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第45話 ヴェロニカ・パウルマン⑨

 自分の失言に気付いたが、もう遅かった。


 だが、別にいいやと思った。


 だって、どうせもうバレてしまっているのだから。


(きっと彼女は何もかもお見通しなんだ)


 それなら隠す必要もない。

 彼女の前ではもう、取り繕わなくていい。


「あなたがいくら庇おうと、私はあの子が嫌い。あの子は他人の気持ちに鈍感すぎるのよ。悪意にも、好意にもね。聖女候補だけあってリタは確かに清らかで純真だわ。だけど、ひどく鈍感でもある」


 吐き捨てるような口調でヴェロニカは続ける。


「人を好きになるって綺麗ごとだけじゃないでしょう? 妬んだり、憎んだり、そんなドロドロした気持ちとも向き合わなくちゃいけない。だけどあの子は人を本当に好きになった経験がないから、そういう感情を理解できないのよ。そんな子が聖女候補だなんて、私は認めない」


「……」


 リタを非難するヴェロニカの言葉に、アゼルは反論もせずに聞き入っていた。


 もしかしたら、彼女の言葉に共感していたからかもしれない。

 自分の代わりにリタを責めてくれるヴェロニカに、同調している。


 もしかしたら……感謝すらしている。


「だからアゼル、改めて言うわ。私の従者になりなさい」


何度目かになるその誘いに、つい頷きそうになっている自分がいる。


「……意味がわかりません。どうしてそうなるんですか?」


 それでもアゼルは抵抗を続ける。今にも折れてしまいそうな意地を支えに。


「わからないですって? 呆れたわ」


 そんな強がりを見透かすように、ヴェロニカは薄く笑った。


「単純な話でしょうに。そうすることで、あ(・)な(・)た(・)は(・)私(・)の(・)も(・)の(・)に(・)な(・)る(・)の(・)よ(・)」


「え……」



「幼馴染を私に奪われたと知った時、あの子がどんな顔をするか……見てみたいと思わない?」



「――っ!」

 

 アゼルは息を呑んだ。ヴェロニカの言葉の意味がやっと理解できたから。


 かつてリタがマルクと婚約した時、自分が抱いた感情。


 それと同じ気持ちをリタに味わわせてやれ――。


 彼女は、そう言っているのだ。


「どう。いい考えだと思わない?」


「それ、は……」


「そうなって初めて、リタはあなたの気持ちを思い知るのよ。あなたが味わった苦しみを、悲しみを、痛みを、あの子が身を以って知る。そして、あなたにしてしまった自分の仕打ちに気付くんだわ。……ねぇ、いい考えだと思わない?」


「僕、は……」


 唇が震え、うまく答えられない。

 それが何故だか、自分でわかっている。


 「見たい」と、そう思ってしまったから。


 ヴェロニカの従者になった自分を見て、リタがどんな顔をするのか――見てみたいと、そう思ってしまったからだ。


「私はぜひ見たいわ」


 葛藤するアゼルとは対照的に、ヴェロニカははっきりとそれを口にした。


 まるで、唄うように。


「楽しみね。あの子、どんな顔をするかしら。怒る? それとも、泣くかしら? ショックを受けて呆然とする? その後、寂しそうに笑うのかもね」


「……」


 本当に、リタはどんな顔をするのだろう?


 想像もつかなかった。今までそんなこと、考えたことすらなかったから。


 自分の時と同じように寂しがるだろうか。


 裏切られたと感じるだろうか。


 ほんの少しでも――傷ついてくれるだろうか?



 ……だとしたら、見てみたい。



 確かめてみたいと思う、もう一人の自分がいる。


 そいつは言っている。


 自分を傷つけたリタに、「仕返ししてやれ」と叫んでいる。


(なんて僕は醜いんだろう)


 リタを誰より大切に想いながら、傷つけてやりたいとも思っている。


 なんという矛盾だろう?


「どう、いい考えだと思わない?」


「確かに……そういう気持ちも、あります」


 とうとうアゼルは認めた。


「そうでしょう? だったら」


 身を乗り出すヴェロニカに、しかし首を振った。


「だけど……怖いです」


「怖い? 何が怖いの?」


「だって、もしかしたらリタは……なんとも思わないかもしれない」


 リタの婚約を知って裏切られたと感じたのは、自分がリタのことを好きだからだ。


 だがリタが自分のことを何とも思っていないのなら、そんなことをしたところで傷ついたりしないだろう。


 むしろ、よい働き口が見つかったことを喜んでくれるかもしれない。


 自分がヴェロニカの従者になったという報告を聞いて、リタが笑顔で祝福してくれたとしたら……自分はまた、深く傷つく。


 そう考えると、どうしようもなく怖い。


「随分と自己評価が低いのね」


 ヴェロニカは呆れたように言った。


「そんなことにはならないと思うけど……そうね。もしそうなったら、まったく脈がなかったってことよ。リタのことはすっぱり忘れなさい」


「……」


 忘れろ、か。忘れることなどできるのだろうか?


 僕が、リタのことを。


「アゼル。これだけは言っておかないといけないわ」


「?」


「私のものになれとは言ったけど、私はあなたのものにはなれない。私はパウルマン家の跡取りとして、いつか他の貴族の家から婿を取らなければいけないから」


 頬に触れていた手が後頭部に回される……。


「だから、私はあなたの恋人にはなれない。なってあげられない」


 ヴェロニカがアゼルの頭を引き寄せる。


 頭を抱きかかえるつもりだと、遅まきながらに気付いた。


「その代わり、私はあなたを大切にするわ。私に仕える幸福を教えてあげる。あなたが傍で支えてくれるなら、私はあなたが仕えてよかったと思えるような立派な主人になってみせる」


(駄目だ)


 このままではマズイと思った。自分にとっても彼女にとっても、そうした行為が危険なことは明らかだった。


 誰かに見つかればもう言い逃れできない。もし修道院長に見つかったら今度こそ追い出されてしまうだろう。


 なのに、どうしても拒むことができない。


 それどころか彼女の手に導かれるままに体を屈し、頭を抱きかかえられてしまった。


 額が相手の首元に触れる。


 甘い、花のような匂いがした。


 修道服の布地越しに、彼女の柔らかな肉体を感じる……。



 この修道服の下に、彼女は隠していたのだ。


 自分がさっき口にしたあのパンを、忍ばせていた。



 僕はあれを、食べてしまった。



「だから、何度だって言うわ。私のものになりなさい」



(ああ……)


 あの瓶の中身は、やはり酒精(アルコール)だったのではないだろうか?

 彼女の心地よい声に身を委ねながら、ふとそう思った

。

 だって、さっきから頭の芯が痺れている。


 彼女に頭を抱かれ、耳元に囁かれる甘い声を聞いていると、なんだか頭が朦朧とする。



「私と一緒に、リタに思い知らせてあげましょうよ」



 彼女の言葉の一つ一つが、脳の奥底にまで浸透し、沁みこんでくる。


 頭がうまく働かない。


 ……何か、あったのに。


 考えなくちゃいけない、大切なことがあったはずなのに。



 だけど、今は何も考えたくない。


 このまま彼女のものになってしまいたい。


 身も心も何もかも、彼女に委ねてしまいたい。



「あなたの味わった苦しみを。痛みを……」



 ああ。



 僕は。




(僕は……)




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― 新着の感想 ―
リタの反応は無邪気に良かったねで終わるだろうから、試し行為なんてやるだけ無駄よ。 リタに当て付ける事なんて考えずに、この悪魔襲撃の件が終わったらどうするのか、ヴェロニカに仕えるのか冒険者になるのかを真…
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