第47話 嘘
と……。
気付けばさっきまでの場所にゼルペンティーナの姿がない。
どこに行ったのかとアゼルが視線を走らせようとした時、身体を伝う奇妙な感触に気が付いた。
「あらあら、見せ付けてくれるわね」
「きゃっ!?」
ヴェロニカが悲鳴を上げる。
何事かと視線を向ければ、なんとゼルペンティーナがヴェロニカに鼻先を突きつけている。
いつのまにかアゼルの身体を這い上がっていたのだ。
「な、何よあんた。何か文句でもあんの?」
「ええ、あるわね」
気味悪そうに顔をのけぞらせるヴェロニカに向かって、ゼルペンティーナがチロチロと蛇の舌をひらめかせながら言った。
「アゼルには私が先に目をつけていたのよ。それこそ、ずっと前からね。悪いけど手を出さないでくれる?」
「……は?」
「貴女のことは気に入ったけど、それとこれとは話が別よ。引っ込んでなさいな、お嬢ちゃん」
「はぁ!?何よそれ!」
その言葉にいきりたったヴェロニカは、なんとそれまで縮こまっていたのが嘘のようにゼルペンティーナの鎌首を掴むと、アゼルの肩から力任せにひっぺがした。
そしてその鼻先に向けて、噛み付くように言い放った。
「どっちが先に目を付けたとか、誰と誰が先に出逢ったとか、そんなこと死ぬほどどうでもいいのよ!重要なのはアゼルがどっちを選ぶかってことでしょ!?」
「ふふ。あんたそれ、誰のことを言ってるわけ?」
「うっさい!黙りなさいよ、ヘビのくせに!」
勢いに任せてそう怒鳴りつけ――唐突にヴェロニカは我に帰り、気付いたようだった。
自分が今、何を掴んでいるのかを。
「きゃあぁぁぁっ!」
悲鳴を上げて手の中のものを放り投げる。と、細長いヘビの身体は軽々と宙を飛んだ。
「うぇぇ、ヘビに触っちゃった。気色悪い!」
よほど苦手なのか泣きそうな顔を浮かべ、アゼルにヒシッとすがり付く。
さりげなく服で手を拭うのを忘れない。
「ひどいことするのねぇ」
軽やかに床に着地したゼルペンティーナがぼやく。
乱暴に放り投げられたというのにケロリとしたものだった。澄ました顔でヴェロニカに文句を言う。
「この私をそこらのヘビと一緒にしないでちょうだい。私は清潔にしているし、なによりもこの美しい鱗を見なさいよ。宝石のように輝いているでしょう?」
「ごちゃごちゃとうるさいわね!私はヘビが苦手なのよ。大体あんたは悪魔でしょうが。清潔だとか不潔だとか以前に、存在自体が穢らわしいのよ!……え、待って」
突然、何かに気付いたようにヴェロニカがハッと顔色を変えた。
まじまじと自分の両手を見て、それからゆっくりとゼルペンティーナに視線を移す。
「あんた……どうして触れるわけ?」
「……」
「いいえ、そうじゃない。そもそもどうして私にあんたが見えるの?」
ゼルペンティーナはヴェロニカの疑問に答えず、ただ意味深に目を細めただけだった。
一方のアゼルは訳がわからない。
「どうかしたんですか?」
「ちょっとアゼル。あんた、もうこいつと契約しちゃったわけ?」
「え?いいえ、まだです」
「……」
ヴェロニカはしばらく無言でアゼルを睨んでいたが、やがて口を開いて言った。
「手を出して」
「?はい」
言われた通りに右手を出すと、ヴェロニカはそれを両手で包んだ。
「あの、ヴェロニカ様……」
「黙って」
相手の真剣な表情におとなしく口を噤む。
ヴェロニカは口の中で何やら呟き、次いで呪文を口にした。
「魔力探知」
繋いだ手が仄かに光を帯びる。先ほどの治癒の時と似ている、とアゼルは思った。
何らかの魔法が発動したのだろうが、魔法の知識がないアゼルには何をしているのかまではわからない。
やがて光が収まると、ヴェロニカは安心したようにホッと息を吐いた。
「……そうね。あんたからは邪な魔力は感じない。あんたは悪魔憑きじゃない」
「そんなことがわかるんですか?」
「ええ。今のは魔力の性質を調べる呪文なのよ。悪魔憑きになった人間は契約によって悪魔と魂が繋がっているから、魔力を探れば普通の人間か悪魔憑きじゃないかは判別できる」
ヴェロニカは誇らしげに微笑んだ。
「初めて使った魔法だけど、どうやらうまくいったみたいね」
「さすがですヴェロニカ様!」
「お世辞なんていいわよ。とにかく、あんたはまだ悪魔と契約していない。ということは……」
するとヴェロニカはアゼルに向き直り、その肩を掴んだ。
「アゼル。あんた、こいつに騙されてるのよ!」
「え……。どういうことですか?」
なんのことかわからず戸惑うアゼルに、ヴェロニカが説明を始める。
「いい?よく聞きなさい。悪魔は私たちの身体を乗っ取るために、堕落しそうになっている人間に魂の門を通じて呼びかけてくるわ。それはその人間と契約して、地上で活動できる肉体を手に入れるため。ここまではいいわね?」
「はい」
「第一段階では声が聞こえる。その声に耳を傾けている内に門はますます広がり、次には悪魔の姿が見えるようになる。これが第二段階よ」
「はい、そう聞いています」
首を傾げながら頷く。それはマルクがしてくれた説明とまったく同じで、特に目新しい内容ではなかったからだ。
しかしヴェロニカはさらに続けた。
「だけどこの段階では、周囲の人間には悪魔の姿は見えないのよ」
「え?」
それは初耳だった。
「どういうことですか?」
「そのままの意味よ。この第二段階では、取り憑かれかけている本人にしかその悪魔の姿は見えないの」
「マルク様はそんなことは仰っていませんでしたが……」
「あんた、マルク様に聞いたの?てっきりリタの奴かと思ってたけど」
そう言うとヴェロニカは癇癪を起こしたように大声を上げた。
「ああ、もう!マルク様ったら、いいかげんな説明して!」
「その言い方は気の毒じゃないかしら?マルクにしてみたら単なる世間話だった訳だし」
なぜかゼルペンティーナがマルクの擁護に回る。
そう言えばこいつもあの時の会話を聞いてたんだったな、とアゼルは思い出した。
「まさかこの子が悪魔と関わることになるなんて思ってもみなかったでしょうから、詳しい説明なんて必要ないと思ったんでしょうね」
「ああ、そう。その辺りの事情はちゃんと把握してたってたわけね。悪魔らしい周到なやり口だわ」
苛立たしげにヴェロニカが言った。
「そこに付け込んでアゼルを騙したのね」
「人聞きが悪いわねぇ。別に私が進んで嘘を吐いたわけじゃないのに。ちょっと勘違いを利用させてもらっただけよ」
「そうやって言い逃れするのが悪魔らしいって言ってるのよ」
そう悪魔に向かって吐き捨てるとヴェロニカはアゼルに向き直った。
「いい?大事なことだからもう一度言っておくわ。契約する前の段階では悪魔の姿は他の人間には見えない。これは絶対に間違いのない事実よ。でなければ道理が通らないもの」
「道理が通らない?」
「契約が済むまでは悪魔はまだ肉体を手に入れてないからよ。存在しないものを見ることなんてできないでしょう」
「では、どうして憑かれかけている人間には悪魔が見えるのですか?」
「魂の門を通じて魂の経絡が繋がりかけているからよ。悪魔はその経絡を通じて人間に声を聞かせたり自分の姿を見せることができるの」
「肉眼で見ているわけじゃなくて、魂で見たり聞いたりしているということでしょうか?」
「そういうこと。だから第二段階の人が悪魔と話している時、周りの人からは何もない場所に向かって独り言を呟いているように見えるわ」
「……なるほど」
独り言は忌むべき行為とされて疎まれるが、それはそうした理由だったのかとアゼルは納得した。
「私が妙だと思った理由がわかったでしょう?あんたがまだ契約していないなら、私にこの蛇の姿が見えるわけがないのよ」
ヴェロニカが険しい目付きで床の上のゼルペンティーナを睨む。
「まして、触れるなんて絶対にありえない。悪魔は人間の魂に宿る『存在の力』を利用して人間界に実体化するのよ。契約前に実体を持っているなんて、ある筈がないのよ」
それでもヘビの姿をした悪魔は何も言わない。まるで他人事のようにヴェロニカの説明を聞き流しているだけだ。
「じゃあ、こいつは?」
「こいつは野良悪魔よ。既に実体を持っているということは、過去に人間と契約してこちらの世界にやってきたってこと。そして契約者の身体を奪って、ずっとこの世界に居座り続けているんだわ」
ヴェロニカはまたアゼルの手を握ると、まっすぐ瞳を覗き込んで言った。
「この意味がわかる?つまりこいつは、あなたの魂を通じてこちらにやって来たわけじゃないってこと。あなたの魂は、堕落しかけてなんていないのよ!」
「僕は……堕落してない……」
アゼルは呆然と呟いた。
その顔を正面から見つめながら、ヴェロニカが力強く頷き返す。
「そうよ。だから堂々としてなさい!」
その言葉に、アゼルの全身から力が抜けた。
(よかった。本当に……!)
アゼルは心から安堵していた。
ゼルペンティーナが現れて以来、ずっと不安だったのだ。
自分の魂が堕落しかけている。それは本当なのか、と。
そんなことはない筈だと否定しながらも、やはり心のどこかで不安だった。
本当にそう言い切ることができるのか。現に自分はリタとマルクの二人に対して、割り切れない思いを抱いているではないか。
はっきりとした自覚がないだけで自分はやっぱり、負の感情に呑まれかけているんじゃないか――そんな不安がどうしても拭い切れなかった。
まるで犯罪者の烙印を押されたかのような、後ろ暗い日々。
その不安が今、消えた。
ヴェロニカのおかげで、キレイさっぱりなくなった。
(こんなことならもっと早く相談しておけばよかった)
今さら言っても詮ないことだが、アゼルはそう悔やまずにいられなかった。
今回はゼルペンティーナの嘘の話でした。汚いですねさすが悪魔汚い。
この件に関しては早い段階で違和感を抱いたり見破っておられる方々がいて、感想欄で指摘されていました。
少し焦った反面、ちゃんと読んで下さっているんだなぁと実感できて嬉しかったです。




