第53話 リタ②
「あ、あの。気を悪くしたならごめんね?」
こちらの反応をどう思ったのか、リタの口調が少し慌てる。
「王都の神学校は王族の方も通われるぐらい由緒ある学校なの。だから、生徒が自分の従者を連れて行くことが許可されているのよ。もちろん私は貴族じゃないけれど、ほら一応、聖女候補だったわけでしょう?だから従者も連れていっていいみたいで……」
「そう……なんだ」
なんとかそれだけを口にする。まだ理解が追いついていない。
リタが僕を、従者に?
(それは、つまり……ヴェロニカ様と同じことを、リタが?)
「やっぱり気を悪くした?従者だなんて」
不安そうな声音が聞こえる。
「い、いや……そんなことないよ」
「私も友達にそんなことを頼むなんて、正直どうかなって迷ってたの。そんな申し出、どんな言い方をしたってなんだか偉そうに聞こえちゃうだろうし。あなたが気を悪くするんじゃないかって……」
リタは少し言い淀んだようだった。だが、次の言葉ははっきりとした口調で言った。
「でも、そしたらまたアゼルと一緒にいられるでしょう?」
「……!」
ドクン、と鼓動が高鳴る。
アゼルにはその時、ぶ厚い扉越しの優しい笑顔が見えた気がした。
「従者といっても体裁だけで、友達として一緒に来てほしいの。王都の神学校だなんて、知っている人は誰もいないし心細いのよ。その時はマルクも騎士団でのお仕事が主になるそうだし、アゼルが傍にいてくれれば心強いかなって」
「そ、そうなんだ」
声の震えを、なんとか押し隠す。
「マルク様は?マルク様はなんて仰ってるの」
「それがいいって賛成してくれたわ。むしろ「さっさと言え」ってうるさかったんだから」
クスクスという笑い声。
「ほら、今も後ろで頷いているわ。「やっと言ったか」って言いたげに」
(マルク様もそこにいるのか)
無性に二人に会いたかった。こんな扉越しにではなく、直に二人に。
だが、できるはずがない。
こんな痣だらけの顔を見せられないから、ではない。
今にも泣き出してしまいそうな、こんな情けない顔を見せたくないから。
(ああ)
胸が、震えた。
(リタは……ちゃんと、僕のことを考えてくれていたんだ)
そう思うと涙が零れそうだった。
そして、恥ずかしかった。ほんの少しでも、彼女の友情を疑ってしまったことが。
ほんの一瞬でも、リタを裏切りかけた自分自身が……。
「こんなタイミングになってしまってごめんなさい。こんな申し出、あなたがどう思うかわからなかったし……それに儀式の結果がどうなるか、わからないから。聖女になれなかった場合の話をするなんて、よくないかなとも思ったし……」
「……」
「アゼル……返事を聞かせてくれる?」
「僕は……」
どう答えるべきなのだろう。アゼルは迷った。
心情としては頷きたかった。
リタが自分のことを気に掛けてくれていた。一緒に来て欲しいと言ってくれた。
それが素直に嬉しい。
だが、自分は知っている。
そんな「もしも」は起こりえないのだということを。
(そうだ……ありえない)
リタは王都の神学校には行かない。
真の聖女となり、聖地に旅立つのだ。
自分はその時には悪魔憑きか、或いは物言わぬ死体になっている。
どちらにせよ、きっともう会うことは……ない。
(かといって、断るっていうのも)
せっかく自分を気に掛けてくれたのに、その好意を無下にするのは心苦しい。
何より、リタを傷つけてしまいそうで怖かった。
そう迷っていた時、肩を突つかれた。
(?)
見ると、剣を突きつけているのとは別の騎士が手真似でなにやら訴えていた。
首を振り、そして、何かを引っ張るような仕草。
(なるほど)
その意図を察して頷く。
「考えておくよ」
「……」
そう扉の向こうに声を掛けると、少し間があった。
ややあって再び声がした。
「……そうよね、急な話だものね」
その声は少し沈んでいたが、すぐに明るい調子を取り戻す。
「じゃあ考えておいてね!あなたが一緒に来てくれるなら私、頑張れると思うから。……たとえ聖女になれなかったとしても」
「そんな弱気じゃ駄目じゃないか。君は聖女になるんだろう?」
「ふふ、そうよね。……アゼルは私を応援してくれる?」
「もちろんだよ」
「それで……会えなくなっちゃうかもしれなくても?」
「夢を叶えるためだろう?」
「……」
「『全ての種族が手を取り合って生きていける世の中になってほしい。聖女になって、少しでもそんな世界に近づけるよう力になりたい』……。それが夢なんだって、言っていたじゃないか」
「……覚えててくれたんだ」
「当たり前だろ」
忘れる訳がない。孤児院で再会したとき、リタが話してくれた。
自分もその手伝いができたら。そう思ったことを強く覚えている。
「その夢まであと一歩のところまで来たんじゃないか」
「……うん」
「聖女になっても、二度と会えないわけじゃないんだ。きっとまた会えるさ」
アゼルは嘘を吐いた。
「そう、そうよね。……また会えるよね?」
「ああ」
「ありがとう!私、がんばるから見ててね。お休みなさい、アゼル」
「うん。リタも……おやすみ」
「ええ!」
扉の向こうで数人のやり取りが聞こえ、やがて人の気配が遠ざかっていく。
リタが聖堂に戻ったのだろう。
アゼルの周りで、固唾を呑んでやりとりを聞いていた騎士達が、ふぅ――と大きく息を吐いた。
喉元に押し付けられた剣がようやく下げられ、アゼルも息を吐く。
振り返ると、彼らは戸惑い気味に顔を見合わせていた。
「……どうやらリタ様のご友人というのは本当のようだな」
「ああ。それも随分と信頼しておられるようだ」
「だとしたら彼の証言も……」
二人がボソボソと言い交わす中、黙って聞いていた年嵩の騎士が堪りかねたように言った。
「何を寝ぼけたことを言っておる?この小僧が悪魔と通じてリタ様のお命を狙っていたことは確かなのだ。リタ様のご友人だというならば、なおのこと許せんだろうが」
「いやキュリルス。彼はリタ様のお命を狙っていた訳ではないと……」
「黙らっしゃい!やいお前、アゼルといったな」
「……」
キュリルスと呼ばれた年配の騎士に睨みつけられてもアゼルは無言だった。
「お前はリタ様のあのお言葉を聞いてなんとも思わんのか?お前のような小僧にあんなご厚情を寄せてくださるリタ様を害そうと企んで、恥ずかしいと思わんのか」
俯いて答えないアゼルの髪をキュリルスが掴み、無理やり上向かせる。
「なんとか言わんか!……なんだお前、泣いているのか?」
無言で涙を流すアゼルの顔を見た老騎士が、軽く息を呑む。
「何を泣く?」
「嬉しいから泣いているんです」
嗚咽を堪えながらアゼルは答えた。
「リタが僕のことをあんなに考えてくれていたなんて、思わなかったから」
自分と別れることなどリタは何とも思っていないのではないかと疑っていた。
それを薄情だと思い、心のどこかで傷ついていた。
或いは……恨んでいた。
(きっと、だから僕はヴェロニカ様の誘いに揺らいでしまったんだ)
だからリタを裏切ろうとした。ヴェロニカの従者になり、見返してやろうと思ってしまった。
だが、そうではなかった。
「貴方の言う通りです。僕は恥ずかしい」
リタはあんなにも、僕のことを考えてくれていたというのに。
その騎士に言われたのとは違う意味だったが、アゼルは心から己を恥じていた。
「そ、そうか。わかればよい」
キュリルスがポンとアゼルの肩を叩く。
「ならば話せ。悪魔はどこにいる?悪魔はどうやってリタ様を襲撃しようと目論んでいる?」
「それは知りません。僕が知っていることは全てお話しました」
アゼルは未だ涙の乾かぬ瞳に新たな決意を宿らせると、決然とした口調で言った。
「さっきお話した通り、僕はリタを守りたいだけです。その気持ちは変わりません」
「……この、糞餓鬼めが!」
キュリルスの拳がアゼルの頬を打った。
続けて二度、三度と殴られる。
「おい、やめろ!」
「さすがにまずいですよ。彼はリタ様のご友人なんですよ!」
「だからこそ許せんのだ。あんなにもお優しい言葉を掛けてもらったというのに、こいつは……。ええい、放せ!性根を叩きなおしてやる!」
他の騎士たちがキュリルスを取り押さえるのを横目で見ながら、アゼルはその痛みを自分への罰として、甘んじて受け入れた。




