第54話 友人
マルクがやってきたのはそれから少し経ってからだった。
騎士団長の後から入ってきたマルクはいつになく険しい顔を浮かべていた。そして鎖に繋がれたアゼルの姿を見ると、血相を変えて駆け寄って来た。
「アゼル!」
「……マルク様?」
「おい、しっかりしろ。大丈夫か!?」
「大丈夫です。見た目ほどひどくないですよ……たぶん」
顔を覗き込んできたマルクを見上げ、アゼルは力なく笑った。
頬は腫れ上がり、口の中は切れている。だが骨に異常は感じない。
だからまるきり嘘というわけではないが、多少の強がりは交っていたかもしれない。
痣だらけの顔で笑うと、マルクはなんとも言えない表情を浮かべた。
それを見てアゼルは安心した。
やはりマルクは知らなかったのだ。
自分がこんな目に遭っていることを、彼は何も知らなかった。
(よかった)
それだけわかれば十分だとアゼルは思った。
「……これは一体どういうことですか」
一方、マルクはその場にいた騎士達を睨みつけていた。
「彼は俺の友人です。それに、リタにとっては大事な幼馴染でもある。それは皆さんも先ほどのやりとりでわかっているはずだ」
取り乱してこそいないものの、マルクは明らかに激怒していた。
そのただならぬ気迫に年長の騎士達が気圧されている。
「納得のいく説明をお願いしたい。彼が負っている怪我はあなた方がしたことなのですか」
怒気を含んだ視線に耐え切れなかったのか、騎士達が気まずげに目を逸らす。
彼らに代わってマルクの前に進み出たのは騎士団長だった。
「その少年には悪魔憑きの嫌疑が掛けられていた」
「悪魔憑き?……こいつが?」
マルクはその言葉を一笑に付した。
「馬鹿な。そんなことはありえない」
「お前の言う通りだ。魔力を探知させた結果、彼は悪魔憑きではないことが判明した」
「そうでしょうね。では、どうしてまだ拘束しているのですか」
「悪魔憑きではないが、悪魔と接触していたことは確かだ。それは彼自身が認めている」
「認めている?」
マルクはチラ、と一瞬アゼルを見やると、すぐに視線を戻した。
「馬鹿馬鹿しい。ここまでされたら誰だって自白してしまうでしょう。まったく心当たりのないことだろうとね」
「そう皮肉を言うな。お前らしくもない」
「友人のこんな姿を見せられたら皮肉の一つも言いたくなる」
吐き捨てるように言う。自制心を保ってはいても、彼が激怒しているのは明らかだった。
(こんなマルク様を見るのは初めてだ)
アゼルはそう思い、自分のためにここまで怒ってくれるマルクに感謝した。
だが、同時に焦りも感じていた。
このままではマルクは騎士団の人達と仲違いしてしまいかねない。
それは望ましくない。いや、何としても避けなければならない事態だった。
自分のためにマルクが孤立するなど、あってはならないことだ。
「マルク様、待ってください。僕が悪魔と接触したことは事実です」
「何だと?」
振り返ったマルクが戸惑いの表情を見せる。
「事実だと?しかし、そんな訳が……」
「いや、その通りだ。彼が寝泊りしている小屋から不審な魔力残滓が検知された。術師によればまちがいなく悪魔のものとのことだ」
騎士団長はそんなマルクを諭すように事務的な口調で説明した。
「少なくともこの数日内に彼の小屋に悪魔が立ち寄っていたことは事実だ」
そして、マルクからアゼルへと視線を転じた。
「つまり、彼……アゼルだったか。彼自身は確かに悪魔憑きではないようだが、どうやら野良悪魔にちょっかいを掛けられていたようだ」
「……」
マルクはそれを聞くとしばし黙していたが、再び口を開いた。
「ですがそれならアゼルに非はないでしょう。なぜここまでする必要が?」
「そうもいかん。彼は悪魔に接触したことを秘匿していた。通報がなければ今でも秘密にしていたことだろう」
「その通報というのは誰が?」
「お前が知る必要はない」
騎士団長はその問いには答えず続けた。
「とにかくその一事をもって私はアゼル少年に不審なところがあると判断した。そして彼を捕らえ、彼自身の話を聞いてますます疑惑を深めた。彼は……」
そしてマルクを見据え、はっきりと告げた。
「リタ様殺害を目論む悪魔の計画に加担している」
「馬鹿な!」
とうとうマルクは大声で叫んだ。
「それこそ絶対にありえないことだ。こいつはむしろ、リタのためなら何でもする奴です。それこそ自分の命を捨ててでも守ろうとするでしょう。こいつがリタを殺そうとするなど、絶対にありえない!」
「マルク様……」
「いつも冷静なお前がそこまで言うなら、そうなのかもしれんな」
激高するマルクを宥めるように騎士団長は言った。
「先ほどの様子を見るに、リタ様もこの少年にかなりの信頼を置かれているようだ。聖女候補であるリタ様やお前がそこまで信頼しているなら、このアゼルという少年は確かに善人なのかもしれない」
「だったら……」
「だがそれでも、私は騎士団長として彼を解き放つわけにはいかない」
「何故です!」
「知りたいなら彼に直接聞くといい。私が何を言っても、今のお前の耳には入らないだろう」
「……では、そうさせてもらう」
マルクは傲然と騎士団長に言い放ち、彼に背を向けた。
そして再びアゼルの傍らに屈み込んだ。
「話してくれアゼル。一体お前の身に何が起きたんだ」
「……二日前の夕方、僕の前に悪魔が現れたんです。蛇の姿をした悪魔が」
「二日前というと……あの日か。あの後に悪魔が?」
コクリと頷く。
「どうして俺に言わなかった」
「僕は最初、あの悪魔が自分の心の闇を通じて現れたと思っていました。いえ、奴にそう思い込まされていたんです。だから……マルク様に知られるのが怖くて言い出せなかったんです」
「心の闇だと?お前にそんなものがあるものか」
「いいえ、あるんです。きっとそれを知ったらマルク様は僕を軽蔑されるでしょう」
「馬鹿野郎。俺の心を勝手に決めるな」
怒ったようにマルクは言った。
「誰だって少しぐらいは負の感情を持っている。そんなのは当たり前だ。多かれ少なかれ、誰もが悩みや苦しみを抱えて生きているんだ。恥じる必要などない」
「マルク様……」
「俺はお前を友人だと思っている。だからといって悩みを全て打ち明けろとは言わないが、困ったことがあればちゃんと話せ」
「……すみません。次からはそうします」
「ああ、そうしろ」
アゼルの目から一筋の涙が零れた。マルクはそれを見ると少し落ち着きを取り戻したようだった。
「続きを聞かせてくれ」
「はい。悪魔はゼルペンティーナと名乗り、自分には未来を視る力があると言いました」
「未来を視る……予知能力ということか」
「はい」
「それは確かなのか?」
「事実だと思います。あいつは実際に、僕の身に起こることを事前に言い当ててみせました」
「どんなことを言い当てたんだ」
「それは……申し訳ないですが、お話することはできません。ある方の秘密に関することですので」
怪訝な顔を浮かべたものの、マルクは深くは聞いてこなかった。
「わかった、それはいい。……それで?」
「ゼルペンティーナはこう言いました。今度の見神の儀でリタは熾天使アスタルテーを喚び出し、真の聖女として認められる。けれどそのために悪魔に襲われ、その場で命を落とす……と」
「――!」
「そして、こうも言いました。その運命を変えるには、僕があいつと契約するしかないと……」
「なんということだ……」
マルクは額に手を当て、しばし苦悩の表情を浮かべた。
「リタが真の聖女になる、か。……それはいい。だがそのせいで悪魔に命を狙われ、殺される……」
そして額から手を離すと、マルクは断固とした口調で言った。
「そんなことは決してあってはならない」
「はい」
「では、やはりお前はリタを守ろうとしていたんだな」
「もちろんです」
互いに頷き合い、視線を交わす。
そしてマルクは立ち上がると騎士団長を振り返って言った。
「団長、聞いての通りです。こいつはリタを殺そうなどと思っていない。むしろ守ろうとしているのです」
「ああ、部下から報告は受けている。彼がそのように主張していることはな」
「ではなぜ信じないのですか。その上、こんな不当な扱いをするなど」
「逆に聞くが、信じられると思うのか?こんな話を」
にべもない口調だった。




