第40話 ヴェロニカ・パウルマン④
(……このままじゃ駄目だ。なんとか話題を変えよう)
そう決心したアゼルは、気になっていたことを尋ねることにした。
「でも、よかったのですか?こんなことして」
「こんなこと?」
「昨日、修道院長様に怒られたばかりじゃないですか。それなのにパンを隠したり、言いつけを破ってまでここに持ってきて下さったりして……」
「……」
「ヴェロニカ様は院長様をとても尊敬されていると聞きました。もしこんなことがバレたら……」
「そうね。失望されるかもしれないわね」
ヴェロニカは視線を伏せ、淡々と言った。
「私は院長様――クラリモンド様のことを尊敬してる。こんな言い方をしたら失礼かもしれないけど、私とあの方は似ているのよ。境遇も、矜持も、その在り方もね」
その口調と表情で、アゼルはそれが紛れもなく彼女の本心から出た言葉だとわかった。単なる教師と教え子の関係を超えた崇敬の念を彼女はクラリモンドに抱いているのだ、と。
「あの方は私の理想よ。私が歩もうとしている研鑽の道の遥か先に、あの方はいる」
キッパリとそう言った後で、しかしヴェロニカは少し難しい顔を浮かべた。
「……だけど昨日のことは私、少し納得してないのよね」
「そうなんですか?」
アゼルにしてみれば、昨日の修道院長の言い分は公正なものだった。落ち度があるのはどう考えてもこちらだし、彼女が決めた処分も妥当なものに思えた。
だが、それはあくまで自分にとっての話だ。
彼女にとっては違うのだろうか?
「やはりあの後、酷いお仕置きを受けたんですか?」
「そうだけど、そうじゃなくてね」
ヴェロニカはくすりと苦笑を漏らすと、アゼルを見上げた。
「自分の処分には納得してるわ。私が納得してないのは、あなたのことよ」
「僕ですか?」
「昨日の件、やっぱりあなたは悪くないと思うの。なのにあなたまで罰を受けたのは納得いかないわ」
「そうでしょうか。僕は、院長様のお言葉は筋が通っていると思いました」
「そうね。でも、だからって罰を受けるほどではないと思うの。公正なあの方らしくないわ」
少し頑なさを感じさせる口調でそう言うと、ヴェロニカは腕を組んだ。
「そんな訳で、私は初めてあの方に反抗してみようと思ったわけ。私の正義感に則ってね」
「反抗、ですか」
「ええ。こういうのも反抗期っていうのかしら?あの方にとってはご迷惑かもしれないけど」
そう言ってクスクスと笑う。
「まあ、そうは言っても正面から反抗するのは無理なんだけどね」
ヴェロニカが肩を竦める。
「だから今日だってこうして、コソコソやって来たわけだし。昨日みたいなのはさすがに懲り懲りだわ」
アゼルはアンジェリカの話を思い出した。そういえば昨日、ヴェロニカが部屋で寝込んでいると話していたような……。
「院長様は昨日、罰を与えると仰っていましたよね。一体どんな罰を……」
「う……その話?」
途端にヴェロニカは顔を顰めた。
「そうね……正直、大変だったわ」
そして昨日のことを思い出したのか、少し身体を震わせる。
「思い出しただけでも身慄いする。懲罰房に入った子がクラリモンド様の前では怯えた子リスみたいになっちゃう気持ちがようやくわかったわ」
「そ、そんなに……?」
ゴクリと唾を呑む。
「一体どんなことをされるんですか?」
「ひたすら鞭で打たれるのよ」
「うわ……」
鞭で打たれる。アゼルは体験したことがないので想像するしかできないが、なんとも恐ろしげな響きだった。
「それに打たれるって言っても、ただ打たれるだけじゃないのよ」
「というと?」
「身体を固定されて、まるで身動きのとれない無力な状態で打たれるのよ。ひたすら。私が心から反省しているとクラリモンド様が納得してくださるまで、ひたすら繰り返しね」
「ひぇ……」
想像するだけで痛々しい。
いや、恐ろしい。
「修道服の上からじゃわからないでしょうけど、こう見えて服の下はミミズ腫れだらけなのよ」
そう言ってヴェロニカが袖を捲くる。
「ほら、これ見て」
少女の細い腕には確かに赤く腫れ上がった傷跡があった。
「これは……酷いですね」
アゼルは思わず眉を顰めた。
貴族の少女の、輝くような白い肌に刻み付けられた赤いミミズ腫れはあまりにも痛々しく見えたのだ。
「でしょ?でも、腕なんてまだましよ。たぶん背中なんてもっと酷いことになってるでしょうね」
そう言うとヴェロニカはニヤリと笑い、修道服の襟元に手を掛けた。
「お腹にも痕が残ってるのよ。見る?」
「ちょ、待ってください!それは……っ」
「ふふ、冗談よ」
慌てるアゼルを見て楽しげに笑うと、ヴェロニカは手を引っ込めた。
それを見てアゼルはなんだか毒気を抜かれてしまった。
「なんていうか……案外、気にしてないんですね」
「ええ。だって、罰せられるようなことをした私が悪いんだもの。罰を受けるのは当然だわ」
さばさばした口調だった。
「それにクラリモンド様はちゃんと加減を心得ていらっしゃるわ。見て、血が出てないでしょう?」
「……本当だ」
腕についたミミズ腫れを突きつけられる。恐々見ると、確かに腫れているだけで皮膚は裂けていない。
「鞭で思い切り打てば肌は破れて血が流れるわ。そうなっていないのは、これが未熟な人間を教え諭すための折檻であって、暴力ではないからよ。さすがはクラリモンド様だわ」
「そういうものですかね?」
「そういうものよ」
即答されてしまう。打たれた本人が納得しているのだから、アゼルとしては納得するしかない。
「跡が残ったりしませんか?」
「それは大丈夫よ。他に折檻を受けた子で跡が残ってる子なんていないし。そこは一番気をつけてくださってると思うわ」
そう言うと、ヴェロニカは思わせぶりな微笑を浮かべた。
「それにしても……あなた、私の心配してくれるんだ?肌に跡が残るんじゃないかって」
「え?それはまあ……そうですよ。傷が残ったら大変だし」
白い肌が美しいだけに、なおさら痛々しい。跡が残ったりしたら気の毒だ。
「うふふ、そうよね。乙女の柔肌に傷がついたらって、男の子としては心配になっちゃうわよね?」
ヴェロニカはますます笑みを深くして、なんだか思わせぶりなことを言ってきた。
「は、はぁ」
「そうでしょうそうでしょう」
機嫌よさげに頷くヴェロニカに、アゼルは思わずたじたじとなる。
「心配いらないわ。こんな傷、治そうと思えばすぐ治せるし」
「え。治せるんですか?」
「それはそうよ。私を誰だと思ってるわけ?」
ヴェロニカはそう言うと、少し表情を改めた。
「見てて」
腕に付いた傷跡に手を当て、真剣な顔を浮かべる。
アゼルもヴェロニカが集中しているのがわかったので、口を閉ざした。
固唾を呑んで見守る。
「……女神イシュターよ。傷つき迷える子羊に癒しの御手を授けたまえ」
ヴェロニカの敬虔な祈りの言葉が小屋に響いた。
「治癒」
ヴェロニカの唇が『力ある言葉』を紡いだ。
すると温かな光がポゥッ と手から放たれ、彼女の全身を包んだ。そして……。
その光が収まった時にはもう、赤く腫れ上がった傷跡は嘘のように消えてなくなっていた。
「すごい……!今のが回復魔法なんですね。初めて見ました!」
「別にすごくなんてないわ。ただの初級魔法。そんなに驚くほどのものじゃないわよ」
ヴェロニカは照れたように言った。
「だけど僕は初めて見ました。もうこんな魔法が使えるなんて、凄いですよ」
「……ま、まあ私くらいの歳でこの精度で魔法を使えるのは珍しいでしょうね。リタにはまだ無理でしょうし」
ふふんと誇らしげに胸を張る。
「でもヴェロニカ様、ご自分で治せるのならどうして今まで治さなかったんですか?」
「ああ、それ?いい機会だから、あんたに見せつけてやろうと思って」
「え……」
「私の魔法をね」
「あ、ああ。そうですよね」
ビックリした。一瞬、傷跡を見せつけに来たのかと思ってしまった。
するとヴェロニカは悪戯っぽく目を細めた。
「でも残念ね。他の場所の傷も今ので全部消えちゃったみたい」
「それは何よりです。でも、なんで残念なんですか?」
「他の傷も見せてあげようかなと思ってたからよ」
「え……」
「脚とか、背中とか。それにお腹とか。……見たかった?」
「いえ、そんな!」
いけないと思いつつも想像してしまい、顔が熱くなる。
一方、当の本人は涼しい表情だった。
「ふふ、なんてね。そんなことしたら今度はどんな罰を受けるかわからないものね。あなたも今度こそ本当に追い出されちゃうかも」
「勘弁してください……」




