第76話 時間稼ぎ
首が飛んだ。また飛んだ。
悪魔の尻尾が翻る度に、騎士達の首が次々と宙を舞う。
クラリモンドの尾の先端は槍の穂先のように硬く、そして鋭利に尖っていた。
その棘の前では騎士達の鎧は紙のように薄く頼りないものに過ぎず、容易く貫通されてしまうのだった。
「おのれぇっ!」
騎士の一人が尻尾に斬りつける。
……が、刃が立たない。
棘だけではない。先端の棘ほどではないにしてもクラリモンドの尻尾はどこも硬く、騎士達の剣では傷一つ付けることもできなかった。
その硬い尻尾が聖堂内を縦横無尽に動き回り、騎士達を容赦なく打ちつけると、彼らの鎧は薄い木材のように容易くひしゃげ、或いはへこんでしまう。
そのようにして教会騎士達は一人、また一人とその命を散らしていった。
彼らの犠牲を背にして、マルク達は逃げた。
「ぎゃあぁぁっ!」
「……っ!」
後方で上がる悲鳴に、マルクは奥歯を噛み締める。
マルクにとって彼らは、長い時間を共に過ごした人々だった。訓練においては年上のよき先輩達であり、任務においては頼りになる同僚であり、仲間だった。
口数の少ない無愛想な彼を受け入れて可愛がってくれた。
そんな彼らがたった一体の悪魔に苦戦し、いや一方的に蹂躙されているのを尻目に、マルクはリタを抱えて走った。
走らねばならなかった。そうしなければ彼らの犠牲が――死が、無駄になる。
だから歯を食い縛って走るしかなかったのだ。
彼のそんな想いを汲んだのか、ヴェロニカとアンジェリカも口を結んで走った。
だが……それでも、運命の神は彼らに微笑んではくれなかった。
「っ!止まれ!」
マルクの号令で反射的に二人が足を止める。
つんのめって倒れそうになったアンジェリカの襟首をヴェロニカが危ういところで掴む。
……と。
がんっ!
「ひゃっ!?」
その鼻先を掠めるように落下してきた何かが地面に落ち、重い金属音を上げた。
落ちてきた「それ」が落下の勢いを殺しきれず、地面をゴロゴロと転がる。
一体何が落ちてきたのだろう。そう思って目を開けたアンジェリカは、ちょうど彼らの前で動きを止めた「それ」を見て、悲鳴を呑み込んだ。
「ひ……っ!」
思わずヴェロニカの手を握り締める。
それは冑を被ったまま首を切断された、騎士の生首だったのだ。
「……っ」
同じくそれを見て顔を青褪めさせるヴェロニカと手を取りあい、カタカタと身体を慄わせる。
一方のマルクは絶命した同僚の最期の顔を、険しい顔で見据えていた。
気付けば背後の剣戟の音は、既に途絶えている……。
「そこまでよ、あなたたち」
その言葉に三人が振り返ると、クラリモンドが遠くからこちらを眺めていた。先程いた位置から、まったく動くことなく。
激しい戦闘を終えた直後だというのに彼女は血を流すどころか、毛筋ほどの傷も負っていない。
「それ以上進めば……殺すわ」
冷酷に告げるその足元には、血塗れの騎士達が死屍累々と倒れていた。
「……!」
それを目の当たりにしたマルクが歯を食い縛り、腕の中のリタを見下ろす。
「お前達、リタを頼む」
「マルク様、どうされるおつもりですか?」
未だ失神したままのリタの身を受け取りながらヴェロニカが問う。
マルクは剣を抜き払いながら言った。
「彼らと同じだ。俺が戦うから、リタを連れて逃げろ」
「そんなのムチャですよぉ!」
アンジェリカは思わず叫んだ。
いくらマルクに剣才があるといっても現時点では騎士見習いでしかない。
たった今目の前で大勢の騎士達が苦もなく一蹴されたというのに、彼一人で何ができるというのか。
そんなことは戦闘に疎いアンジェリカにすらわかることだった。
「アンジェの言う通りです、マルク様」
こちらはいくらか冷静にヴェロニカが言う。
「死に急ぐような真似はおやめください。どうか冷静に」
「俺は冷静だ。この状況で他に選択肢はないだろう」
マルクを引き止めつつ、ヴェロニカが素早く思考を巡らせる。
出口まではもう如何程もない。少しでも足止めできれば、たしかに逃げられるかもしれない。
その判断はさほど見当違いともいえないだろう。
ただし――リタがいなければ、の話だ。
いくらなんでも自分たち二人では、意識のないリタを担いでそんなに早くは走れない。
加えて、彼一人でアレを相手に、それほど足止めできるとも思えなかった。
そのクラリモンドは嘲るような笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
それを横目で見ながらヴェロニカは告げた。
「失礼ながら、そうは見えません。お仲間のために一矢報いようとなさっているとしか」
「……」
「今のマルク様は冷静さを欠いている。彼らの犠牲を無駄にしてはいけないと言ったのは貴方ではありませんか」
マルクはリタに視線を落とすと、悔しそうに目を閉じた。
「しかし他に何ができる?」
「時間を稼ぐんです」
(……たしかにそれしかないかも)
その提案にアンジェリカも心の中で同意する。
今の自分達に何ができるとも思えない。ならば、おとなしく誰かの助けを待つ。
消極的ではあるが、この場ではベストな判断に思えた。
教会騎士団はまだ全滅した訳ではない。外で警備に当たっていた人員もいれば、避難誘導に当たっていた騎士もいる筈だ。
彼らが戻ってきてくれれば、まだ脱出できる可能性はある。
(さすがヴェラだね。こんな時でも冷静で、頼りになるんだから)
そうアンジェリカが感心した時だった。
当のヴェロニカが小声でそっと、こう付け加えたのだ。
「こうなったら、もう……アゼルに賭けるしかないわ」
(……は?)
聞きまちがいかとアンジェリカは思った。
アゼル?それって、あのアゼルのことだろうか?
どうしてここに彼の名前が出てくるのだ?
さっぱり訳がわからなかった。
(いやいや、そんな訳ないよね)
やっぱり聞き違いだろう。
アンジェリカがそう思おうとした時、マルクの思案げな呟きが耳に入った。
思わずそちらを振り返ると。
「……アゼルか」
何やら眉根を寄せていた。
アンジェリカの目には、どうやら彼は迷っている様子に見えた。
それを見て、また訳がわからなくなる。
やはり聞き違いではなかったのか?
戸惑うアンジェリカを他所に、ヴェロニカが重ねてマルクに言った。
「もうそれしかないでしょう?アゼルが来るのを待つんです」
(いやいや。ヴェラってば何言ってんの?)
最初は自分の耳を疑ったアンジェリカだったが、今度は親友の正気を疑った。
さすがの彼女も、恐怖でどうかしてしまったのだろうか。
この状況でアゼルが来てどうにかなるのか?
いいや、なる訳がない!
しかし驚いたことに、そう考えたのはどうやら自分だけのようだった。
というのも、マルクはこう答えたのだ。
「……だが、お前はそれでいいのか?」
(えぇ――っ!?)
またしても信じられない発言を聞かされて、口から出掛けた声を危うく呑み込む。
信じられなかった。
ヴェロニカの突飛な発言(そうとしか思えなかった)に、マルクが疑問を抱いていないようだったからだ。
あの、いつも冷静沈着なマルクが!
(え、何?ホントどうなってんの。この二人、さっきから何の話してんの?)
頭がちんぷんかんぷんのアンジェリカを余所に、二人は深刻そうにボソボソと訳がわからぬ会話を続けている。
「わかっているだろう。そしたらあいつは……」
「いい訳がないでしょう」
ヴェロニカが吐き捨てるように言う。
「だけど他にどうしようもないじゃないですか。……それにリタは聖女になった。それなら」
「ちょっとちょっと、どういうこと?さっきから二人とも何言ってんの?」
とうとう堪りかねてアンジェリカは二人の会話に割って入ろうとした。
「なんでそこにアゼルが出てくるわけ?一体……」
「シッ!大きな声を出さないで」
「そうだ。奴に聞かれたらまずい」
(なんなの?)
アンジェリカの頭は疑問符だらけだった。そう言うならせめて説明してほしい。
ふと後ろを振り返れば、あの元から恐ろしかった修道院長がさらに恐ろしげな姿になって、一歩、また一歩とこちらに近づいて来ていた。
恐怖で頭が変になりそうだった。
(やっぱ二人ともおかしくなっちゃったのかな?)
だとしたら万事窮すだ。いつも冷静で、頼りになるはずの二人がこのザマでは。
これが絶体絶命というやつだろうか?
アンジェリカは暗澹たる気分でそう思った。
「相談は纏まったかしら?」
からかうように、今や悪魔そのものの姿と化したクラリモンドがそう問うてくる。
「おとなしくリタを渡しなさい。私達の目当てはその子だけ。そうすればあなたたちは見逃してあげるわよ」
「……本当ですか?」
そう答えたのはヴェロニカだった。
「ヴェラ!?」
「ヴェロニカ!」
非難の声を上げる二人を無視し、ヴェロニカがクラリモンドと会話を進める。
「本当にリタを差し出せば私たちを見逃してくださるんですか、クラリモンド様?」
「もちろんよ、ヴェロニカ」
教え子の問いにクラリモンドは鷹揚に頷いた。
「私だってできれば子供の命なんて奪いたくはないもの。リタさえ差し出せばあなた達三人の命は保証するわ」
そして笑いながら付け加える。
「なんなら神に誓ってもいいわよ?」
「……それを信じろと仰るんですか」
「ふふ、冗談よ」
クラリモンドは機嫌良さげに哂った。
「おい、本気で言っているのか」
「もちろん私は本気ですよ」
ヴェロニカが二人に目配せをする。クラリモンドからは見えないように。
アンジェリカはすぐにその意図を察した。
(ああ、時間稼ぎね)
ヴェロニカは先ほど口にしていた作戦を実行するつもりなのだろう。言い争うフリで時間を稼ごうと、それで心にもないことを言いだしたのだ。
いくら恋仇とはいえ、まさか本気でリタを見捨てようとしているなんてことはないはずだ。
たぶん。




