第3話 アゼルとリタ③
(あの頃はしばらく会わせてもらえなかったものな)
当時を思い出して、苦笑する。
修道院に入れられる前の一時期、リタは父親に外出禁止を言い渡されていた。商会の代表であるリタの父親が、娘が街で亜人の子供と遊んでいることを聞きつけ、それを危ぶんだのだ。
行儀見習いとしてリタを一時的に修道院に預けようとしたのも、アゼルから遠ざけたいという思惑があったに違いなかった。
(リタのお父さんは、まさか自分の娘が聖女候補に選ばれるなんて夢にも思ってなかっただろうけど……)
そう思うと少しおかしい。
ともあれそんな訳で、リタはアゼルの父親が死んだことも、それで幼馴染が孤児になっていたことも知らなかった。
そして自分でも知らぬ間に、幼馴染の命を救ったのだった。
それから少し経ち、ようやく孤児院にも慣れてきた頃、アゼルはリタと再会した。
その時のリタの驚きようといったらなかった。
教会の偉い大人達に伴われて孤児院を慰問に訪れたリタは、そこに自分がよく知る幼馴染の姿を見つけて仰天し、これ以上ないほど狼狽した。
問われるがままにアゼルが事情を話すと、リタの顔色はどんどん青ざめていった。
アゼルの父親が亡くなっていた驚きと悲しみ。
久しぶりに再会できた喜び。
幼馴染が孤児となって苦労していたと知った動揺と衝撃。
それをまったく知らなかったことへの罪悪感と、後悔。
自分がそれと知らずにその境涯から救っていたことへの複雑な思い。
……何より、とにもかくにも無事に生きていてくれてよかったという、安堵。
それらの様々な想いが綯い交ぜとなり、一挙に押し寄せたのだろう。
リタはアゼルに抱きついて大泣きした。
聖女候補などという立派な肩書きがあるとはとても思えない、本当にただの小さな子供のような。周りの誰も手がつけられないほどの大号泣だった。
(あの時はホントに大変だった)
今でも思い出すと冷汗が滲む。
なにしろ聖女候補として衆目から敬われる聖なる存在が、みすぼらしい亜人の子供に抱きついて泣き喚いたのだ。
大人達は大慌てでリタを亜人の子供から引き剥がそうとしたが、いくら宥めてもリタはアゼルにしがみついて離れようとせず、おまけに泣き止みもしない。
周囲の大人達は困り果てるし、他の孤児達もつられて泣いたり騒いだりし始め、それはもう大変なことになってしまった。
当事者の一人として、アゼルは生きた心地がしなかったのを覚えている。
もちろん、それほど自分を気に掛けてくれていたことは素直に嬉しかったけれど……。
ただ、それ以来リタは少し心配性になってしまった。
自分の知らない間に幼馴染が孤児となり、あわや死に掛けていたということがリタにとってはよほどショックだったものらしい。
リタは街に慰問に訪れる度に必ず孤児院に顔を出し、アゼルが元気にしているか確かめに来た。
そして12歳になったアゼルが孤児院を出なくてはならなくなった際には、自分が所属する修道院に懇願して敷地の一角に住まう許可まで取り付けてくれた。
アゼルが今、このサリーガルテン修道院に身を寄せているのはそういった事情があるのだった。
……だから。
(リタがいなければ、僕は死んでいた)
大袈裟でも誇張でもなく、それは掛け値なしの真実。
あの時、自分を抱き締めて泣いてくれたリタの体の温かさを、アゼルは生涯忘れることはないだろう。
だからアゼルにとってのリタはただの幼馴染などではない。大事な友達であるのは確かだが、それだけではない。
命の、恩人。それが何より先にくる。
だからこそ、幸せになってもらいたい。
自分のせいで迷惑をかけるなど以ての外。絶対にあってはならないことなのだ。
「どうしたの?」
「いや、何でもないよ」
不思議そうに尋ねるリタの声で、物思いから覚める。少し上の空になっていた。
視線を戻したアゼルは、ふと相手の顔を見て気付いた。
「もしかして体調が悪いの?」
「え……!」
途端にギクリとした顔に変わり、リタはあからさまに視線を外した。
「そ、そんなことないわ。私はとっても元気よ。……本当よ?」
「嘘吐いても駄目だよ。リタはすぐ顔に出るから」
「うぅ……。アゼルは鋭いわね」
リタが観念したように肩を落とす。
「でも体調が悪いわけじゃないのは本当よ?ちょっと寝不足なだけ」
「寝不足?……ああ」
そう言われ、すぐに思い当たる。
「もしかして今度の儀式のこと?そっか、もうじきだったね」
「まったく呑気なんだから。もうじきどころか三日後よ、私の『見神の儀』は」
その儀式のことを口にする時、リタの声は僅かに震えた。アゼルはそれには気付かないフリを装う。
「それで眠れないのか。さすがのリタも緊張するんだな」
「それってどういう意味?緊張ぐらいするわよ、私は普通の女の子なんだから」
少し憤慨したようにリタが言う。迫力がないのでまったく怖くない。
しかしその元気も長くは続かず、表情には影が差した。
「私が本当の聖女になれるかどうか、そこで決まっちゃうんだもの。緊張しないわけないでしょう?」
「……それもそうか」
悄然とするリタを見て、アゼルも少し表情を改めた。この三年間、聖女になるためにリタがどれだけ頑張ってきたかはよく知っている。
「けどさ、今から緊張しても仕方ないよ。もっと気楽に構えたら?」
それでも、アゼルはあえて気楽な風を装った。相手に合わせて深刻な顔をしていたらますます不安を募らせてしまうだけだと思ったのだ。
「もう、他人事だと思って……」
リタが不満そうな顔を浮かべる。
「アゼルは私のこと、応援してくれないの?」
「もちろん応援してるよ。だけど結果がどうなろうと、僕にはあまり関係ないし」
「……」
「聖女になろうとなるまいと、リタはリタだよ。僕にとっては何も変わらない」
「あ……!」
しばしアゼルを見つめると、リタはやがてリラックスした笑みを浮かべた。
「……ふふ、そうね。アゼルならそう言ってくれると思った」
その表情は心なしか元気を取り戻したように見える。少しでも気が軽くなってくれたのならいいんだけど、とアゼルは願わずにいられない。
聖女になろうとなるまいと、リタは自分にとって大事な友達であり、命の恩人なのだから。
その時、コンコンという軽い音が響いた。
「そろそろ時間だ」
マルクだった。こちらに背を向けた体勢のまま、顔だけ僅かに屋内に向けている。
「えっ、もうそんな時間?」
リタが慌てて立ち上がる。
「早くしろ。朝の礼拝に遅れるぞ」
「だったらもっと早く呼んでよ」
急かすマルクにリタが言い返す。納屋から出て、彼の隣に並ぶ。
そして、二人連れ立って歩き出す。
見送ろうとアゼルが戸口に立った時、折りよく射し込んできた朝陽が、二人の後ろ姿を明るく照らした。
ずっと暗い場所にいたアゼルが眩しさの余り、思わず目を細めるほどに……。
「ねぇ。――待っててね、アゼル」
陽だまりの中にいるリタが立ち止まり、振り返る。
マルクは構わず歩いていく。
「私、絶対に聖女になるから。それで、あなたをもっとちゃんとした所に住めるように頑張る。パンだけじゃなくて、温かいスープやお魚や、果物を食べられるようにしてあげる」
「遅れるぞ」
「は―いっ」
リタが小走りで、前を歩く高い背中を追いかけてゆく。
そして彼に追いつくと、また二人並んで歩き出した。
それを見送るアゼルの胸にはどうしてか、湿っぽい気持ちが過ぎった。
(本当に……お似合いだよな)
ふと、そんな感慨が浮かぶ。
そう思うのはきっと自分だけではない。誰が見ても、そう感じるだろう。
リタとマルク。二人は双方の家が正式に決めた、婚約者同士だった。
――と。今度はマルクが振り返った。
「おいアゼル」
「……え?」
「後でな」
「は、はいっ!」
感傷に浸っていたところに声を掛けられ、慌てて返事をする。
予想外だった。マルクが去り際にこんなことを言ってきたのは、かつてないことだったのだ。
(……『後で』?)
咄嗟に返事をしたはいいものの、まったく心当たりがない。一体なんのことだろう?
聞き返そうにもマルクは早足で歩いていく。呼び止めるなど、できるわけない。
アゼルが首を捻っていると、少し小さくなったリタが振り返り、こちらに手を振るのが見えた。




