思わずちょっと感心するほど、アンジェリカから見てもそれは自然な演技に見えた。
こんな状況に陥れば、自分達ぐらいの子供ならこういう見苦しい仲間割れをするものだろう。
「ちょっと二人とも落ち着いてよ!今はそんな風に言い争ってるばあいじゃ……」
願わくば、修道院長の目にもそう映っていてくれればいいのだが。
二人を仲裁するフリをしながら、アンジェリカはそう祈らずにいられなかった。
(だけどこんな時間稼ぎ、ホントに意味あるのかな?)
ヴェロニカの作戦には乗るが、ついそう思ってしまう。
この窮地を救ってくれるような援軍が来る見込みがあるなら、確かに時間を稼ぐ意味はあるだろう。
だが、そんな当てなどないのだ。
なにしろこの二人が待っているのはアゼル。理由はわからないが、あのアゼルなのだ。
どうして彼が事態を打開できるとこの二人が信じているのか、アンジェリカにはさっぱり理解できなかった。
剣聖メダルドゥスが来てくれる見込みがあるのなら、自分だって希望は持てるのだが。
(ていうか、ホントに騙せてるのかな)
こっそり横目で窺うと、修道院長はあのいけすかない悪魔と会話しているようだった。
「どう思う、ロミュオー?」
「まるで学芸会だね。時間稼ぎだと見え見えだよ」
ロミュオーがにべもなく言った。クラリモンドもそれに頷く。
「そうよね。私にもそう見えるわ」
そう言うと不可解そうな顔付きをした。
「だけどあの子たち、時間を稼いでどうする気なのかしら?」
「持ち堪えれば剣聖が来てくれるとでも思っているんじゃないのかい?子供は夢見がちだからさ」
「あの子達はそこまで愚かではないと思うわ、ロミュオー」
「そうかい?」
フン、と鼻を鳴らしてロミュオーはマルク達を手で示した。
「もう面倒だ。僕の魔法でまとめて吹っ飛ばしてしまおうよ」
「それは駄目よ。私との約束を忘れたの?」
「……ああ。そうだったね」
ロミュオーがつまらなそうに言い、渋々と手を下げる。
「だけどどうするつもりだい?このままずっとあのお遊戯を見物している訳にはいかないだろう」
「そうね。じゃあ……」
クラリモンドが何か言いかけた時だった。
ロミュオーがピクリと顔を上げ、入り口の方を向く。
「どうしたの?」
「グズグズしてるから、またお客さんが来てしまったようだよ」
ロミュオーが肩を竦めた直後、ガチャガチャと鎧の金具が擦れる金属音を立てながら聖堂の入り口に現れた一団があった。
「悪魔はどこだ!」
「聖女様はご無事か!?」
参列者の避難誘導をしていた騎士が修道院周辺の警護に当たっていた騎士達を呼び集め、今到着したのだった。
「騎士団の増援だね」
「なるほど、あの子達はこれを待っていたのね」
「こんな連中でどうにかなると思っているなら、やっぱり夢見がちというしかないけどね」
薄笑いを浮かべながら、ロミュオーが現れた騎士たちを眺めやる。
その中にはキュリルスの姿もあった。
「ややっ、あれは!」
悪魔憑きと化したクラリモンドを見たキュリルスが眼を剥いて驚愕する。
「あれはまさしく若かりし頃のクラリモンドの顔。修道院を束ねる長ともあろう者が、まさか本当に……」
「皆、行くぞ!聖女様をお守りするのだ!」
「悪魔など恐るるに足らず!」
騎士達が聖堂の入り口から一斉に突入してくるのを見たマルクが色を失って叫んだ。
「まとまるな!散開するんだ!」
「惜しい。少し遅かったね」
ニタリと嘲笑を浮かべてロミュオーが腕を上げる。扉から一塊になって突入してくる騎士達に向かい、呪文を唱えた。
「吹き飛べ」
きゅうぅぅ……っ。
「……何だ?」
ロミュオーの声が響くと同時、押しかける騎士達の中心に見えない力場が生まれ、それに気付いた騎士達が戸惑いの声を上げる。
そして。
ぱぁんっ!!
「うわぁぁっ!」
それが弾けた衝撃が、騎士達を一斉に吹き飛ばす!
力場の近くにいた者はもんどり打ってその場に倒れ、離れていた者も体勢を崩し、或いは気を取られて足を止める。
そこへ――。
「光弾よ穿て」
ロミュオーが追撃の呪文を唱えると、彼の周囲に無数の魔力の光芒が生まれた。
それらはロミュオーが手を翳すと、無属性の光弾と化して動きを止めた騎士達に容赦なく襲い掛かった。
がががががっ!!
「ぎゃあぁぁっ!」
「ぐわぁっ!!」
最初の魔術では被害を受けなかった者達もある者は手足を穿たれ、またある者は頭や胴体を打ち抜かれ、次々と倒れていく。
「うぅ……っ」
「がはっ……」
そして魔術の掃射が終わった時にはもう、その場に立っている騎士は誰もいなかった。
息がある者も立ち上がることは到底できそうにない。
「ああ……っ」
その惨憺たる有様にヴェロニカは思わず声を漏らした。
――たった二撃。
悪魔の放った、たった二発の魔術で増援の騎士達は苦もなく壊滅させられてしまった。
「……!」
マルクは憤怒の形相を浮かべていた。
「残念だったね、せっかく助けが来たと思ったのに」
そんなマルクの心情をロミュオーが逆撫でする。
「これで少しはわかってくれたかい?助けなんていくら待っても無駄なのさ」
「彼の言う通りよ。悪魔の力に人間が敵うはずがないじゃない。いいかげん素直にリタを渡しなさいな」
「いい気なものじゃな……クラリモンド」
侮蔑の言葉を口にしたのはキュリルスだった。衝撃波を至近距離で浴び、彼の鎧はひしゃげている。
それでも剣を杖にして立ち上がろうとする老騎士に、クラリモンドは不快げな視線を送った。
「なんですって?」
「悪魔の力を手に入れて慢心しおって。借り物の力で偉くなったつもりか?」
その声は変にくぐもっていた。魔術による衝撃波で冑がへこみ、声が不明瞭になっているのだ。
キュリルスがもう用をなさない冑を捨てると、クラリモンドは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ふん、誰かと思ったらキュリルスじゃない。あなたも災難ね。いい年して現役を続けているからこんな目に遭うのよ」
「そういうお前さんとてもう若くはなかろう」
「誰が若くないですって?」
クラリモンドは己の若さを誇るように、昂然と自身の体を手で示した。
「あんたは私の若い頃を知っているわよね。さあ、老いた目をかっぽじってよく見なさい。この姿はあの頃と少しも変わらないでしょう?いいえ、悪魔と契約した今の私はあの頃よりもさらに美しく輝いているわ」
「……」
「なんとか言いなさいな。それともあまりの美しさに目が眩んだのかしら?」
「醜いな」
「……なんですって?」
「今のお前はあの頃よりも……。いや、歳を重ねて修道院長となったお前さんよりも醜いと言ったのじゃ」
キュリルスはそう言うと、深々と嘆息した。
「口振りから察するに、大方若さと引き換えに悪魔と取り引きをしたのじゃろう。なんと愚かな」
クラリモンドを見る老騎士の目に浮かぶのは軽蔑でも敵意でもなく、憐憫だった。
それがクラリモンドを余計に苛立たせる。
「草木とて花の時期だけが美しい訳ではあるまいに。青々とした夏の若葉を見よ。冬を前に赤や黄に染まる紅葉の鮮やかさを思い出せ。葉を全て落とし、風雪に耐える枯れ木のような冬の姿さえ美しいとは思わんか?神々が造り給うた自然はあるがままの姿が一番美しいのじゃ」
「……」
「人間とて同じこと。人生の季節に応じて容色は移ろう。それは当然のことじゃ。そんな儚いものに執着して何とする?青春には青春の、晩節には晩節の美しさというものがあるのじゃ。どうしてそれがわからんのだ」
「……五月蝿い爺ね。聞いてもいないことをベラベラと」
「なんじゃ、耳が痛いか?」
「あんたもセラピオンと同じね。老いぼれには所詮この美しさは理解できないんだわ」
その声に剣呑な気配が滲み出ていることに気付き、マルクは息を呑んだ。クラリモンドの4本の尾が、主の苛立ちを表すようにヒュン、ヒュン、と揺れ動いている。
キュリルスは知らないのだ。セラピオンや騎士団長達がどうやって死んだのかを。
「キュリルスさん、もうよせ!逃げるんだ!」
「何を言うか、逃げるのはお前じゃ!リタ様を連れて早く逃げんか!」
剣を構えたキュリルスが一喝した。
「あやつはわしが食い止める!早く……」
「できるわけないでしょ。老いぼれ」
嘲りの言葉と表情と共に、数多の騎士の命を刈り取った一撃がキュリルスの首目掛けて飛ぶ。
「避けろ!その尾は鎧を貫く!」
そう叫びつつも、それが無駄だということをマルク自身が痛いほどよくわかっていた。いくら虚勢を張ったところで老騎士は立っているのがやっとなのだ。
今のキュリルスがあの攻撃を避けられるわけがない。
「っ!」
ヴェロニカが咄嗟に目を逸らす。アンジェリカが両手で顔を覆う。
迫りくる死の気配に、キュリルスが大きく目を見開く。
その喉元に致命の尾の先端が伸びるも、老人は避けるどころか身動きもできない。
このままではキュリルスの首が飛ぶ。
誰もがそう思った、刹那。
――どんっ!
「ぐっ!?」
割って入った異形の『何か』が、キュリルスの枯れ木のような身体を突き飛ばした。
そして、堪らず倒れる老騎士の代わりに
どすっ!
――クラリモンドの尾の先端が、その『何か』に突き立った。




