第35話 因果律
※今回の話は設定を詰め込んだのでいつもより文字数が多くなっています。
興味がない方は適当に飛ばし読みしてください。
「当たり前だ。お前の言うことなんて信じられるか、この悪魔め」
平然を装ってアゼルは言った。
「僕は確かに剣聖様にお会いしたことなんてない。でも、ヴェロニカ様がそう言っていたんだ。僕はお前なんかよりヴェロニカ様の言うことを信じる」
少しばかり意地悪な面はあっても、ヴェロニカは賢い少女だ。世の中の道理や常識を自分なんかとは比較にならないほどよく知っているし、物事を分析する能力や判断力にだって長けているだろう。
そんな彼女の言うことだから、信用できる。目の前の悪魔より、そして自分自身の判断より、ヴェロニカの言葉をアゼルは信じることにした。
「ふぅん……?なるほどねぇ」
アゼルの顔を見上げてゼルペンティーナは言った。
「確かに剣聖は厄介ね。あいつを出し抜こうと思ったら上級悪魔が2体や3体は必要だわ。さすがにそんなのは不可能ね」
いかにも残念そうなその声に、アゼルは胸を撫で下ろした。
「そうだろう。だったら……」
「だけどメダルドゥスは来ないわ」
「……え?」
「メダルドゥスは見神の儀には来ない。残念だったわね」
(剣聖様が来ないだって?)
思わず目眩がした。
「そんな筈ない!」
動揺のあまり、アゼルは激しくかぶりを振る。
「ヴェロニカ様は確かにそう言っていた。アンジェリカ様だって……」
「あの子達がどう言っていたかなんて知らないわよ。だけど事実として、メダルドゥスは来ないわ」
「そんな馬鹿な。だって剣聖様は……」
「儀式の前日……つまり明日の夜ね。オイフェーミエが体調を崩すのよ」
「オイフェーミエ?」
「この国の皇太后よ。王弟ヴィクトリーンの母親ね」
「皇太后様が?」
言われてみれば、その名前には聞き覚えがあった。先年身罷った先王の后だ。
ただし現国王ヘルモーゲンの生母ではない。先王には若くして失くした后がおり、現国王はその忘れ形見だった。
王弟ヴィクトリーンは先王が歳を召してから新たに娶った第二后オイフェーミエの子供であり、そのためこの異母兄弟は親子ほどにも歳が離れている。
「母親が心配で儀式を欠席するってことか……」
「そういうこと。もっともオイフェーミエはただの軽い食あたりで、すぐに完治するわ。だけどそんなことはわからないからね。報せを受けた王弟は泡を食って王都に引き返すってわけ」
「じゃあメダルドゥス様も……」
「もちろんそっちに付いて行くわ。王弟の守護騎士だもの、当然でしょう?」
「そんな……!」
目の前が真っ暗になった。頼みに思っていた剣聖が、そんなことで来れなくなるとは。
食あたりぐらいのことで……とも思うが、息子にしてみれば母親の身が心配になるのは当然だ。
なにより、彼らは儀式が悪魔に襲撃されることなど知らないのだから。
何か引き止める手段はないのかと考えたが、そんな都合のいい方法などある筈もない。直訴したところで、怪しげな輩として成敗されるのがオチだろう。
メダルドゥスを当てにするのはどうやら断念するしかないと諦めざるを得なかった。
悔しがるアゼルに向けて、ゼルペンティーナはさらに追い討ちをかける。
「ついでに言えば、結界も役には立たないわよ。出し抜く手段があるからね」
「なんだって?それは一体……」
縋り付くように擦り寄ったアゼルに対し、ゼルペンティーナの態度は冷たかった。
「さすがにそこまでは教えられないわ。だいたい意味ないわよ。教えたって、防ぐのは不可能だしね」
思わずアゼルは相手を呪った。
「悪魔め……!」
「ええ、悪魔よ。それが何?」
呪詛のつもりで放った言葉もまるで通ぜず、歯噛みする。ゼルペンティーナの涼しい顔がなんとも腹立たしい。
どうにか相手をやりこめてやりたいと思ったが、すぐにそんな場合ではないと思い直した。
(どうすればいいんだ?)
剣聖が来ない。その報せはアゼルをひどく動揺させていた。
いや、それだって嘘かもしれない。そう考えられるだけの冷静さはまだ残っていた。
……だが。
「このままではリタは死ぬわ」
(これは罠だ)
頭ではそう考えても、耳を貸さずにはいられない。
「アゼル、貴方が私と契約しなければね」
「……」
相手の申し出を、無視できない。
「お前と契約したら……リタは助かるのか?」
「ええ。その可能性が生じるわ」
曖昧な物言いにアゼルは苛立った。
「はっきり答えろ。僕が契約したらリタは死なずに済むのか?」
「確実な保証なんてできないわ。運命を覆すって、それほど難しいことなのよ」
「……」
不審の目を向けるアゼルを諭すようにゼルペンティーナは語り始めた。
「アゼル。あなたは因果関係という言葉を知っている?」
「……?知らない」
「簡単に言えば、物事には全て原因と結果があるということよ。斧で木を伐ればその木は倒れる。そんな具合にね」
「なんだそれ。そんなの当たり前だろ?」
「ええ、当たり前ね。いちいち疑うまでもないぐらいに当然のこと」
ゼルペンティーナはそこで一旦言葉を切ると、改めて言い直した。
「つまりそれは、『必然』ということよ」
「必然……」
「そう。さっきの例で言えば斧が「原因」で、木が倒れるのが「結果」よね。それをあなたが当たり前だと思うのは、そうした目に見える事象が全て、物理法則に従っているからよ。この世界において物理法則は必然であり、それを外れた事象は起きない。だから因果関係なんてものをいちいち意識しなくても「当たり前」だと受け入れられるわけ。あなたみたいにね」
アゼルはムッツリと押し黙った。なんとなくだが、バカにされているのはわかる。
そう考えると面白くないが、自分に知識や考えが足りないのは事実なので文句も言えない。
それに……癪に障るが、聞いたことのない話を聞くのは少し楽しかった。
「ではここで質問。アゼル、貴方が「今」「ここ」にいるのは偶然?それとも必然かしら?」
「――え?」
「貴方は肉体という実体を持って「今」「ここ」に存在しているわね。それが偶然なのか、それとも必然なのかと聞いているのよ」
「それは……」
考えたこともないことを聞かれ、アゼルは面食らった。
少し戸惑いつつも、必死に頭を働かせる。
先の話に従えば、この世界の出来事は全て物理法則とやらに従っており、だから「必然」なのだという。
であれば、肉体という物質を纏ってここに存在している自分もまた、必然ということになるのだろう。
だが……。
「それは……偶然だろう?」
「あら。どうしてそう思うの?」
「僕がこうして「今」「ここ」にいるのは物理法則とやらに従っているんだろう?その意味では確かに必然なんだろうけど、そもそも僕の両親が出会わなければ僕は産まれてこなかったんだ。だったらそれは必然じゃないはずだ」
自分なりに考えた結果、アゼルはそういう結論に達した。
自分という人間が生まれたのは、物理的には自分の父親と母親が出逢ったからだ。因果関係とやらの言い方を借りれば、自分の両親が出逢ったという「原因」があり、自分が生まれたのはその「結果」ということになる。
それはある意味では必然と言えるかもしれないが、しかし両親が「偶然」出会わなければその必然だってそもそも生じなかったはずなのだ。
自分の父と母がどうやって出逢ったのかをアゼルは知らない。街で偶然に出会ったのか、仕事を通じて知り合ったのか……それはわからないが、少なくとも必然とは言えないだろう。
少しのタイミングのズレで出逢わなかったかもしれないし、そもそもお互いの生まれた街が違えば、或いは生まれてきた時代が違えば、二人が出逢うことはなかったのだ。
そうやって考えると、自分という人間がこの世に産まれたことは途方もない偶然が積み重なった結果だということにアゼルは気付いた。
自分の両親が、さらにそれぞれの両親が……と辿っていけば、自分という人間がこの世に生れ落ちたことは途方もない、それこそ天文学的な確率でしかないのだ。
それはとても不思議なことではないだろうか?
存在の神秘に思いを馳せ、なんとなく感動しているアゼルに向けて、しかしゼルペンティーナはにべもなく言った。
「なにやら感慨に耽っているところ悪いけどね。不正解よ、アゼル」
「え?」
「貴方がここにいるのは偶然ではなく必然だと、そう言っているのよ」
「でも……」
「あなたの考えは理解できるわ。あなたの両親が出逢ったことは物理法則に従った事象ではない。だから必然ではない――。その考えかた自体は正しい。だけどね、そこには別の法則が働いているの」
「別の法則?」
「ええ。目に見えるものを司る物理法則とは別に、目には見えないものを司る法則があるのよ」
そう語るゼルペンティーナの口調は学生に講義をする教師のよう――ではなかった。むしろそれは、気の遠くなるほど遠い昔から、神秘を探究するごく一部の者の間にだけ密かに語り継がれてきた古代の叡智を、そっと打ち明けようとする隠者のようだった。
思わず唾を呑み込んだアゼルに向けて、ゼルペンティーナは世界の秘密を語るように言った。
「それを『因果律』と呼ぶの」
「『因果律』……」
聞き馴染みのない言葉を口の中で転がすも、アゼルにはそれがどんなものかまったくわからなかった。石を口に放り込まれても味がしないようなものだ。
戸惑うアゼルに向けてゼルペンティーナは続けた。
「目に見えないものというのはね、たとえば人の誕生や死、それに人と人の出逢いや別れ。日々の生活に影響を及ぼす幸運や不運――そういったものよ。あなた達がまったくの偶然だと思っているそれら全てが、実は因果律の法則に従っている。つまりそれは偶然ではなく、」
「『必然』……」
「そう。あなたがこの時代、あなたの両親の下に生まれてきたことも、この街でリタと出逢ったことも、すべて偶然ではないの。因果律に則った、必然なのよ」
「それは……運命ってことか?」
「そうとも言うわね」
ゼルペンティーナが頷く。
「それは誰が決めるんだ。神様か?」
「そうとも言えるしそうではないとも言える。因果律を定めたのは創造神よ。だけど神は個々の運命にまでは干渉しない。個々の人間の運命を定めているのは、その人間の過去生よ」
「過去生?」
「あなたがこの世に生まれる前。つまり前世の行いが因果となって、廻り廻って今のあなたを形作っている」
「……善いことをしたら良い家に生まれて、悪いことをしたらその逆っていう話か?」
「そんなに単純じゃないけど、まあ大体そんな感じね。前世の行いや想い、関わった出来事、そこに他者の想いなんかが因縁となって絡まり、今生の因果……いえ、運命を形作っている」
アゼルは顔を顰めた。だとしたら、自分はあまり前世で善行を積んでいなかったということなのだろうか。
だけど貧しいながらに両親には愛されていたと思うし、リタやマルクとだって出逢えた。そう考えると悪くないという気もするし……よくわからない。
「そんなに考え込まない方がいいわよ?因果律の法則は玄妙不可思議。単純な善因善果、悪因悪果ではないの。この私にだって把握しきれないぐらいなんだから、人間のあなたには理解できないわ」
「そうみたいだな。……でも、人間の運命がそうやって予め決まっているなら、僕らが何をしてもそれは変えられないってことなんじゃないか?」
だとしたら努力なんて無意味になる。頑張って現状を覆そうとしても、懸命に勇気を出して何かに一歩踏み出したとしても、それは運命が予めそう定めていたということなのだから。
それなら人間の意志なんて要らないではないか。
ゼルペンティーナはそれには首を振った。
「決定論の問題ね。あなたがそう考えるのももっともだけど、それに関しては否定しておくわ。運命があなた達の人生を縛っているのは確かだけれど、それにどう対応するかはあなた達次第よ」
「……そうなのか?」
「ええ。因果律に従って出逢うべくして運命の相手に出逢ったとしても、どう対応するかはその人間の選択次第。ただし運命は強制力を伴っているから、それに逆らうのは並大抵のことではない。だから大抵の人間はおとなしくそれに従ってしまうけれど……逆らうのは決して不可能ではないのよ」
「……」
「そこで私の『未来視』の出番ってわけ」




