第32話 これからのこと
「え?」
聞き逃しそうな小さな声だったが、確かに聞こえた。
おそらく失言だったのだろう。マルクは最初、続きを口にするつもりはなさそうだった。
が、アゼルが視線を向けていると再び口を開いてくれた。
「冒険者ならどこにでも行ける。自由に、己の望んだ場所にな。……それは俺にはできないことだ」
「……意外です。マルク様でもそのように思われるのですね」
「俺を何だと思ってる?木石じゃないんだ。時にはそんな生き方にだって憧れる」
そう言って苦笑を洩らした顔は、普段の彼より年相応に見える。
その顔を見ながら、アゼルは相手の境遇に思いを馳せた。
マルクは嫡男ではない。とはいえ名家の生まれともなればそうそう勝手な生き方など許されないことは、婚約の件からも明らかだった。自分の一生を予め、誰かに決められているようなものだ。
普段のマルクを見ていると想像もつかないが、時にはそれを煩わしいと感じることもあるのだろうか……。
「お前からしたら贅沢な悩みだろうな」
「いえ、そんなことは」
慌てて首を振る。そして考えを纏めてから、口を開いた。
「マルク様、ありがとうございます。でも僕にはやはり、冒険者は向いてないと思います」
「どうしてそう思う?」
「誰かと戦うなんて、僕にできるとは思えません。人間相手はもちろん、魔物相手にだって剣を向けるなんてできそうにない」
謙遜でも卑下でもなく、それはアゼルの本心だった。
確かに子供の頃に憧れたこともあった。父親のような冒険者になりたいとか、物語に出てくるような英雄になりたいなどと、夢見たことだってあったかもしれない。
けれどそんな憧れはいつのまにか薄れていった。
いや、色褪せていた。
父親は冒険者としてそれほど腕が立つ方ではなかった。アゼル自身も背が低くて痩せっぽちで、戦うなんて到底できそうもない。
きっと自分は物語に出てくる英雄どころか、一人前の冒険者にだってなれないだろう。
マルクの言ってくれた言葉を信じていない訳ではない。だがそれはおそらく素養の話であって、気性の話ではないだろう。
仮に自分にマルクの言うような素質があったとしても、性格が戦いに向いていなければどうしようもない。
孤児になって貧民街をさまよっていた時、程度の差はあれ無数の迫害を受けた。それは時には言葉だけではなく物理的な暴力も伴ったが、その時もアゼルは逃げることしかできなかった。
反撃なんて思いもよらなかった。その時の相手は人間だったが、それがたとえ魔物であっても、戦うなんて自分にはできそうもない。
誰かを傷つけてまで欲しいものなんて、自分にはないのだから。
「だから僕は、冒険者には向いていません」
「そうか」
「すみません。せっかく勧めていただいたのに」
「気にするな。……むしろ少し、安心した」
「え?」
「いや、何でもない」
少し気になったが、マルクは軽く手を振った。聞くなということだと受け取る。
「……しかし意外だな。てっきりお前は冒険者になりたいのだと思っていた」
マルクは何気ない口調で言った。
「少なくともリタはそう考えている」
「そうなんですか?」
「ああ。冒険者になりたかったお前を、自分が引き留めてしまったのではないかと悩んでいる」
「リタがそんなことを?」
初耳だった。リタがそんなことを気にしていたなんて。
「そんな訳ないのに。リタがいなければ僕はとっくに死んでましたよ」
父が他界した時、自分はまだ10歳だった。孤児院に入れなければ確実に野垂れ死にしていたはずだ。それに12歳になって孤児院から追い出された時も、同様に。
或いは一か八か挑戦してみたかもしれないが、結果はきっと同じ。あっさり魔物に殺されていたに違いない。
「リタに伝えていただけませんか。僕は冒険者になんてなるつもりはないって」
「自分で伝えろ。俺はリタの付き人じゃないんだ」
「そうですね。そうします」
思わず笑みが浮かんだ。そっけなく断られたというのに、悪い気分ではない。
きっとマルクはこう言いたいのだろう。「そういう大切なことは自分の口で言え」、と。
まったくその通りだとアゼルは思った。
そして、昨日までほとんど会話がなかったマルクとこんな風に話せていることを不思議に感じた。
「ところで、リタはどうしてます?」
「少し参っているようだ」
「え、そうなんですか?儀式の前で緊張しているとか?」
「ああ。それもあるし、お前に会ってないからというのもある」
「え?」
「今日はお前と会えなかったから寂しがっているんだ。あいつはお前と話すことが息抜きになると言っていただろう?あれは決して大袈裟な話ではないんだ」
「そう……ですか」
戸惑いながら答える。なんと言っていいかわからなかった。
そう言われて嬉しい気持ちはあるが、マルクの前でそれを見せるのは違う気がした。
「……明後日の儀式がどうなるかはわからない」
やがてマルクは言った。
「だがどんな結果になろうと状況は変わる。今のままではいられないだろう」
「はい」
「今後のことについては、あいつも色々考えているようだ」
「え?それは……」
「俺の口からは言えない。リタに直接聞け」
「……はい」
聞きたかったが、ここは素直に引き下がった。その口調に断固としたものを感じたからだ。
話さないと決めたなら、マルクは決して口を開かないだろう。
(見神の儀が終わった後のこと、か)
考えたことがないわけではない。だが、今までその話題がリタの口から出たことはなかった。
リタはこれからどうするのだろう。
もし明後日の儀式で聖女になれなければ「聖女候補」ではなくなる。そうなれば周囲からの扱いも自ずと変わることは想像できた。
その場合でも修道院に留まるのだろうか。それとも、アンジェリカのように立ち去るのだろうか?
自分をここに置き去りにして。
(馬鹿――何を考えているんだ)
そもそもリタと自分は住む世界が違うのだ。むしろ今一緒にいられることの方がおかしいのだ。
なまじ近くにいるせいで、気を抜くと勘違いしてしまいそうになる。
……だが、それもあと数日の話。
もしもリタが聖女に――「真の聖女」になれたとしたら、それこそ今まで通りではいられない。
かつてリタが聖女候補に選ばれた時のように……いや、あの時の比ではないほどに、彼女を取り巻く環境は激変することだろう。
「もしリタが聖女になったら、今までのようには話せなくなるでしょうね」
その時のリタはもう、面と向かって話すどころか、仰ぎ見なくてはならない存在なのだ。
リタ自身がそれを望もうと、望むまいと。否応なく。
仕方のないことだが、それはやはり寂しい。
「そうだな。だが、そう思い詰めることもないだろう。なにしろ聖女は千年間現れていないんだ」
言葉を選びながらマルクが言う。
それでアゼルは察した。マルクもまた、そうはならないだろうと考えているのだ。
もちろんそう考えるのが普通だ。
……だが。
『一つ目。3日後、リタは聖女になる』
ゼルペンティーナの予言が脳裏を過ぎった。
(違う。あんなのただの法螺話だ)
別にリタが聖女に選ばれることを望んでいないわけではない。――が。
(あの予言が当たったとしたら、もう一つの予言も……)
『二つ目。聖女になった直後、リタは命を落とす』
(嘘だ!そんなの、絶対に……)
そうだ、ありえない。そんなこと決してあってはならない。
「どうした?顔色が悪いぞ」
「い、いえ……なんでもありません」
急に黙り込んだアゼルをマルクが案じる。
(マルク様に相談すべきか?)
彼はリタの守護騎士だ。騎士としてはまだ見習いではあるが、婚約者として常にリタを護衛している。
リタの身を案じるならば第一に伝えておくべき相手だ。
だが……。
(どう伝えればいいんだ?)
リタに危険が迫っていることを伝えるには悪魔のことにも触れなくてはならない。だが、それは自分が悪魔に憑かれかけていることを白状することを意味する。
マルクになら、とも思う。だが彼は、知り合いを悪魔憑きに殺されたばかりだ。
その悪魔憑きに自分がなりかけていると話したら、マルクにどう思われるのか……。
そう考えると、怖かった。
せっかく仲良くなれそうだったのに、軽蔑されるのではないかと思うと、恐ろしい。
(やっぱり……駄目だ。言えない)
そもそも、ヴェロニカ達の話では悪魔の襲撃なんてありえないということだった。自分もそれで納得したはずではないか。
(自分でも信じていない話を伝えてどうする?マルク様を困惑させるだけじゃないか)
そうだ。伝えたって意味がない。
……決して、保身のために口を噤むんじゃない。
「少し長居しすぎたな。疲れているだろうに、邪魔したな」
「いえ、そんな」
沈黙するアゼルを気遣ったのか、マルクはそんなことを言った。人のいい彼に気を遣わせてしまったことをアゼルは心苦しく思った。
去り際、戸口に立ったマルクが言った。
「あまり思い詰めるな。これから何が起ころうと、きっとお前達は何も変わらない。例え周りが変わっても」
またこうも付け加えた。
「リタはリタだ。たとえ、聖女になってもな」
「……はい」
アゼルが頷くと、マルクも頷きを返した。そして夜道を歩いて戻って行く。
ランプの灯りがマルクの姿を暗闇に浮かび上がらせる。その背中が次第に小さくなっていくのを眺めながらアゼルは、ついこう思ってしまった。
『だが、マルクは予言者ではないのだ』と……。




