第71話 聖女の力
「あ……ああ……」
アンジェリカが呆然とそれを見つめ、ガクリと膝を着く。
「お父様……お母様……」
「……アンジェ」
ヴェロニカは涙を零す親友の肩に手を置いた。
しかし慰めの言葉は見つからない。
見つかる訳も、ない。
何もできず、もうもうと立ち昇る黒煙を見るしか……。
(え?)
ヴェロニカは目を疑った。そして慌てて親友の肩を揺らした。
「アンジェ、顔を上げて!」
「え……?」
「見て、ご両親は無事よ!」
「っ!」
アンジェリカが弾かれたように顔を上げる。
両親がいた2階に目をやった彼女が見たのは、無惨に破壊し尽くされた桟敷席……ではなかった。
爆発による噴煙がようやく少し弱まり、煙の影から姿を現わしたのは桟敷席を覆うほどに巨大な、光り輝く五芒星だった。
「あれ、は……?」
アンジェリカが呆然と呟く。
「おそらく守護障壁よ」
「守護障壁?」
「『聖なる加護』という神聖魔法で生じる障壁よ。高位聖職者しか使えない上級魔法で、あらゆる破壊的な力を防ぐと言われているの。あんな巨大な障壁なんて、ちょっと信じられないけれど……」
ヴェロニカが教本で学んだ通りなら、聖なる加護の守護障壁はせいぜい数人を収容できるほどの大きさである筈だった。
だが彼女達が今目にしているそれは小さな家屋程度ならまるごと包んでしまえるほど巨大なもの。
その巨大な障壁がロミュオーの放った魔術の爆発を完全に防いだのだ。
「ほら、リタのご両親もあなたのご両親も無事よ」
「ほんとだ……!」
光の障壁の向こうに両親の姿を確認して、アンジェリカはまた涙を流した。
リタも自分の両親が無事なのを見て安堵の息を吐いた。
そのリタにマルクが声を掛ける。
「……リタ、あれはお前がやったのか?」
「え?」
マルクが指差したのはむろん、唐突に現れた光の魔法陣。
「わ……わからないわ。私にも、何がなんだか」
リタは戸惑い気味に自分の両手を見つめた。
「でも……さっき「危ない!」って思った時、身体から何かが放出されたような感じがしたの」
「どうやら間違いないみたいね。だってほら……」
ヴェロニカがリタの頭上を手で示す。
そこには、一度は姿を消した筈のアスタルテーが再びその麗容を現わしていた。
また天使はその身から神聖な魔力の輝きを放っており、それは守護障壁が放つ光と同じであるようにヴェロニカの目には見えた。
「きっとあんたは無意識に魔法を使ったのよ。アスタルテーがそれを助けてくれたんだわ」
「私が……」
じっと手を見る。自分が魔法を使ったというのがリタには信じられなかった。
これまでに味わったことのない感覚だった。どんなに練習しても、初歩の治癒魔法も満足に使えなかったというのに。
その手をアンジェリカがギュッと握る。
「ありがとうリタ!お父様とお母様を助けてくれて!」
「わ、私じゃないわ。アスタルテーのおかげで……」
「アスタルテーの力は聖女であるあんたの力よ。素直に感謝されときなさい」
「う、うん」
言われた通り素直に頷く。ヴェロニカのそっけない賛辞が嬉しかった。
だが悠長に喜んではいられない。
リタは2階を見上げると、両親に向かって声を張り上げた。
「二人とも早く逃げて!私は大丈夫だから!」
「お父様たちも早く!今の見たでしょ、リタは本物の聖女様なんだから!」
その声を受けた親達が躊躇いながらも身を翻すのを見て、リタとアンジェリカが胸を撫で下ろす。
――と、ほどなく光の障壁は消失した。
「ふぅん……。大したものねぇ」
消えた守護障壁の残滓を眺め、クラリモンドがさも感心したように呟いた。
「ろくすっぽ魔法を使えなかったリタがあんな大魔法を使うなんて。どうやら聖女になったというのは間違いないようね」
「いやいや、そう決め付けるのは早計だよ」
軽い口調でそう反論したのはロミュオーである。
「今のは単なるまぐれかもしれないじゃないか。本当に聖女と呼ぶに足る力があるかどうか、もう一度試してみるのはどうだろう?」
「それもそうね。可愛い教え子がズルしていないか、ちゃんと確かめなくては」
クスクスと笑いながらクラリモンドが同意する。
そしてスッと腕を上げた。
「それなら次はあそこを狙ってよ、ロミュオー」
まっすぐに彼女が指差したのは聖堂の出口だった。
先ほどよりはいくらかその数は減っているものの、避難が滞っているのか多くの避難者の姿がまだそこにはあった。
「っ!」
リタが息を呑む。
それを見たロミュオーが口角を上げる。
「任せなよ。だけど三度続けて同じ呪文というのも芸がないな。今度は火炎魔法を披露するとしよう」
「ひぃぃっ!」
出口付近にいた見習いの少女が、悪魔が自分達に向けて手をかざしているのを見て悲鳴を上げた。
リタが制止しようとする間もなくロミュオーは呪文を口にした。
「炎よ馳せよ」
ごぅっ!
ロミュオーの手から放たれた業火が、轟音を唸らせながらリタ達のすぐ脇を掠める。
恐ろしい火焔の渦はまっすぐに聖堂の出口――その付近にいる人々を焼き尽くさんと突き進んでいった。
咄嗟にリタは叫んだ。
「お願い、アスタルテー!もう一度皆を守って!」
目を瞑り、腕を組んで祈りを捧げる。
と……自分の中の『力』がアスタルテーに向かって流れていくのを、リタは今度は明確に感じ取ることができた。
リタは思った。これが魔力なのだろうか?と。
不思議な感覚だった。これまでいくら努力してもうまく感知することができなかった力の流れが、今初めてはっきりと感覚として理解できた。
魔力が、リタの意思を伴いながら中空に浮かぶ天使へと流れ込んでいく。
するとアスタルテーはそれを受け、契約者の願う意思を実現すべく神聖魔法を発動させた。
ばぢぃっ!
避難者達を守るように出現した巨大な五芒星が、ロミュオーの放った火炎の渦をまたも打ち消す。
「やったやった!すごいよ、リタ!」
アンジェリカが喝采を送る。
「本当に、私が……」
リタはまだ信じられないというように、自分が出現させた魔法障壁を眺めた。
「ぼんやりしてないで!今の内にさっさと逃げるのよ!」
思わず足を止めていた避難者達にヴェロニカが激を飛ばすと、我に帰って避難を再開する。
「落ち着いて避難するんだ!大丈夫、俺達には聖女リタがついている!」
マルクの言葉によって混乱は少し収まり、出口付近の人数は着実に減ってゆく。
「あっちはなんとかなりそうですね」
「ああ」
マルクはひとまず同意した。リタが出した魔法障壁はまだ残っている。
ヴェロニカの言う通り、これなら避難はどうにか完了するだろう。
(あとは肝心のリタを逃がせるかどうかだ)
リタの力は本物だった。
そして真の聖女の力は、あのロミュオーという悪魔にもまったく引けを取らない。
いや、むしろ上回っているようにすら思える。
この力があれば、リタを逃がすことは可能かもしれない。或いは、奴を倒すことだって……。
(だが、なんだ?この違和感は)
何かの罠に嵌まっているかのような、漠然とした厭な予感をマルクは覚えていた。




