第49話 決裂
「そんなの信じられるわけないでしょう。未来ですって?馬鹿馬鹿しい!そんなの口からデマカセで何とでも言えるわ!」
ダン!と苛立たしげに床を踏みつける。
「騙されてるのよ、あんたは!」
「……そうかもしれません」
ヴェロニカから視線を外し、背後に庇った悪魔に視線を向ける。
「こいつは嘘を吐いていた。まるで信用できない」
「なら」
「でも、未来を予知する力があるのは事実なんです。だったら、無視はできない」
騙されていたことに対する怒りはもちろんある。
だが、アゼルにはゼルペンティーナが嘘を吐いた理由もわかる気がした。そうでなければきっと自分は、こいつの言うことなどまともに聞こうとはしなかっただろうからだ。
話を聞かせるための方便だったと考えれば、嘘を吐かれたことも頭では理解できる。
――心情的には、まるで納得できないとしても。
「こいつに未来を視る力があるってなんでわかる訳?」
「それは……」
あなたがここに来たからですとは言えず、アゼルが言葉を濁す。
ヴェロニカは怪訝そうな表情を浮かべた。
「この子にはしっかりと示してあげたのよ、私の力を」
代わりに口を開いたのはゼルペンティーナだった。こちらに視線を向け、同意を促してくる。
「ねぇ、アゼル?」
「……ああ、そうだな」
「ヴェロニカ。あんたが何と言おうとアゼルは私の言葉を無視できないわ」
「あんたは黙ってなさい」
馴れ馴れしく呼びかけられたヴェロニカがぴしゃりと言い放つ。
「……大体、悪魔が襲って来たって問題ないじゃない。話したでしょう?明日は最強の聖騎士と謳われるメダルドゥス様も列席される。どんな悪魔が来ても退治してくださるわ」
「メダルドゥスは来ないわ」
「なんですって?」
「王弟殿下の出席は取り止めになるとこいつは言っています。皇太后様が体調を崩されたと聞き、王都に引き返すと」
「そんなことがわかるわけ……」
「私は未来視だって言ってるでしょ?だからわかるのよ」
「知った風なことを」
ヴェロニカが舌打ちする。
「大体、教会には結界があるのよ。悪魔が入れるわけ……」
「結界は無力化される」
「そんなわけない。ここの結界を突破できる程の力を持つ悪魔が来たら、それこそ私たちが何をしたって止められやしないわ。この国ごと滅ぶわよ」
「突破なんてしなくていいのよ。攻略する方法があるもの」
「また口からデマカセ?だったら言ってみなさいよ、その方法とやらを」
「言わないわ。だって、言ったら対策しちゃうでしょう?」
「当たり前でしょ」
「じゃあ私は言わないわ。だって、それを言ってしまったらアゼルは私と契約してくれないもの」
「聞いたでしょう?これがコイツの本性よ。自分の都合しか考えてない。私たちがどうなろうと、コイツにとっては知ったこっちゃないのよ」
「当たり前でしょう?それが悪魔というものよ。もうご存知かと思っていたけど?」
「こいつ!」
歯軋りするヴェロニカとは対照的に、アゼルは冷静だった。
「……じゃあ、僕が契約するって言えば、その方法というのを教えてくれるのか?」
「あら、そうくるのね。うーん、どうしようかしら?」
ゼルペンティーナが悩む素振りを見せる。が、どうも本気には見えない。
一方、ヴェロニカは咎めるように叫んだ。
「アゼル!」
「落ち着いてください。どう考えてもそれが最善だと思います。やって来る悪魔に対処するより、侵入させない方が断然いい」
結界に侵入する方法をゼルペンティーナが知っているなら、それを聞き出して事前に潰してしまえばいい。
その方が手っ取り早いし、何より確実だ。
「……仮によ?仮にこいつに本当に未来を視る力があるとしても、本当のことを言っているかどうかなんて誰にもわからないわ。嘘の危険をでっち上げて契約を迫るぐらい、悪魔なら平気でやるでしょうよ」
「そうかもしれません。……だけど、それでもいいんです」
「それでもいいですって?」
「何も起こらないなら、それはそれでいい。リタさえ無事なら、それで」
「いいわけないでしょ!」
とうとうヴェロニカは爆発した。アゼルの胸倉を掴み怒声を上げる。
「本当に起きるかどうかもわからない危機のために人間をやめるつもりなの!?」
「……それでも構わないと思っています」
「わかってるの?悪魔と契約したらもう普通の人間には戻れないのよ!一度悪魔の魂と繋がってしまえば二度と切り離すことができない。悪魔だけを祓うことは不可能なの!」
(そうなのか)
その話は初耳だったが、アゼルに動揺はなかった。悪魔と契約するなら、その程度のリスクは当然あってしかるべきだと思っていた。
「ちょっと、聞いているの!?」
反応を見せないアゼルにヴェロニカが苛立つ。
「悪魔憑きの末路なんて悪魔に肉体を奪われるか、教会に討伐されるかしかないのよ!それでもいいって言うの!?」
「……はい」
「ふざけんじゃないわよっ!」
ヴェロニカの瞳に涙が溢れた。
「あんた、結局リタを選ぶのね。私よりリタを選ぶのね」
「……」
「リタはあんたのものじゃないのに。あんたがどんなに尽くしたって、あの子はマルク様の婚約者なのよ」
「……そんなの関係ないんです」
「関係ない?」
「僕はリタに幸せになってほしい」
アゼルは素直な気持ちを口にした。
嫉妬もした。
裏切られたとも思った。
それは否定できない事実だ。
だが……それでも。
リタの幸福を願う気持ちにだって、嘘はない。
マルクと結ばれて幸せになってくれるなら、これほど嬉しいことはない。
結局それが、自分の一番の本心だった。
「僕は……リタが、好きです。でも、僕じゃリタを幸せにできない。マルク様と結ばれた方が幸せになれる。だから僕はあの二人のためだったら、何だってする」
「そのために人間をやめてもいいの?命を落としてもいいって言うの?」
「それで二人が助かるのなら」
「馬鹿!」
ヴェロニカの拳が胸を叩く。大して力の入っていないその拳に、アゼルの身体はわずかに揺れた。
「他人の物のために命を差しだすぐらいなら私に捧げなさいよ!私を選んでくれさえしたら、絶対にあんたを幸せにしてみせるのに!」
「……ありがとうございます」
相手への心からの感謝の言葉を告げながら、アゼルは自分の胸倉を掴むヴェロニカの手を握った。
そしてそれを、そっと外した。
「でも僕は、リタを見捨てて自分だけ幸せになるなんてできない」
「アゼル!」
「すみません。……僕はやはり、あなたの従者にはなれません」
「……っ!」
ヴェロニカは頬を打たれたようによろめいた。
「馬鹿……。信じられない大馬鹿よ、あんた」
溢れる涙を拭い、アゼルをキッと睨むと、
「あんたなんてもう知らない!悪魔憑きにでもなんでもなっちゃえばいいわ!」
ヴェロニカはそのまま戸口から飛び出して行った。
「……」
その後ろ姿を、アゼルは暗い顔で見送った。
「あーあ、泣かせちゃった」
ゼルペンティーナがわざとらしい口調で軽口を叩いた。
「酷い奴ねぇ、あんたって。あんな良い子を泣かせるなんて」
「黙れ」
押し殺した声で答える。冗談に付き合う気分ではなかった。
「どうして出てきたんだ。僕があの誘いに乗ると思ったのか?いや――そう『視えた』のか?」
「さぁて、どうだったかしら。笑いを堪えるのに必死でよく覚えてないのよねぇ」
「……」
「ふふ。でもそういう質問が出るってことは、案外本気で迷ってたのかしら。あの子に宗旨変えするところを邪魔しちゃった?」
アゼルは火が出るような目つきでゼルペンティーナを睨んだ。
「そう怒らないの」
余裕綽々の口調でゼルペンティーナは言った。
「私は嬉しいのよ。あなたがあの子じゃなくて私を選んでくれて。――いえ、私じゃなくてリタね。あなたが選んだのは」
「……そうだ。僕はリタを選んだ。リタを守ることを」
怒りを無理やり抑えつつ、切り付けるように告げる。
「だからお前がリタに手を出すつもりなら、絶対に許さない」
「怖いわねぇ。私はあんな小娘に興味はないって言ったはずよ」
「信じられるか。だったらお前、どうして僕にこだわるんだ?」
ゼルペンティーナはアゼルの魂を通じて現れた悪魔ではなかった。
であれば、契約相手は誰でもいいはずだ。
それなのに自分を――何者でもない自分を契約相手に望むのは、それはリタに近い存在だからとしか思えない。
しかしゼルペンティーナは首を横に振った。
「それも前に話したはずよ。あなたのことが気に入ったからだってね」
「そんな言葉を信じろっていうのか?僕を騙していたくせに」
「だったらこう言い直しましょうか。私の『未来視』がアゼル――貴方を指し示したんだってね」
「……」
「信じられないというなら契約で私を縛りなさいな。絶対にリタに危害を加えられないように」
「……いいだろう」
このまま押し問答をしていても埒が明かない。こいつの言葉が信用ならないのは十分思い知った。
それでも、リタを守るためにはゼルペンティーナの力が必要なのだ。
いざとなったら刺し違えてでも止める覚悟でアゼルは頷いた。
「そうこなくっちゃ!じゃあさっそく契約しましょうか」
小躍りせんばかりに喜ぶ悪魔に向け、しかし付け加えて言った。
「ただ、少しだけ待ってくれないか」
「……」
ゼルペンティーナはもの問いたげにアゼルを見上げた。
「悪魔憑きになったらもう僕はここにいられなくなるんだろう?」
「ええ。それが?」
「なら、最後にリタに挨拶しておきたい。直接は会えないだろうけど、マルク様に言伝をお願いすることぐらいはできるはずだ。もちろん不自然に思われないように十分気をつける」
できればヴェロニカにもう一度謝っておきたいが……それは難しいだろう。
文字が書ければこんな時、手紙を残すことができるのだろうか。
そんなことを思いつつゼルペンティーナに頼んだ。
「頼むよ。夜になったら必ずお前と契約するから」
「……いいでしょう。貴方がそう言うなら」
「助かる」
「確認するわ。今日の夜にこの納屋で契約する。それでいいのね?」
「ああ」
「わかったわ」
そう言うとゼルペンティーナは戸口の方に這っていった。
そして小さな声で呟いた。
「運命を変えるって、やっぱり一筋縄ではいかないのね」
「どういう意味だ?」
「何でもない。じゃあ、夜にまた来るわ。……行けたらね」
「え?」
聞き返した時にはもうゼルペンティーナの頭は戸口に差し掛かっていた。
そしてあっという間にスルスルと外に出ると、フイといなくなってしまった。




