第48話 祓魔の術
「あらら、バレちゃったみたいね」
ゼルペンティーナが困ったように言う。
だがその声には切迫感はまるでなかった。
「こんのクソ蛇。よくもアゼルを騙してくれたわね」
「口が悪いわねぇ。あんたいいとこのお嬢様じゃなかったの?」
「黙りなさい。悪魔なんかにそんなこと言われる筋合いないのよ」
ヴェロニカがゼルペンティーナに向き直り、勇ましい口調で言い放つ。
「待ってなさい。今、お前を祓ってやるから」
「へぇ?」
それを訊くとゼルペンティーナは面白そうに目を細めた。
「随分と大きく出たじゃない。あんたみたいな見習いが私を祓えるとでも?」
「舐めるんじゃないわよ。あんた程度の下級悪魔、この私なら祓えるわ」
「下級悪魔だなんて失礼しちゃうわ。私は上級悪魔よ」
「上級……!?」
アゼルは絶句した。
数日前に街で暴れた悪魔は下級悪魔ということだった。それでもマルクの話では、街の騎士団が総がかりでやっと退治することができたという。
上級悪魔だなんて、どう考えても自分たちの敵う相手じゃない。
「ヴェロニカ様、無茶ですよ。逃げましょう!」
「あんなのただのハッタリよ。上級悪魔がこんなところにいるわけないわ」
「でも」
「私にはこいつの魔力が感知できる。……こいつからはほとんど魔力を感じられないわ。それこそ私でも祓えそうなくらいにね」
アゼルはそれを聞くと険しい目付きでゼルペンティーナを見据えた。
「お前、また騙したのか?」
「心外ね。嘘なんてついてないわ。私は本当に上級悪魔よ。ただ、ちょっと弱ってるだけ」
「弱ってる?」
「この身体にガタがきてるのよ。長く使ってきたからそろそろ限界みたいね」
「……なるほど。それでアゼルの身体を欲しがっているのね」
「そういうことよ。このままでは私はこの世界から退去せざるを得ない。……だけどそれじゃ困るのよ。まだやりたいことがあるからね」
口では消えかけているというわりにゼルペンティーナの口調には余裕があった。
弱っているようにはとても見えない。
「やりたいこと?お前のやりたいことって何だ」
「アゼル、まともに相手しないの。どうせ口からデマカセよ」
ヴェロニカが腕を組んで祈りの体勢を取る。本気でゼルペンティーナを祓うつもりなのだ。
「こいつはあんたの身体が欲しいだけ。そのためだったら何とでも言うわ。何一つ信用できない」
ヴェロニカの身体は仄かに光を帯び始めている。さっき魔法を使った時と同じ、神に仕える神官がその身に宿す法力の光だ。
「アゼル、私を守って」
「え?」
「祓魔は強力な術よ。成功すれば必ずあいつを祓うことができるわ。……でも祈りを捧げる間、私は完全に無防備になってしまう。だからその間、あなたが私を守りなさい」
「僕にそんなこと……」
「できるわ。あなたは剣を持っているでしょう?」
「……!」
その言葉に勇気付けられ、アゼルはテーブルの上の短剣を手に取った。
そして鞘から抜いた刃をゼルペンティーナに突きつけた。
「私たち二人でアイツを祓うわよ!」
ヴェロニカが祈りを捧げ始める。
と、その身体に帯びた光が次第にその輝きを増してゆく。
(これならホントに祓えるかもしれない)
神聖魔法のことなど何も知らないアゼルでもそう思えるほど、その神々しい光は凄みを感じさせた。
「あら、大したものね。さすがはこの修道院きっての優等生……いえ、さすがはパウルマン家の跡取りというべきかしら?」
「お褒めの言葉をどうも。でも手加減なんてしてあげないわよ」
多少の中断は問題ないのか、ヴェロニカが詠唱の最中に軽口を叩く。
「困ったわね。これじゃホントに祓われちゃうかもしれないわ」
ゼルペンティーナはそう言うと、チラリと視線を送った。
――アゼルに向けて。
(え?)
疑問に思った。
どうしてあいつは会話の相手であるヴェロニカではなく、自分を見たのか。
ゼルペンティーナはこちらに襲い掛かってくるでもなく、さりとて逃げるわけでもなく、泰然とその場に留まり動かない。
「……お前、本当に弱ってるのか?」
「もちろんよ。私はすごく弱ってるわ。だからまだ見習いのヴェロニカの力にも耐えることはできないでしょうね」
あからさまに嘘くさい口調でゼルペンティーナが嘆く。
「ああ、本当に困ったわ」
「あんまり困っているようには見えないな」
「そんなことないってば。それより剣をしまってちょうだい。別に襲ったりしないわよ」
「信じられるか。そんなこと言って、剣を引いた瞬間に襲ってくるんだろう」
「信用ないわねぇ。それほどの力は残ってないのよ、今の私には」
そう言うとわざとらしく溜息を吐いた。
「ああ、本当に残念だわ。私が消えたらアイツを止められる奴は誰もいなくなってしまう」
「……アイツ?アイツって誰のことだ」
「アゼル!言ったでしょう。そいつと話をしては駄目よ」
「は、はい」
ヴェロニカの祈りは佳境に入り、その身に帯びる神聖な輝きはますます強まっている。
それなのにゼルペンティーナはといえば一向に攻撃してくる気配はなく、また逃げ出そうとする様子もない。
弱っているというのは本当なのか。
それともやはり嘘なのか。
或いは、ヴェロニカには自分を祓えないと侮っているのか……。
(いや……違う)
蛇の口元に浮かんでいる薄笑いを見ながら、密かに一人ごちる。
アゼルにはわかっていた。答えは、そのどれでもないのだということを。
ゼルペンティーナが確信しているのはきっと、これから起こる未来だ。
(こいつには視えているんだ。僕がこれからすることを)
だから、笑っている。
その時のことを今から想像して、嗤っている。
裏切られることになる哀れなヴェロニカを。
そして、愚かな僕を。
(だってこいつは、『未来視のゼルペンティーナ』なんだから)
アゼルは短剣を鞘にしまった。
「は?ちょっと、何やってるのよ?」
それを見たヴェロニカが戸惑いの声を上げる。
「……」
「まだ祓魔は済んでいないのよ。一体……」
アゼルはそれには答えなかった。
無言で一歩前へ出て、身体の向きを変える。
ヴェロニカの前に、立ち塞がるように。
ゼルペンティーナを、庇うように。
「アゼル……?」
「ヴェロニカ様。詠唱をやめていただけますか?」
「は?……何でよ?」
「こいつを祓われては困るからです」
「何を……言っているの……?」
そう呟くヴェロニカの声はカラカラに乾いていた。
彼女らしくないその弱々しい声に胸を痛めつつも、アゼルは言い直した。
「ゼルペンティーナを祓わないでください」
「何を言っているのかって聞いてるのよ!」
ヴェロニカが激昂する。
その激しさに吹き払われるように、身に帯びた法力の光が徐々に霧散していく。
「そいつは悪魔なのよ!あんた、悪魔に与するつもりなの!?」
「はい」
「な……っ!」
まさか肯定されるとは思っていなかったのだろう。ヴェロニカが暫し言葉を失う。
その隙に後ろを向くと、ゼルペンティーナは蛇の顔でもわかるほどの厭らしい笑みを浮かべていた。
アゼルは胸のむかつきを覚えたが、それでもこいつを護らなくてはならない。
前に向き直ると、ヴェロニカが厳しい顔で自分を睨んでいた。
「自分が何を言っているのかわかっているの?あなたのやっていることは教会に対する、……いいえ、人類全てに対する反逆なのよ。私達がどれだけそいつらに苦しめられてきたか、あなただって知っているでしょう」
「はい」
「だったらどうして!」
「こいつの力が必要だからです」
「……どういうことよ」
アゼルがゼルペンティーナの顔を窺うと、当の悪魔は愉しそうな眼で見返してきた。
明らかに面白がっている。
その視線は不快だったが、口止めしてこないのなら話しても大丈夫だろうと口を開いた。
「リタの命が危険なんです」
「なんですって?」
「こいつがそう言ったんです。ゼルペンティーナには未来を視る力がある」
ヴェロニカが目を瞠る。
信じてもらえたかわからないまま、アゼルは言葉を重ねた。
「明日の見神の儀を悪魔が襲撃するとゼルペンティーナは言っています。明日の儀式でリタは聖女になり、その直後に悪魔に殺される。それを防ぐには、僕がこいつと契約するしかないと」
「……くだらない!」
ヴェロニカは声を荒げ、そう吐き捨てた。




