第62話 儀式前小景⑦ ヴェロニカの様子
人生ってままならないものだな、なんて達観めいた気持ちが過ぎる。
(ていうか恋愛が、かな)
好きになった相手が自分のことを好きになってくれるとは限らない。もし好き同士だとしても、色々な事情や障害があって結ばれるとは限らない……。
本当に古今東西、恋愛と悩みは切っても切れないものだなぁとアンジェリカは思う。
その点、自分は気が楽だ。貴族の家に生まれた以上、結婚は自分の思い通りにはならないものと割り切っている。
親が決めた結婚相手がいい人だったらラッキー、ぐらいの感覚だ。
仮に伴侶となった男性の他に好きな相手ができたとしたら、結婚と恋愛は別物として愉しめばよい。それは自分だけでなく夫になる相手にしてもそうで、そっちはそっちで好きに愉しめばいいと思っている。
それをおかしなことだとは思わない。貴族社会ではよくあることだ。
でもそんな自分だからこそ、恋愛に悩む友人たちが少し眩しく見える。
傍から見てて大変そうだし、自分がそんな立場になってみたいなんてこれっぽっちも思えないけど、なんだか無性に彼女たちを応援したくなってしまうのだ。
なんとか皆が報われてほしいと、心からそう思う。
(……あれ。私って、なんだかんだで良い子なんじゃない?)
四人の友人達に比べて自分はヒネていると思っていたが、そう捨てたものではないのかもしれない。
そんな風に自画自賛しそうになったアンジェリカだったが、ふと思い留まった。
さきほど両親に言われたことを思い出したのだ。
……それってもしかして、ちょっとやばいのではないだろうか?
(本当に天使様が降りてきちゃったらどうしよう!)
思わず頭を抱えた。
冗談なんかではなく本気で、真剣に、心の底から嫌だった。
天使持ちなんかになったら最後、聖騎士とか教会の要職とかをやらされてしまうに決まっている。
そんな面倒くさいのは真っ平ごめんだ!
(天使様、天使様、聞こえますか?いくら私が良い子だからって、絶対私のところには降りてこないでね!)
他人が聞いたら冗談にしか聞こえないだろう願い事を、本人は至って真剣に祈っていると……。
「アンジェ」
「えっ」
急に声を掛けられてドキリとする。
慌てて振り返ると、そこには自分の親友の姿があった。
「なんだ、ヴェラかぁ。ビックリさせないでよ」
「ごめんなさい」
(ん?)
素直に謝るヴェロニカに違和感を覚える。
自分の親友は、こういう時に素直に詫びる人間ではないはずだが。
どうもやっぱり元気がない気がする。顔色も冴えない。
「ねぇヴェラ、何かあったの?」
「何もないわ」
「何もって、あのねぇ」
アゼルのことで悩んでいるなら相談してよね。そう言おうと思ったのだが。
「まだ何も起きていない。起きるのはこれからよ」
「……え?」
突然の謎めいた言葉に面食らってしまった。
一体この子は何を言っているのだろう?
「アンジェ、よく聞いて」
顔を強張らせたヴェロニカと向かい合う。
……なんだか、ちょっと怖かった。
「儀式の最中に何か起きたら、すぐに逃げなさい」
「え?」
「儀式中に悪魔が襲撃に来るかもしれないという情報が騎士団に入ったの。何か異変があったらすぐに逃げて。リタの近くは特に危険だから、あの子の傍からすぐに離れるのよ」
「え、何でリタ?」
「悪魔の狙いはリタだからよ」
「……それもそうか」
考えてみればわかることだ。見神の儀を悪魔が襲撃に来るなら、目的はリタが聖女になることを妨害するために決まっている。
確かにリタの傍にいたらとばっちりを食ってしまうだろう。
「でも、そしたらリタは?」
「リタのことは騎士団が命がけで護るわ。でも騎士団にとってはあの子の安全が最優先。他の人のことまで護る余裕はないかもしれない」
「そりゃそうだね」
薄情な話に聞こえるが、まあ仕方がない。それがここに派遣されてる教会騎士団の役目なんだし。
「でもさぁ、それなら儀式を延期したらいいのに。別に今日じゃなくても」
「情報源が信用できないからよ。準備にも手間が掛かるし、本当に起きるかどうかもわからない襲撃に怯えて儀式を延期したりはできないということらしいわ。もしかしたらそれこそが悪魔の狙いかもしれないんだし」
「なるほど」
リタが聖女になることを妨害するのが目的なら、儀式が延期になれば悪魔にとっては都合がいいということか。
「ねぇ、それってリタは知ってるの?狙われてるなら教えてあげた方が……」
「駄目よ。余計なことを伝えてあの子が動揺したら、それこそアスタルテーは降臨しないかもしれない」
きっぱりとヴェロニカは首を振った。
「それじゃ困るのよ」
「あれ、ヴェラはリタに聖女になってほしいの?だって今までは……」
「事情が変わったの」
「事情?」
「あの子には何が何でも聖女になってもらわなければいけなくなった」
アンジェリカは首を捻った。
何が何やら、正直さっぱりわからない。
いったい何がどうなれば、この子がリタを応援しようという気になれるのだろうか。
「その事情っていうのは教えてくれない訳?」
「悪いけど教えられない。まだどうなるかわからないから」
「訳がわからないのはこっちなんだけど」
不貞腐れてみせても無駄だった。ヴェロニカはまったく表情を変えてくれない。
まるで仮面でも被っているかのように強張った表情のまま。
詳しい事情を知りたかったが、どうやら諦めるしかなさそうだった。
「ていうかそんなヤバイの?うちの両親も来てるんだけど……」
「あなたのご両親は2階席で観覧されるのでしょう?だったら危険は少ないはずよ。万一の場合、来賓の方々は騎士団が速やかに非難させる手筈になってる」
「……なんでヴェラはそんなに詳しいの?」
素朴な疑問をアンジェリカは口にした。
どうしてヴェロニカが、ごく一部の人しか知らない情報を知っているのだろう。
彼女だって自分と同じ、この修道院の見習いでしかないのに。
「……」
ヴェロニカは唇を結んだ。
何も言ってくれない親友に、アンジェリカは重ねて訊いた。
「さっきマルク様と話してたみたいだけど、マルク様から聞いたの?」
「……見てたのね」
ヴェロニカはそう言うと顔を俯かせた。
表情が見えなくなる。
ただならぬ雰囲気に、アンジェリカはなんとなく不安を感じた。
「えっと……ヴェラ、ほんとにどうしたの?なんか怖いよ」
「何でもないわ」
「何でもって……」
「あなたの言う通り、騎士団の動きはマルク様から聞いたわ。私がこのことを知っているのはね、その前に別口からこの話を聞いていたからよ。マルク様もそれを知っているから、私と情報を共有してくださったの」
「……?」
ヴェロニカが何を言っているのかさっぱりわからない。普段はもっと明瞭にわかりやすく話をしてくれる子なのに。
やはり別人みたいだ、とアンジェリカは思った。
そうして戸惑っていると、いきなり肩を掴まれた。
普段なら気にもしないだろうに、アンジェリカは危うく悲鳴を上げるところだった。
ヴェロニカの指が、痛いほど肩に食い込んでいた。
「ねぇアンジェ、お願いよ……何かあったらすぐに逃げて。約束してくれる?」
「う、うん……わかった」
とりあえず頷くと、ようやくヴェロニカは手の力を緩めてくれた。
まだちょっと痛い。跡になってなければいいけど。
「……でも、悪魔の襲撃かぁ。なんかアゼルもそんなこと気にしてなかったっけ?あの時は心配症だなぁって笑ってたのにね」
「……そうね」
ヴェロニカがまた顔を俯かせる。
「でも、結界があるから入って来れないはずだよね。なら問題ないんじゃない?」
「どうかしらね。その筈……なんだけどね」
「またまた~、怖がらそうと思って。それに悪魔が来たって、メダルドゥス様がいれば大丈夫でしょ?なんたって最強の聖騎士様だもん。メダルドゥス様が来れば」
「メダルドゥス様は来ないわ」
「え?」
ヴェロニカが再び顔を上げる。
それを見て、アンジェリカは思わず息を呑んだ。
そこにあるのは自分がよく知っている筈の親友の顔。
だけどそれは、今までに見たことがないほど青褪めていたのだ。
まるで悪い病気にでも罹ったかのように。
いや。或いは……。
「メダルドゥス様は来ないのよ――アンジェリカ!」
ヴェロニカは震える声で、もう一度そう繰り返した。
まるで悪魔にとり憑かれているような、引き攣った顔で……。




