第30話 アンジェリカとクッキー
こうしてヌートと別れた後、小屋に戻る途中でアゼルは呼び止められた。
「お~い、アゼル~」
振り返ると僧房の辺りにアンジェリカがいて、こちらに手を振っている。周囲には他の見習いの少女が数人一緒にいるが、ヴェロニカの姿はない。
何だろうと見ていると彼女は他の少女達に何やら言い、こちらに向かってテケテケと駆け寄ってきた。
しかし、見るからに……遅い。
「はぁ、はぁ……」
体を動かすことに慣れていないのか、すぐに息を切らせている。
今朝のこともあったのでどうかと思ったが、さりとて放っておくこともできず、仕方なくこちらから近づいていく。
「どうしたんですか、アンジェリカ様」
「ぜぇ、はぁ……っ。う、うん。あのね……。けほっ、けほっ」
「あの、ゆっくりでいいですから」
「は~い……」
しばらく息を整えた後、ようやくアンジェリカは顔を上げた。
それを待ってアゼルは改めて声を掛けた。
「それで、どうなさったんですか?」
「いやぁ。朝のことがあったから、お礼言わなきゃって。庇ってくれてありがとね」
「いえ。僕は何も……」
結局、庇ってもらったのは自分の方だった。ヴェロニカの高潔さに救われた形だ。
「それより、僕と話して大丈夫ですか?あれ……」
視線で告げる。さっきまで彼女と一緒にいた少女達が、こちらを見てヒソヒソと囁きを交わしていた。
当然アンジェリカも気づいていたのだろうが、彼女は一切気に掛けなかった。
「ああ、ほっとけばいいんだよ。あの子達はヴェラとは違うから」
「え?」
「上辺だけの付き合いってこと。集団生活を円滑に過ごすためには、そういうのも必要でしょ?」
さらっとそんなことを言う。
「それに私、明後日の儀式が終わったら近い内に実家に戻るし。今さら変な噂が立ったところで痛くも痒くもないんだよ」
「はぁ……」
そんなものだろうか。アゼルとしては生返事をするしかない。
「ところで、ヴェロニカ様は?」
先ほどの少女達の中に彼女の姿はない。気になって尋ねると、アンジェリカはあっさりと言った。
「ああ、ヴェラなら部屋で呻いてるよ」
「え?」
「あの後さんざん鞭でぶたれてね。今は寝込んでる」
「え……大丈夫なんですか?」
「大丈夫だと思うよ?ま、院長様は慣れてるからね。痕が残ったりケガが長引くような叩き方はしないし。なんなら回復呪文だってあるもん」
そう言うとアンジェリカは理解できないという顔をした。
「ていうかヴェラってば、自分で回復呪文使えるのに使わないんだよ。信じられる?そんなことしたら折檻の意味がない、自分はこの痛みに耐えなければならないんだ~とか言ってベッドでウンウン呻いてるんだよ。馬鹿だよねぇ」
「は、はぁ……」
「私、ヴェラのこと好きだけど、ああいうとこは理解できないよ。だって訳わかんないもん」
処置なし、と言いたげにアンジェリカが肩をすくめる。アゼルも少し呆れたが、一方でヴェロニカらしいなとも思った。
「アンジェリカ様は大丈夫だったんですか?」
「うん。なにしろ私、明後日は大事な儀式があるからね。さすがに配慮してくれたみたい」
「それはよかったです」
「よくないよぉ。その分、みっちりお説教されたんだから」
情けない顔で溜息を吐く。と、何かを思い出したのか表情がコロっと変わる。
「あ、そうだ。これあげるね」
軽い口調でそう言うと、持っていた包みを手渡してきた。
「何ですかこれ?」
「クッキーだよ。お腹すいてるでしょ」
「いただいていいんですか?」
「もちろん。私達のせいでご飯抜きになっちゃったんだもん。これでも責任感じてるんだ」
「では……ありがたく頂戴します」
ヌートに弁当を分けてもらったものの、空腹を感じていたのは確かだ。ここは素直に受け取ることにした。
「お礼を言うのはこっちだよ。ヴェラを庇ってくれてありがとね」
「いえ、僕は余計なことをしてしまっただけです。ヴェロニカ様はそんなの必要としていなかったのに」
「ううん、そんなことない。……本当にそんなことないんだよ、アゼル」
「え?」
「ヴェラさ、あの時ちょっと変だったでしょ?なんか、いつものあの子らしくないっていうか」
「そう……ですね。確かに」
「あの子、クラリモンド様を凄く尊敬してるからね。そんな人にマズイところを見つかっちゃって、軽くパニックになってたんだと思う」
「そうだったんですか……」
あの表情にはそういう理由があったのか、と納得する。
「あの時のあの子はらしくなかった。だけど、君のおかげで立ち直れた」
「え。僕、ですか?」
「うん。アゼルが庇ってくれたから、あの子はいつもの自分を取り戻せた。強くて誇り高いヴェラに戻れた」
アンジェリカは優しい笑みを浮かべた。
「だからヴェラは君に感謝してると思う。もちろん私もね」
「それは……えっと、光栄です」
「硬いなぁ。もっとフランクにしてくれてもいいんだよ?」
「は、はぁ。そう言われましても」
「あのさ。さっきも言ったけど、私もうちょっとでここを出てくんだよ」
「寂しくなりますね」
「ちょっと~、ホントにそう思ってる?……なんてね、ウソウソ。そんな困った顔しないの」
ケラケラと笑うアンジェリカにどう返したらいいかわからない。少し寂しいと思ったのは事実なのだが。
なんだかんだでこの修道院で自分と会話してくれる、数少ない相手だ。
「だけど。ちょっとでもそう感じてくれるなら、私がいなくなった後ヴェラにやさしくしてあげてね」
「え?」
そう言われて思い当たる。ヴェロニカとアンジェリカは同い年だが、誕生月が離れている。
この修道院で執り行われる見神の儀は半年に一度。なのでヴェロニカが受ける儀式は、半年先になる。
ということは、ヴェロニカは一人ここに残されることになるのだ。
アンジェリカはそれを案じているのだろう。
「あの子、私ほど器用じゃないからちょっと心配なんだ。お願いできるかな?」
「……はい。僕にできる限りのことは」
アゼルは本心からそう言った。ヴェロニカに対する印象は、昨日と今日ではかなり変わっていた。
彼女には自分の助けなど必要ないとは思うが、必要とあらば力を貸したい。
しかしアンジェリカはそれを聞くと、少し困ったような表情になった。
「なんか、微妙に伝わってない気がするけど……まあいいや。君らしいっちゃらしいしね」
「はぁ……?」
「できる限り仲良くしてあげてね。それじゃね~」
そう言って手を振りながら去っていくアンジェリカをアゼルは見送る。
いつも飄々としている彼女だが、今のは少し違う印象があった。なんというか、気を許してくれたような……そんな感じがしたのだ。
そう思うと、別れが近いというのはやはり少し寂しく感じた。




