第72話 罠
その時。パチパチという場違いな拍手が聖堂に響いた。
「すごいわねぇ、リタ。やっぱりまぐれじゃないみたいね」
クラリモンドだった。
彼女は悠然とした足取りでこちらに向かって歩きながら、リタに賞賛の拍手を送っていた。
「あのリタがあんな大きな障壁を二度も出せるなんてね。私も指導した者として鼻が高いわ」
「院長様……」
リタが戸惑って声を上げる。
困惑する教え子に向けてクラリモンドは言った。
「ねぇリタ。今のあなたならもしかして治癒魔法も使えるのかしら」
「え?」
「見てごらんなさい。あっちに死にかけの連中がごろごろ転がってるでしょう?」
「!」
その言葉でリタは思い出した。先ほどの爆発で負傷した騎士達のことを。
自分を逃がすために犠牲になってくれた彼らのことを……。
「今のあなたならあいつらの傷を治すことだってできるんじゃない?なんなら、死人を生き返らせることだって……」
クラリモンドは意味深な視線を背後に向けた。
そちらには絶命した二人の司教達の無惨な遺体が転がっているはずだった。
「……!」
司教達の遺体と、そして半死半生で倒れている騎士達の姿を順繰りに目にしたリタが唇を結ぶ。
その決意に満ちた顔を見たマルクは、先程からの違和感の正体をようやく悟った。
止めようと口を開いたものの、一瞬遅かった。
「アスタルテー!」
リタが天使の名前を口にし、身体から魔力を放出する。
呼びかけに応えたアスタルテーが、その六枚の翼を大きく広げた。
「く……!」
クラリモンドの口角が僅かに上がるのを見たマルクは、自分の予感が正しかったことを悟り、悔やんだ。
一方。アスタルテーを通じてリタの魔法は確かに発動していた。
「すごい……」
「なんて神々しい霊気なの……!」
アスタルテーから放出される神聖なる魔力にアンジェリカとヴェロニカが思わず感嘆の声を漏らす。
それは聖堂内の全てに充ち、傷つき倒れた者たちに遍く降り注いだ。
「う……。これは……?」
「痛みが引いていく。いや……傷が癒えていく」
死の淵にあった騎士達が身を起こし、信じられないという表情で互いを見交わした。
「これが聖女様のお力か」
「なんと安らぎに満ちた光なのだ……」
「これならまだ戦える!」
「ああ。聖女様を護らねば!」
傷が癒えた騎士達が次々と立ち上がる。一度は死にかけたというのに彼らの士気は高かった。
一方で起き上がってこない者たちもいた。
セラピオンとレオナルドゥスの二人の司教。そして特に損傷の酷かった騎士の何人かは、アスタルテーの魔力を浴びても身じろぎもしない。
それは既に息絶えていた者たちなのだろうとマルクは察し、同時に理解する。
いかに聖女の力でも死者を甦らせることはできないのだ。
少なくとも今は、まだ。
「凄い。ほんとに治しちゃった……。やったねリタ!」
アンジェリカの賞賛に返事はなかった。
不思議に思ってその顔を覗きこんだアンジェリカは驚いた。
「ど、どうしたのっ!?」
「はぁ、はぁ……っ」
リタは荒い息を吐いていた。
顔は重病人のように青褪め、額に冷たい汗を浮かべている。
手足はガクガクと痙攣したように震え、立っているのもやっとのようだった。
そしてよろめいて倒れそうになったところを、マルクが抱き止めた。
「ちょ……リタっ!?」
「……魔力切れだ」
マルクが短く答える。
「え?」
言われてみると、確かにこれと似た症状をアンジェリカは見たことがあった。
たしかあれは……。
「あ、前にヴェラがなってたやつ?」
「うるさいわね」
神聖魔法の練習をしすぎて倒れたことのあるヴェロニカが憮然と言う。
「……なるほど。まんまとしてやられたってわけね」
「そういうことだ」
「どういうこと?」
「魔力を使うように誘導されたのよ。今この場であの……に対抗できるのは、この子だけだから」
「その力を自分に向けられる前に魔力切れになるよう仕向けたんだ。いくら聖女になったとはいえ、今のリタがあれだけの大魔法を連発するのは無理があったのだろう」
「……なるほど」
アンジェリカは納得した。
あんな巨大な守護障壁に加え、数十人を同時に回復させた治癒魔法。
それは司祭どころか司教クラスの高位聖職者の数人分にも匹敵するものだろう。
聖女になりたてのリタでは魔力量が足りなかったとしても頷ける。
「まったく……いいように踊らされちゃって。この場を切り抜ける切り札だったのに」
気絶したリタを見下ろしてヴェロニカが毒づく。
「あの状況では仕方ない。たとえ相手の狙いがわかっていてもリタなら同じことをしただろう」
「……だね」
考えなしだとしても、リタが大勢の人の命を救ったのは確かだ。
リタがああしていなければ多くの犠牲が出ていたろうし、騎士達も手遅れになっていたかもしれない。
両親を救ってもらったアンジェリカとしては感謝しかない。
「わかってますよ。……だから馬鹿だって言ってるんです」
複雑そうな顔でそう言うと、ヴェロニカは顔を上げた。
「とにかくこの子はもう当てにできない。早く逃げないと……」
「させると思っているのかしら?」
その声が思いの他近くから聞こえたことにヴェロニカはゾッとした。
リタに気を取られている内に悪魔は……いや、悪魔憑きとなったクラリモンドが傍まで近づいてきていた。
「リタはみっともなく気絶中。剣聖メダルドゥスは遠いお空の彼方。急報を聞いて駆けつけようにも間に合いやしないわ」
魔力切れを起こしたリタを眺め、満足そうに見下ろす。
「わかるでしょう?もうこの場に私とロミュオーを脅かす存在はいないのよ。諦めてリタを引き渡しなさいな」
「……何か忘れてやしないか」
「何ですって?」
「リタ様に手を出させはしないぞ……悪魔め」
勝ち誇るクラリモンドに剣を向け、そう言ったのは騎士団長だった。負傷していた彼もまた、リタの魔法によって完全に回復していた。
同じく傷が癒えた教会騎士団の生き残りたちが、全員でクラリモンドを包囲する。
「ああ、そういえば貴方たちもいたわね。すっかり忘れていたわ」
つまらないものを見るようにクラリモンドは騎士達を睥睨した。
「だけど死に損ないが私達に敵うとでも思っているの?貴方達の剣じゃ私を傷つけられない。もうわかっているでしょう?」
「なんとでも言うがいい。それでも我らはリタ様をお護りする」
その言葉に、その場にいる全ての騎士が頷く。
「リタ様をこの場から逃がす。そのための楯になれるなら悔いはない」
「あんな小娘のために犬死にしようというの?」
「犬死になどではない。マルク、早く行け!」
「……行くぞ、二人とも」
マルクがリタを抱え直す。
「ですがマルク様……」
促されたヴェロニカが躊躇を見せる。
通常の剣撃では悪魔相手には効果が薄い。祓魔の術がなければ悪魔は倒せないというのが常識だ。
だが司教達が死んだ今、この場に祓魔の術を扱える者はいない。……悔しいが、見習いの自分の術では流石にあのロミュオーには通じない。
つまり、聖騎士ではない彼らには悪魔に対抗できる手段が残されていないのだ。
せっかく治療されたというのに、それでは殺されるために立ち上がったようなものではないか。
「わかっている」
それでもマルクは首を振った。
彼らにできることといえば、体を張ってリタを逃がす時間を稼ぐことだけ。
そんなことは騎士団長はもちろん、騎士達の誰もが承知している。
そして、それでもその場から逃げ出そうとする者は誰一人としていないことも、マルクにはわかっていた。
だから彼は言った。
「行くぞ」
「……はい」
彼らの覚悟を無駄にしないためにも、リタを何としても護らねばならない。
ヴェロニカとアンジェリカも硬い表情で頷き、全員で出口を目指す。
「いやねぇ、どいつもこいつも。いい年した男があんな小娘のために必死になって」
それを横目で見ながら、クラリモンドはわざとらしく溜息を吐いた。
「ただの小娘ではない。リタ様は本物の聖女だ。いずれ世界を貴様ら悪魔からお救いくださる方なのだ」
「そうだ。あの方のお力を見て、我らはそれを確信した。リタ様を救うことはこの世界を救うことに等しい。ならば騎士たる我らがどうしてその命を惜しみなどするものか」
騎士団がクラリモンドを四方から囲む。それは先ほどのように爆発呪文で一網打尽にされないための陣形だった。
これなら一部を吹き飛ばされても、生き残った者で足止めを続けることができる。
敵を倒すためではない。自分達の攻撃が通じないのを潔く認め、ただ時間稼ぎに徹しようとしている。
リタを逃がす時間を稼ぐためだけに、彼らは命を捨てる覚悟だった。
「ご立派なものね。でも、犬死にであることには変わりないわ」
そんな悲愴な覚悟を固めた彼らを、クラリモンドはぐるりと首を巡らせて見回した。
そして小馬鹿にしたように嗤った。
「この命が世界を救う一助となるのだ。犬死になどであるわけが……」
「そういう意味じゃないわよ」
「……何?」
「あのね、私達はさっきまで手を抜いていたのよ。リタの奴を消耗させて、魔力切れを起こさせるためにね。そのためにあんた達をわざと生かしておいてあげたわけ」
「一体何を言って……」
「あら、わからない?つまり……」
クラリモンドの四本の尻尾が動き、ヒュッと風を切る音を立てた。
――と。
「もう手加減する必要がないってことよ!」
騎士団長と、その近くにいた数人の首が、高々と宙を舞った。
活動報告にサブキャラの名前の由来を載せました。よければ見てやってください。




