第55話 道化
「悪魔に命を狙われるリタ様を救うために悪魔憑きになるだと?馬鹿馬鹿しい。そんな与太話を信じられる訳があるまい」
眉間に皺を寄せるマルクに向かい、騎士団長は冷淡に告げた。
「与太話ですって?」
「それ以外になんと言えばいい?リタ様が真の聖女になられた時には、彼女はあらゆる悪魔にとって憎むべき大敵となるのだ。その悪魔がどうして彼に手を貸し、リタ様を救う手助けをするというのだ」
「それは……」
マルクが押し黙る。
確かにそう考えるのが普通だろうとアゼルは思った。
ゼルペンティーナは「他の悪魔がどうなろうと知ったことじゃない」と言っていた。アゼルはそれを全面的に信じた訳ではないが、なんとなく嘘ではなさそうだとも感じた。
だが、それは実際にあいつと話した自分が抱いた印象に過ぎない。そんなものを信じてくれと言ったところで説得力など微塵もない。
さらに騎士団長が続ける。
「誰にでも契約を持ちかけられる野良悪魔が、その少年を選んで接触してきた。その理由は何故だ?彼がリタ様の友人であるからとしか考えられんだろうが。彼と契約すれば容易にリタ様に近づくことができ、殺害することができるから……そう考えるのが当然ではないか」
その通りだとアゼルも認めざるを得なかった。なにしろ自分は何の取り得もないごく普通の亜人の子供に過ぎないのだ。
そんな自分に悪魔が目を付けるとしたら、それはリタの友人だからだと考えるのが妥当だろう。
「……それはおかしいでしょう」
しかしマルクはそれに異を唱えた。
「団長もご存知の通り、俺とリタはこの一年、毎朝のようにアゼルの小屋を訪れていました。あそこは結界の外だから襲おうと思えばいくらでも襲えたはずだ。そのゼルペンティーナという悪魔に本当に予知の力があり、そしてリタの命を狙っているというのなら、いくらでもその機会はあったということです。どうして今頃になって動き出す必要があるんです?」
その言葉にアゼルはハッとした。確かにマルクの言う通りなのだ。
現にゼルペンティーナはあの納屋に二度も姿を現している。あいつが以前からこの世界に実体化していたというなら、リタを襲うことは十分可能だったのだ。
騎士団長はそれを聞くと少し考え込んだようだったが、やがて首を振った。
「では予知の力があるというのがそもそもデタラメなのだろう」
「それでは前提が破綻します。予知の力がなければリタが聖女になるかどうかはわからないはずだ。そして、リタが聖女にならないならわざわざ悪魔が狙う必要もない。現に今までの聖女候補たちは悪魔の標的になどならなかったのですから。……違いますか?」
「お前はどうしてもその悪魔を庇いたいらしいな」
挑むように自分を睨むマルクに、騎士団長は苦笑めいたものを洩らした。
「可能性は色々と考えられる。予知の力が事実だとしても、儀式直前まで手を出せなかった理由があったのかもしれない。或いは、予知と言ってもごく近い未来しか見えないのか。いや、予知の力以外に聖女になるかどうか判別する方法があったとすれば……」
そこまで言うと騎士団長は言葉を切り、肩をすくめてみせた。
「いや、そんなことまで言い出してばキリがないな。可能性だけなら幾らでも挙げられるが、どれも推測の域を出ない。……そして、お前の言ったことにも確かに一理ある」
騎士団長が折れるのを見てアゼルは感心した。
もちろん、マルクに対してだ。
自分はゼルペンティーナと直に接した印象で信じようとしていただけに過ぎない。いわば理屈ではなく直感で判断していただけだった。
それに対してマルクはちゃんと自分の頭で考えている。筋道の通った理屈で大人相手に対等に議論し、自分の意見を通してみせた。
この人が味方してくれるのはやはり頼もしい。
「しかし、そうなるとその悪魔の狙いが本当に読めんな」
騎士団長が思案げに呟く。
「リタ様が狙いでないならどうして彼に近づいた?或いはそう見せかけておいて、あくまで狙いはリタ様なのか?」
首を捻る彼に視線を向けられても、マルクにしても回答は持ち合わせていないようだった。
(ゼルペンティーナの狙い、か)
二人の様子を窺いながらアゼルも考えを巡らせる。
騎士団長の言うように、ゼルペンティーナが自分に接触してきた理由はリタに近い存在だからだというのがもっともありそうな話に思える。
その場合、やはりあいつ自身がリタの命を狙っている可能性を疑わなければならないだろう。
……だがマルクが指摘した通り、あいつはその気になればいつでもリタを襲うことができたはずだ。なにしろあの小屋に来ている間、護衛はマルクだけなのだから。
それだけマルクを警戒していたということだろうか?
(あいつは「身体にガタがきて弱っている」と言っていた。あれが事実だとしたら……)
マルク一人にも勝てないほど衰弱しているのなら、自分と契約したがっていたことにも筋が通る。
しかし、それならそれでもっと早く自分に接触してくることもできたはず。
どうして今になって?という疑問は残る。
(あいつの本当の目的はなんだ?)
考えれば考えるほどわからなくなってきた。
どうして自分と契約したがっていたのか。……いや、自分でなければ駄目だったのか。
まさか、悪魔のくせにリタを守りたいなんてことはないだろう。
『未来視が指し示したから』と言っていたが、結局その言葉を信じるしかないのだろうか?
「……いくら考えても結論は出そうにないな。判断材料が少なすぎる」
諦めたように騎士団長が言った。立場は違えど、アゼルもそれには同感だった。
「とにかく彼の拘束は続ける。その悪魔の狙いがわからない以上、これは絶対だ」
「団長……」
「冷静になれマルク。たしかに我々の当初の認識には誤りがあったようだ。彼は悪魔憑きではなかったし、リタ様を害する意図は本当になかったのかもしれない」
騎士団長は表情を変えず続けた。
「しかしマルク、お前はそのゼルペンティーナなる悪魔のことまで信じられるのか?お前の友人のアゼル少年ではなく、その悪魔のことを」
「……それは」
騎士団長に厳しい視線を向けられ、マルクが言葉に詰まる。
「彼が善意だったことは認めよう。だが、悪魔というものはそうした善意に付け込む連中なのだ。奴らのやり口はお前だってよくわかっているはずだ」
「……」
「リタ様を救うためと言って善良な少年を唆し、その実リタ様を害する企みに手を染めさせる。……悪魔とはそうした卑劣で狡猾な手段をとるものだ。或いは我々が今こうして彼を拘束していることすら奴らの思惑通りであるという可能性もある。そうではないとお前は断言できるか?」
「……っ」
マルクは悔しげに目を逸らした。
「アゼル少年への非礼は詫びる。部下にもこれ以上の手出しはさせないし、怪我の治療もさせる。だが彼には少なくとも明日の儀式が終わるまではここにいてもらう」
「しかし……」
「その悪魔の真の目的がわからない以上、不確定要素はできるだけ排除しておきたい。下手に動かれては迷惑なんだ」
断固とした口調でそう告げると、騎士団長はマルクの肩をポンと叩き、僅かに表情を緩めた。
「そんな顔をするな。これは彼を保護するためでもあるんだ。結界内であればそのゼルペンティーナなる悪魔も彼に接触することはできないのだからな」
そう言うと団長はアゼルを見下ろした。
「君もそれでいいな」
「はい」
「見ろマルク。彼の方がよほど冷静に状況を理解しているぞ」
「……わかりました」
マルクは瞼を閉じ、気を静めるように大きく息を吐いた。
「とにかく彼の治療をお願いします」
「すぐ手配させる」
団長の合図で騎士の一人が慌しく出ていく。
マルクはそれを見送ると、苦渋に満ちた顔でアゼルの身を起こした。
「すまんアゼル。しばらく不自由させるが、辛抱してくれ」
「マルク様……」
アゼルは顔を上げて、言った。
「そんなことはどうでもいいんです」
マルクは少し驚いた顔をした。
「お前……」
「僕のことなんてどうだっていいんです。それよりリタを……リタのことをお願いします」
「……ああ。もちろんだ」
マルクのみならず、その場にいる全員に聞こえる声でアゼルは言った。
「昨夜、ゼルペンティーナは言っていました。明日の王弟殿下の観覧は取り止めになると」
「なに?」
そう口にしたのはマルクだったが、顔色を変えたのは騎士団長だった。アゼルはその話を既にしていたが、荒唐無稽な話だと思った騎士達はまともに報告していなかったのだ。
或いはこの予言の話も、騎士団を混乱に陥れるための罠ではないか……彼はそう考えるのだろうか、とアゼルは騎士団長の心中を推し量った。
それならそれで構わないと思いながら、続ける。
「あいつの予言に拠れば王弟殿下は明日の儀式を欠席される。……それはつまり、メダルドゥス様もここには来られないということです。最強の聖騎士であるメダルドゥス様が」
「……」
「これは今の時点では誰にも知りようがないことです。ですからもしこの予言が当たったなら、ゼルペンティーナに未来視の力があることは事実ということになります」
騎士達の顔が緊張で引き締まるのがわかった。
……彼らの目には今の自分がどう見えているのだろう?
アゼルはふと脈絡もないことを思った。
根も葉もない戯言を訳知り顔で口にする道化だろうか?
それとも、不吉な予言を触れ回る悪魔の遣いだろうか?
どちらでも構わない。
それで彼らの警戒心が高まるのなら、道化でも何でも演じてやる。
「殿下欠席の報があれば、それは悪魔の襲撃も現実に起こり得るということです。その時はマルク様、そして皆さん、どうかお気をつけて……」
それだけ言うとアゼルは意識を失った。
緊張から解き放たれ、気が緩んだのだ。
マルクがアゼルの介抱に動くも、他の騎士達は誰も動かない。
倉庫内は水を打ったように静まり返っている。
そんな中、騎士達は強張った表情で互いの顔を見交わし、或いは失神したアゼルを見下ろしながら、言い知れぬ不吉な予感に戦いていた。




