第31話 マルク②
コンコン。
夜。寝床に入ろうとしていると、小屋の戸を叩く音があった。
アゼルは驚いた。今までこんな時間に小屋を訪れた者は今までいなかったからだ。
誰だろうと訝っていると、相手の方から名乗ってくれた。
「マルクだ。アゼル、起きているか?」
「マルク様?」
慌てて駆け寄って扉を開けると、ランプを手にしたマルクが立っていた。
「どうされたのですか。こんな時間に、お一人で」
「今日も墓堀りの仕事が入ったと聞いてな。様子を見に来た」
「心配してくださったのですか」
「別に。少し気になっただけだ」
そう言って横を向いてしまう。その辺りは相変わらずだ。
「ありがとうございます」
アゼルは少し吹き出しそうになりながら礼を述べた。
「……ふん。礼を言われる覚えはない」
マルクはそう言うと、アゼルの顔を眺めた。
「意外と平気そうだな」
「それが、今日はヌートさんと二人で掘ったんです」
「あの庭師が?」
マルクは意外そうな顔をした。
「珍しいな。何かあったのか」
「それが、実は……」
「……いや。ちょっと待て」
「え?」
話しかけたところを止められ、何だろうと首を捻る。
「長くなるようなら中で話さないか?お前がよければ、だが」
「え?でも……」
「駄目ならいいが」
「いえ、そんなことないです!こんな所でよろしければ、どうぞ」
「そうか。では邪魔させてもらうぞ」
扉を抑えて招き入れると、マルクは躊躇もせずに納屋の中に足を踏み入れた。
アゼルは彼がこのボロ小屋に入りたくないものとばかり思っていたので、少し呆気に取られた。
だったらなぜ普段は入ってこないのだろう?
「ここに座っていいだろうか?」
マルクが示したのはリタがいつも座っている木箱だった。
「もちろんです。どうぞ」
「……では」
なぜか少し遠慮がちに腰を下ろすと、マルクはランプをテーブルの上に置いた。
アゼルも向かいの木箱に座る。
それを待ってマルクは口を開いた。
「それで、何があったんだ?」
「あ、はい。実は……」
昼間あったことを話すとマルクは少し口元を緩めた。
「そんなことがあったとはな。だが、いいことだ」
「はい」
「ヴェロニカの狼藉が却って良い方向に働いたか。奇特なことがあるものだ」
それを聞いたアゼルは思わず苦笑してしまった。ヴェロニカはマルクに気があるのだろうが、この口振りでは脈はなさそうだ。
もっとも、それ以前の話ではある。マルクが婚約者であるリタを蔑ろにするはずがないのだから。
「どうかしたのか?」
「いえ、何でも。とにかくこれからは、ヌートさんともうまくやっていけそうです」
ヌートは基本的に裏表のない、朴訥で単純な男だ。一度仲間だと認めた相手はよほどのことがない限り見捨てたりはしないだろう。
「今までは少し不安でしたが……この分なら、ここでやっていけそうです」
ヌートのことだけではない。ヴェロニカにしても、これまで思っていたような悪い人間ではなかった。
発言に気をつけさえすればもう意地悪をされることもないだろう。
そう思うと少し気が楽になった。
アゼルは今まで、この修道院にはリタぐらいしか味方はいないと思っていた。リタの庇護がなくなれば、きっとすぐにも自分は追い出されてしまうに違いないと。
しかし今は、そうではないと思える。リタに加え、マルクがいる。ヌートもこれからは力になってくれそうだし、もしかしたらヴェロニカだって。
アゼルはここに来て初めて、先のことを思い描ける気がしていた。
「……そうか」
しかしマルクの反応は意外なものだった。喜んでくれるかと思いきや、僅かに表情を曇らせたのだ。
それが少し気に掛かった。
「マルク様、なにか……」
「いや。どうという訳ではないんだが」
いつになく歯切れの悪いマルクの様子を、アゼルは珍しいと思った。言うべきかどうか迷っている……そんな印象だった。
それでも、結局は話すことに決めたらしい。マルクは少し改まった様子で口を開いた。
「本当にどうという訳じゃない。だが、お前はそれでいいのかと思ってな」
「と言いますと……」
「お前、ずっとここにいるつもりか?」
「え……」
「ここは閉鎖的だ。旧い因習と差別意識が蔓延り、そこから抜け出せないでいる。聖女候補であるリタですらそれを変えられないぐらいだ。外に出た方が、お前には生きやすいんじゃないか」
「……」
アゼルは俯いた。一理あると思ったからだ。
前々から気づいていないわけではなかった。世間にもむろん亜人に差別的な人間はいるが、別け隔てなく接してくれる者もそれなりにいたように思う。
亜人に対する差別意識は、平民よりも貴族の方により根強く残っている。
「ここはお前には相応しくない。誤解のないようにもう一度言うが、お前がここに相応しくないんじゃない。この修道院が、お前に相応しくないんだ。俺の言いたいことはわかるな?」
「はい」
「今はまだ難しいかもしれないが、お前はいずれ自分の力で生きていけるようになる。だから、別にここに縛られる必要はない。そう思っただけだ」
(そうかもしれない)
アゼルはそう思った。
自分にとって、この修道院に身を置くことは必ずしも望んでいたことではない。ただ、生きるための選択肢が他になかったというだけの話に過ぎない。
行くあてがなかったから、リタの善意に縋る形で置いてもらった。だから、もし食い扶持を稼ぐ手段が他にあるのなら、確かにここにこだわる必要はないのだ。
そんな当たり前のことを、マルクに言われるまでアゼルは思いつけなかった。
それは愚かだからではない。余裕がなかったからだ。
生きていくのに精一杯で、目の前のこと以外に頭が回らなかった。
(……外の世界か)
この修道院に来てから一年。そのたった一年が、ずいぶん長く感じられた。
思えば、ここで働き始めてからというもの、修道院の敷地の外には一度も出ていない。
別に囚われているという訳ではない。だが、なんとなく自分はずっとここで生きていくものと思い込んでいた。
借金をしている訳じゃないから、望めばすぐにでも出られるだろう。修道院だって別に引き留めてきたりはしないはずだ。
ここを出て外の世界で生きる。今は無理でも、いつかはそんな選択肢も可能になるのかもしれない。
だが。
「でも……ここを出ても、僕に行くあてなんてないですよ」
力なく呟く。我ながら、嫌になるほど弱々しい声だった。
自分には学がない。読み書きもろくにできない。
特筆するような技能や技術がなく、ツテやコネもない。
おまけに亜人となれば働き口は限られる。唯一できそうなのは、単純な肉体労働だ。
(それなら今と大して変わらない)
だったら、ここを出る意味なんてないのではないか。
しかし、マルクはそうは思わなかったようだった。
彼はこう言ったのだ。
「お前、冒険者にはならないのか?」――と。
「えっ。冒険者……ですか?」
それはまったく唐突な言葉に思えたので、アゼルは戸惑った。
しかしマルクにとってはそうでもなかったらしい。頷いて続けた。
「お前の父は冒険者だったんだろう?」
(ああ……そういうことか)
アゼルはようやく察した。きっとリタから聞いたのだろう。
苦笑しつつ首を振った。
「たしかに僕の父は冒険者でした。だけど、僕には無理ですよ」
「何故そう思う?」
「だって……僕は弱いですし」
「そうか?お前はきっと、向いていると思うが」
「ご冗談を」
「俺は冗談は嫌いだ。だから真面目に言っている」
「……」
相手の真剣な顔を前に、自然と姿勢を正す。
自分が冒険者に向いているとは全然思わない。そう思っていたアゼルではあるが、その言葉には説得力しかないと認めるしかなかった。マルクは冗談など言わない。
世辞の類もきっと、言わない。
「俺自身もまだ見習いの分際だから偉そうなことは言えないが、それなりに訓練を受けている。だから普段の身のこなしやちょっとした動作を見ているだけでも筋がいいかどうかはわかる」
マルクはアゼルの顔をまっすぐ見ていた。
「この言葉は信用に値する」と、その目を見てアゼルは思った。自分の判断などよりよほど彼の言葉の方が信頼できる。
そう心から思えた。
マルクがそう言うのなら、そうなのかもしれない。
(……でも)
冒険者。それは今の自分の境涯からはあまりに縁遠いものに思えた。
アゼルが考え込んでいると、マルクがポツリと言った。
「俺は少し、お前が羨ましい」




