第44話 ヴェロニカ・パウルマン⑧
唐突ですが、今日は二話更新します(カクヨムと歩調を合わせるため)。
ちょっと間を置いて次の話を投下するのでお間違えのないよう宜しくお願いします。
「そのお言葉だけで十分です。僕はもう、何も気にしていませんから」
ヴェロニカに対する蟠りはもうない。
でも、だからといって従者になるわけにはいかない。それとこれとは別の話だ。
「ですからそのお誘いは……」
「……そう。あくまで私の誘いを断るのね。私のものになってはくれないのね?」
「はい」
「あなたは馬鹿よ。あなたがそうやってあの子に尽くすのは一体何のためなの?どうして自分の幸福を後回しにしてまでリタに義理立てしなくてはいけないの?」
「何のため……?」
改めて理由を問われ、アゼルは答えに窮した。
そんなのはわかりきったことだと、そう思っていた。
だがいざ言葉にしようとすると、その答えは途端に輪郭を失い、曖昧になっていく。
その隙間を突くように、先に口を開いたのはヴェロニカだった。
「アゼル、はっきり言うわ。あの子にはあなたが尽くす価値なんてない」
「そんな言い方!」
リタを侮辱されて頭に血が昇る。
アゼルは毅然と顔を上げ、怒りに任せてヴェロニカを睨んだ。
ほとんど鼻先が触れ合うほどの至近距離で二人は顔を突き合わせた。
「……」
だが、アゼルの眼光を受けてもヴェロニカはまるで動じなかった。
こちらの視線を正面から受け止め、見返してくる。
どこまでも真っ直ぐな、炎のように燃え立つ瞳で。
その凛とした力強い眼差しに、却ってたじろいだのはアゼルの方だった。
「もう一度言うわ。リタにはあなたが尽くす価値なんてない」
「そんな言い方はやめてください。確かにリタは貴女に比べたら勉強も魔法もできないし、聖女候補として相応しくないのかもしれない」
再度の侮辱に怒りを掻き立て、反論する。
「だけどそんなの関係ない。僕がリタの力になりたいのは彼女が昔からの大事な友達で、それに恩人だからなんです。価値があるとかないとか、そんなことどうだっていいんだ」
「馬鹿ね、アゼル。誰もそんなこと言ってやしないわ」
しかしいくらアゼルが感情をぶつけても相手にはまるで効いていないようだった。
それどころかヴェロニカは口元に冷笑を浮かべ、その瞳には憐れみめいた色まで浮かべている。
それがまたアゼルの怒りを掻きたてた。
「言ってないって。でも貴女はさっき、確かに……」
「だから違うのよ。私が言おうとしたのはつまり、こういうことなの」
そう言うとヴェロニカは手を伸ばし、アゼルの頬へとゆっくり近づけていった。
そして告げた。
「リタはあなたを裏切った――私は、そういう話をしているのよ」
「――!」
その言葉にアゼルは、頭をガンと殴られたような衝撃を受けた。
「言っている意味、わかるわよね」
自分の言葉が相手にどれほどの効果を及ぼしたか、十二分に理解している顔でヴェロニカが言った。
「あなたという幼馴染がいながら、リタはマルク様と婚約した。あの子はあなたではなく、他の男のものになってしまったのよ」
顔色を変えたアゼルを優しく宥めるように、ヴェロニカの手が柔らかく頬を撫でてくる。
「そんな薄情な子のためにあなたが犠牲になる必要はない。そうでしょう?」
「そんな――そんなこと!」
その手を振り払おうとして。
なぜか、できなかった。
自分を慰めるように優しく頬を撫でてくれるその手を、どうしても払いのけることができなかった。
それでもアゼルは言った。
「リタは友達です。本当に、昔からずっと、僕はリタに恋愛感情なんて持ったことはない。ただの幼馴染なんだ。……だからリタが誰と婚約しようと、僕には関係ありません」
「本当に?本当に心からそう言えるの?」
「誓って本当です。リタが誰かと婚約したからって僕への裏切りにはならない。マルク様のような立派な方との婚約が決まって、僕はむしろ心から喜んだんです。祝福したんです」
「へえ、そう」
「そうです。僕はリタの幸福を誰より願っている。……だから、僕がリタのために何かをすることに理由なんていらない。そんなの必要ないんだ」
相手のそっけない口調にムキになり、アゼルは言葉を並べたてた。
「だから僕は――」
「もういいわ、アゼル」
たった一言。
そのたった一言で、ヴェロニカはアゼルの口を封じてしまった。
「そうやって自分を誤魔化してきたのね?本当の気持ちに蓋をして、自分の心まで欺いてきたのね」
心の奥底を、見透かしたように。
「本当は傷ついているのに、傷ついていないフリをして。本当はショックを受けているのに、平気な顔をして。無理して笑って、気にしていないって顔をして、自分自身に嘘を吐いてきた」
「僕は嘘なんか……」
「ええ、きっと嘘ではないんでしょう。でも、それだけがあなたの本心ではない。そうでしょう?」
そう言うとヴェロニカはもう片方の手もアゼルの頬に押し当て、顔を自分の方に向けさせた。
向き合った彼女の瞳はアゼルが驚くほど穏やかで、優しかった。
「リタが貴族と婚約すると知った時、本当はどう思ったの?」
「それは……」
アゼルはさっきの言葉を繰り返そうとした。
できなかった。
ヴェロニカの静かな瞳が、それを封じていた。
「マルク様を初めて見た時どう思った?婚約者としてリタから紹介された時、あなたは何を感じたの?」
「それ、は……」
彼女の瞳にはアゼルを揶揄する色は微塵もなかった。むしろ、憐れみさえ感じさせた。
その目で見られるのがなぜか苦しくて、アゼルは目を伏せた。
「寂しかった?それとも、悔しかった?あるいは、悲しかったのかしら」
「僕は……」
『僕は』……なんなのだろう?
自分は何と言おうとしたのだろう。
口にすべき言葉を見つけられないまま、アゼルは黙って相手の言葉を待ち受けた。
「いいえ、違うわね。きっとあなたはこう思ったのよ」
まるで彼女が次に口にする言葉こそが、紛れもなくその答えだとでもいうように。
そしてヴェロニカは、その答えを口にした。
「裏切られた。……そう感じたのでしょう?」
「…………」
否定しようとした。
できなかった。
そうじゃないと言いたいのに、どうしても声が出なかった。
否定の言葉を出すことを拒むように、口の中がカラカラに乾いていた。
(……そうなのか)
彼女の言葉に打ちのめされながら、自問した。
……彼女の言葉に?
いや、違う。そうではない。
アゼルを打ちのめしたのは、自分自身。
彼女の言葉によって曝け出された、自分の本心だった。
(僕は本当は……傷ついていたのか?)
認めたくなかった。
だからずっと、否定してきた。
だけど、もう気付いた。
いや……気付かされた。
だったらもう、認めるしかなかった。
彼女の言葉が勝手な決めつけでも、思い込みでもないことを。
それが自分でも気づかなかった……いや、本当は気づいていたのに、ずっと目を逸らし続けてきた本音だということを。
自分の本心に、他ならないことを。
(命を救われたことを感謝して、いつか恩を返したいと願いながら……心のどこかで、僕はリタを恨んでいたのか?)
慄然とした。自分という人間の、あまりの浅ましさに。
その醜さに。
その愚かさに。
そしてそれを、ヴェロニカに見抜かれていたことに……。
「いいのよ、アゼル」
「え……?」
己を恥じるアゼルに、ヴェロニカはどこまでも優しかった。
「あなたは何も悪くなんてない。人を好きになることが悪いだなんて、そんなことあっていい訳がないわ。その気持ちを認めずに否定しようとしたことは、よくないことかもしれないけれど」
「ヴェロニカ様……」
「むしろ悪いのは、リタよ」
「そんな。リタだって何も悪くない。悪いのは、勝手に好きになった僕で……」
「認めたわね」
「え……」
「リタが好きだって。認めたわね」
「…………」




