第50話 急転
「どうしただアゼル?浮かない顔しとるが」
「いえ、何でも」
傷んでいた畑の柵の補修をするヌートの手伝いをしていたアゼルは、彼の問いに首を振った。
正直、作業に身が入らない。朝からあんなことがあったのだから当然だ。
ヴェロニカは泣いていた。
いや……自分が泣かせた。
それを思うとどうしても気が重かった。
「ま、なんでもええが仕事には手を抜いちゃいかんぞ」
「はい。すみませんヌートさん」
ヌートに釘を刺されてしまい、アゼルは素直に詫びた。
(その通りだ。何があろうが仕事はしっかりしなくちゃ)
個人的な悩みなんて言い訳にはならない。仕事に集中しなくては、せっかく手に入れたヌートからの信用も失ってしまう。
今夜ゼルペンティーナと契約すればここでの仕事もこれが最後ということになる。
でも、だからといって手抜きなんてしたくない。むしろ最後だからこそきちんとやり遂げたい。
アゼルがそう気合を入れ直した時、ヌートは言った。
「ところでよ」
「はい」
「あのお嬢さん……なんつったっけか。あの赤髪の、気の強い……」
ギクリとした。
「ヴェロニカ様ですか?」
「おお、そうそう。おめぇ、もしかしてあのお嬢さんといい仲なのかよ?」
「えっ!」
予想外な人物からのあまりに予想外な発言に思わず大声が出てしまった。
「いきなり何を言い出すんですか!」
「いやな、うちのかみさんがおかしなこと言っててよ」
「おかしなこと?」
あまり話したことのないヌートの細君を思い出す。夫よりよほど恰幅のよい、見るからに肝の据わっていそうな女性だ。
「あいつに一昨日のことを話したらな、言いやがるのさ。『莫迦だねお前さんは。そりゃきっと、そのお嬢様はあの子のことが気になってるに違いないよ』ってな」
「へ、へぇ……そんなことを」
内心冷や汗を掻きつつ、呻くように言う。
「で、でも、そんな訳ないじゃないですか。貴族のお嬢様が、僕なんかを……」
「まあなぁ。俺もそう思ったんだけどよ。かみさんがそうに違いないって言うもんで、ついな」
女の人の勘というのは恐ろしい、とアゼルは思った。
「そんでよ、今日お前うちで夕飯食ってかねぇか?」
「え?」
驚きのあまりアゼルは言葉をなくした。夕食に誘われるなど初めてのことだったのだ。
「夕飯、ですか?」
「おう。あいつがお前を連れて来いってうるさくてよ。ほれ、女はそういう話が好きだろ?」
「ああ……」
それを聞いて納得した。数回見ただけだが、たしかに噂話が好きそうな感じはする。
そういうことなら是非とも遠慮したいが……。
「それに、おめぇが痩せっぽちなのが前から気になってたみてぇでな。ちゃんと食わせてやりてぇんだとさ。そんならそうとさっさと言えばいいのによ。なぁ?」
「え……」
意外だった。
顔を合わせたことなんて何度もないのに、そんな風に気にかけてくれてたなんて。
「どうだ。飯、食ってくよな?」
「は……はい」
思わず頷いていた。ここで断るのも不自然な気がしたからだ。
ゼルペンティーナのことが一瞬頭を過ぎったが、あいつとの約束は夜だ。
夕飯をご馳走になってから納屋に戻っても別に問題はないだろう。
その前に騎士団を訪ねて、マルクに伝言を頼まなければ……。
「おし、そんじゃさっさと仕事を片付けっちまうか!ちょっとそっちを持って……」
「おい、そこの庭師」
「へ?」
唐突に聞こえた声に二人して振り返る。
そこにはいつのまにやって来たのか、鎧を着込んだ二人の騎士が立っていた。
教会騎士だ。
アゼルは胸騒ぎを覚えた。
「これはこれは騎士様、何か御用ですだか」
「アゼルという子供はそいつか?」
髭を生やした壮年の騎士に指差され、動悸が早まる。
(やっぱり……そういうことなのか?)
アゼルは気付かれないように唇を噛み締めた。
小屋を飛び出していったヴェロニカの姿が脳裏に思い浮かぶ。
(迂闊だった。こうなることは予想できたのに……)
なんとなく、彼女はそういうことはしないと思っていた。
いや……そう思いたかったのかもしれない。
アゼルは自分の甘さを悔やんだ。
「へぇ、これがアゼルですが。騎士様、こりゃ一体……」
「よし、連れていけ」
その声を合図にもう一人の騎士がこちらに迫ってくる。
(どうする?)
まだ捕まるわけにはいかない。一か八か逃げるべきだろうか?
だが、とても逃げ切れるとは思えない。
(くそ。ゼルペンティーナは何も言ってなかったのに)
『未来視』の悪魔ならこうなることを予知できたはずだ。なのに警告されなかったから大丈夫だと思っていた。
その時、ゼルペンティーナの去り際の言葉がふと頭を過ぎった。
『じゃあ、夜にまた来るわ。……行けたらね』
(ああ……そうか)
アゼルは今さらながらにその言葉の意味を悟った。
(あいつはこうなることがわかっていたんだ)
ならば抵抗しても無駄だろう。アゼルはおとなしく観念することにした。
「アゼルだな。一緒に来てもらおう」
「……はい」
驚いたのはヌートだった。
「こ、こりゃ一体どういうこって……」
「この子供には悪魔憑きの嫌疑が掛けられている」
「へぇ!?」
ヌートが素っ頓狂な声を上げた。
「そりゃなんかの間違いですだ。こいつが悪魔憑きだなんて、そんな……」
「通報があったんだ。邪魔をするな」
「アゼル!どうなんだ。お前、本当に悪魔憑きなのかよ?」
「いえ。悪魔憑きでは……ないです」
顔を俯かせながらアゼルは答えた。
それは嘘ではない。自分は悪魔憑きではない……『まだ』。
だが、それでも心苦しかった。
「騎士様、こいつもこう言っています。やっぱり何かの間違いじゃ……」
「それをこれから調べるんだ。お前は引っ込んでいろ!」
騎士がヌートを邪険に振り払う。
連行されようとするアゼルを見たヌートは、必死に騎士に取り縋った。
「待ってくだせぇ!そいつは亜人だがおとなしいし、働き者の真面目ないい子なんだ。悪魔憑きなんかであるはずねぇんだ!」
「ヌートさん……」
思わず目頭が熱くなった。まさかヌートがこんなことを言ってくれるなんて、夢にも思わなかった。
「おねげぇです騎士様。どうか考え直して……」
「ええい、離せ!」
ヌートが手荒く突き飛ばされる。
それを見て駆け寄ろうとしたアゼルは、もう一人の騎士に殴り飛ばされてしまった。
地面に倒れたアゼルに騎士は言った。
「抵抗するようならもっと痛めつけるぞ。お前も、あの庭師もな」
「……」
「わかったら黙ってついてこい」
「……わかりました」
心配げにこちらを見るヌートに、アゼルは頭を下げた。
「ヌートさん、巻き込んでしまってすみません。ちょっと行ってきます」
「アゼルよぅ。こりゃいったい……」
「すぐに戻ってきます。大丈夫、話せばわかってもらえるはずですから……」
そう言うと、アゼルは騎士に従って歩き出した。




