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アゼルとゼラ(或いはリタ)  作者: 塵野オコ
第四章 「その日」
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第67話 悪魔の登場

「え」

「……何?」


 リタが聞き違いかと首を傾げる。

 セラピオンも不可解そうに眉を(ひそ)めた。

 人々が戸惑い気味に囁き声を交わす。


「クラリモンド君、今なんと言ったのかね?わしも年を取ったかな、耳が遠くなったようだ。わしには君が下らないと言ったように聞こえたのだが」


「あら。先生は老いぼれですけど、まだ耳は遠くなっておりませんわ。だって私は確かにそう口にしたのですから」


 あからさまに嘲弄されたセラピオンが目を剥く。

 一方でリタは、不安そうにクラリモンドを見つめていた。


「院長様。一体、どうされたのですか?」


「どうされた?どうされた、ですって?」


 クラリモンドはいきなり笑い出した。

 愉快そうに、とはとても見えない、顔に貼り付けたような嗤いを。


「どうされたも何も、やってられないと言っているのですよ。リタ、あなたが聖女ですって?聖女候補に選ばれたことすら不可解な、凡庸なあなたが。学問も神聖魔法もろくにできないあなたが」


「それは……」


 リタが目を落とす。


「クラリモンド君、口が過ぎるぞ。それでも我らが女神はリタ様を選ばれたのだ。君が納得できずとも、神意は示された。ならば尊重せねばならん」


「神意?神意ねぇ。不死の神々のお考えは私達には推し量り難いものとはいえ、それにしてもイシュター様は一体何をお考えなのでしょうか?」


 クラリモンドは聖堂の最奥に聳え立つイシュター像の威容を見上げた。


「子供の頃、私は神童と呼ばれていました。周囲は私が聖女になることを期待した。そうではないとわかった時、今度はきっと天使を授かるに違いないと思った」


 自嘲気味に笑みを浮かべる。


「私もそれを望みました。周囲の大人の期待に応えたかったし、何より私自身が天使に……いいえ、神に選ばれたかった。自分なら必ず天使を授かると思っていました。だけど結果は?私はアスタルテーどころか、3級天使を授かることさえできなかった」


 語り口は静かだった。しかしそれはどこか精神の均衡が崩れたような、不穏な調子を帯びていた。

 今にも激発しそうな感情を、辛うじて抑えているかのような。

 宝玉の警備に当たっている騎士達が、困惑混じりに視線を交わす。


「一体どうして?どうしてなのでしょうか。私には才能があった。それに誰よりも勤勉だった。何より、道心堅固だった」

 

 クラリモンドが一歩、祭壇へと足を進める。


「見神の儀で天使が得られなくとも、まれにその後に天使を授かることがある。それを信じて私は努力を続けました。何十年も……何十年も!密かな自慢だった金色の髪が白くなり、顔に皺ができても。節節(ふしぶし)の痛みに、日々の勤行が年々辛くなっていっても……」


 一歩、また一歩と祭壇に近づく。

 

「世俗の誘惑に身を持ち崩す者も多い中、私はあらゆる誘惑を撥ね退け、ひたすらに自分を律した。誰よりも清らかに生きてきた……」

 

 見上げる視線のその先には、超然として宙空に浮かぶ熾天使、アスタルテー。


「それなのにどうして?――どうして私には天使を授けてくださらなかったの。女神イシュターよ。熾天使アスタルテーよ。どうして私を選んでくださらなかったのですか?」


 身を切るようなその訴えにも、沈黙の天使は何も答えなかった。

 ただ、視線を返しはした。

 ……しかしその時にはもう、クラリモンドはアスタルテーを見ていなかった。

 彼女が視線を向けていたのは――リタだった。


「リタ……なんて侮辱なの。よりにもよってあなたのような子が、どうして聖女になれるの?」


「わ……私は」


 リタは怯えていた。親しい知人の、普段とはかけ離れた言動に。

 その鬼気迫る表情に。

 唇が震え、何も答えることができなかった。

 だが、それで構わなかったのだ。

 どうせ相手は聞いていなかったのだから。


「あなたには婚約者がいるわね。家柄もよく、眉目秀麗で、前途洋洋たる若者が。……それに幼馴染だっているわ。あなたのことを誰より大事に思っている、あなたのためなら命だって捨てられるという男の子が」


「え……」


「まだ子供のくせに、男を二人も侍らせて。――なんてはしたないの?なんてふしだらなの?間違っているわ……こんな子が聖女に選ばれるなんて!」


 その言葉はとうとうヒステリックな様相さえ帯び始める。

 クラリモンドはまた一歩祭壇に近づいた。


「どうしてなのですかイシュターよ!どうして私ではなく、こんな小娘をお選びになったのですか!?」


「何をしている、早く取り押さえろ!」


 騎士団長の怒号が飛んだ。

 警固の騎士が弾かれたように祭壇に向けて駆け出す。


 だが、一歩遅かった。

 クラリモンドは飛びつくように祭壇に駆け寄ると、台座に据えられていた宝玉を掲げ、床に叩きつけるように投げ棄てた。


「あっ!」


 誰かが叫んだ。


「宝玉が!」


 という声がそれに続く。


 ――そして。

 固唾を呑んで見守る人々の前で、古代魔導王国の遺産はパキン!という甲高い音を立て、あっけなく砕け散ってしまったのだった。


「なんということを……!」


 予想だにしない事態に誰もが呆然と言葉を失う中、砕けた宝玉を悼ましい顔で見つめながらセラピオンが呟いた。


「クラリモンド君、君は自分が何をしたかわかっているのか」


 司教は厳しい顔つきでかつての教え子を睨み据えていた。

 その声で我に返った教会騎士達もまた、内陣に向かって殺到する。


「もちろんわかっていますわ先生。私は結界を壊したのです。誤りを正すために」


「誤りだと?」


 騎士達が内陣を取り囲む。何人かは既に剣を抜き、クラリモンドに向けている。


「ええ、誤りです」


 それでもクラリモンドは彼らを無視し、セラピオンだけを相手にしていた。


「リタが選ばれるなんて何かの間違いですわ。私ではなくその子が聖女に選ばれるだなんて、そんなの――神が、過ちを犯したとしか考えられないでしょう?」


「それは涜神だ!」


 セラピオンが糾弾する。


「それは我らが神を冒涜する発言だ。聖職者として決してあってはならないことだ!偉大なる女神を、我らが主の御意志を疑うなど……いやしくも神に仕える身として、断じてあるまじき行為だ!」


「……ええ、そうね。過ちを犯す神などもはや神ではない。敬うには値しない……」


「口を慎みたまえ!」


「そうね、その通りだわ。ならば私はこれ以上何を我慢することもない。私はもう、我慢しない……」


「黙れと言って……」


「司教様、お下がりください」


 激高するセラピオンを制したのは騎士団長だった。司教の前に立ち、己の背後に庇う。

 彼と行動を共にしていたマルクもまた、リタを庇うようにその前に立った。


「しかし」


「彼女は貴方と話しているのではありません」


 尚も糾弾を続けようとする司教に騎士団長は告げた。


「何?」


「彼女はもう貴方を見ていない。さっきから見えない『何か』と話している。我々には見えない何者かが彼女にだけは見えていて、そして会話しているのです」


 騎士団長の言う通りだった。クラリモンドの視線はもはや、司教を()()()()()

 彼女の視線は僅かに上を向いている。

 まるで彼女より背の高い『誰か』が、彼女の目の前にいるとでもいうように。

 ……だが、そこには()()()()()のだ。

 その見えない『誰か』を、クラリモンドは陶然とした顔つきで見つめているのだ。


 セラピオンはサッと顔色を変えた。


「見えない誰かだと?それではまさか……」


「ああ……そうね。ようやく貴方に逢えるのね」


 感に堪えないという口調で老修道女が呟く。

 彼女はゆっくりと腕を広げた。

 憧憬と、恋慕の情をありありと浮かべながら、彼女が顔を上げる。

 そして目の前の誰かに向けて、縋るように――訴えるように、その痩せさらばえた両腕を伸ばしていった。


 長年の節制によって血色の失せたその頬を、今は少女のように薔薇色に染めて。

 堅固な道心の象徴のように固く引き結ばれていた唇を、唄うように綻ばせて。



「女神イシュターよ!私は、貴女を棄てる!」



 衆目の尊敬を集めた女子修道院長にして、誰よりも敬虔な信徒であった女司祭は、かつて主の御名を讃えたその口で高らかに涜神の言葉を告げた。



「貴方と契約するわ、ロミュオー!だからこの私に、永遠の若さを!」



 そして、彼女の背信に応えるように――




「ああ……もちろんだよ。僕の可愛い人」




 ――この世ならざる者の声が……()()()()

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― 新着の感想 ―
そういう事をする性格だからクラリモンドには天使が来なかったというね。 だけど多少の褒美があればここまで崩れる事もなかったんじゃないかとも思うと神は人の心が理解できないんだろうなと…。 普通に考えても節…
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