第29話 ヌートの改心?
それからアゼルは、いつも通りにヌートが待つ小屋に出かけた。
朝から一騒動あって気が滅入っていたし、空きっ腹ではあったが、アゼルの生活には気を休めるようなゆとりなどないのだ。
「おはようございます、ヌートさん」
「おお……アゼルか」
しかしヌートの様子はいつもとどこか違っていた。
何やら気まずそうに――というより気掛かりそうな顔で、アゼルの様子を見てくる。
どうしたのだろうと不思議に思っていると、やがてヌートは意を決したように口を開いた。
「なあ。お前……昨日、大丈夫だっただか?」
「昨日?」
何のことかわからず首を捻る。なにしろ昨日は色々あったので、咄嗟に思い当たらなかったのだ。
中でも特筆すべきことといえば……。
(もしかしてゼルペンティーナのことか?)
あの蛇と話しているところを見られたのだろうか。
だとしたらまずい。悪魔と話しているところを見られたのだとしたら、どんな風評を立てられるかわかったものではない。
しかし、その心配は杞憂だった。
「お前よ、昨日あのお嬢さん方にいじめられてたろ」
「え?」
お嬢さん方。どう考えてもゼルペンティーナのことではない。
「ヴェロニカ様とアンジェリカ様のことですか?」
「そうそう、そんな名前だったな。そのお二人がお前にちょっかい出してるとこ、見ちまっただよ」
(……ああ)
そう言われて思い出す。あの二人は自分のところに来る前にヌートにも絡んでいたのだ。
あの後てっきりすぐに立ち去ったものと思っていたが、物陰からこっそり覗いていたのか。
(だとしたら、あれも?)
二人に耳を弄り回されていたところも見られていたということになる。
そう気付き、アゼルは少し狼狽した。あれは何となく気恥ずかしい出来事だったからだ。
しかしヌートの気掛かりはそこにはないようだった。
「お前よ、あの気の強そうなお嬢さんに蹴り落とされてたろ?穴の中に」
「え?あ、はい」
「ケガしてねぇか?」
「はい。大丈夫です」
「そうか。そんならよかった」
ヌートはそれを聞いてホッとしたようだった。
(心配してくれてたのか?)
意外だった。ヌートはもっと薄情な男だと思っていたのだ。
少なくとも、自分に対しては。
ヌートはなおもブツブツと零している。
「まったくひでぇことをなさる。いくら貴族のお嬢さんだからって、何をしてもいいってわけじゃねぇのによ。なぁ」
「あ、はい……。そうですね」
「いいかアゼル。貴族ってぇのはオレたちにとっちゃおっそろしい連中なんだ。見た目こそキレイだが、実際はドラゴンみてぇなもんさ。鼻息一つでオレたちなんて簡単に吹っ飛ばされちまう」
「はぁ」
「子供だからって油断ならねぇ。あのお嬢さん方だってな、やっぱりドラゴンに違いねぇんだ。見た目に騙されて油断したら尻尾で一撃を食らうし、何かありゃすぐに親ドラゴンが出てきやがる。そうなりゃもうお終いだ。考えるだけで恐ろしいや」
想像してしまったのか、自分で言いながらヌートはブルブルと震え上がった。
アゼルはしばし呆気に取られていたが、次第にどういうことか飲み込めてきた。
どうやらこの庭師は昨日のヴェロニカの所業を見て、にわかにアゼルへの同情心と仲間意識を掻き立てられたものらしかった。
そして、どうやらそれは彼の経験から生じたもののようだ。というのも、ヌートはこんな話をした。
「ここの修道女は貴族出身が多いからなぁ。そりゃ神様の前では殊勝な顔だってしてるだろうが、連中の根っこは何も変わってなんぞいねぇのさ。俺たちのことなんて牛や馬と同じだと思って好き勝手こき使いやがる。俺はこんなとこ逃げ出してやると何度思ったか知らねぇよ、まったく」
そう言って長い溜息を吐く。そうやって愚痴を零しつつも、この庭師はもう自身の境遇については諦めの境地に達しているようだった。
「だがまぁ、人間ってのは偉いもんでな。どんな場所でもうまくやっていくことはできるもんさ。連中のワガママをうまく受け流すコツとか、尻を蹴っ飛ばされずに済む方法とか、お前にもそのうち教えてやるよ」
「あ、ありがとうございます」
「なぁに、気にするな。困ったことがあったら何でもいいな」
二カッと歯を剥きだして笑いながらヌートは言った。その姿はすっかりおせっかい焼きのおじさんといった雰囲気で、アゼルはなんだか毒気を抜かれてしまった。
ヌートはやはり、どこにでもいる平凡で善良な男なのだ。
その日の仕事は昨日と同じく墓穴堀りだった。悪魔が暴れた際に出た負傷者が治療の甲斐なく息を引き取ったのだという。
それでまたここの墓地に埋葬されることとなったのだが、昨日とは違うことが一つあった。
なんと、ヌートが一緒に仕事をしたのだ。
もちろんそれが本来あるべき姿なのだが、アゼルはかなり驚いてしまった。
さすがは年の功というべきか、年齢の割にヌートは手際がよかった。それに道具の正しい使い方から土を掘るコツまで、様々なことを教えてくれた。
おまけに昼には弁当を分けてくれたばかりか、仕事が済むとアゼルの分の給金まで渡してくれたのだ。
そんなものを受け取ったのは初めてだったので、戸惑っているとヌートは言った。
「それはお前の取り分なんだから受け取れいいんだよ。遠慮なくとっとけ」
「はぁ」
「街に行ってなにか旨いもんでも食ってきな。おめぇ、痩せっぽちなんだからよ」
夕暮れの中、気さくに笑いながら去っていくヌートの背中がだんだん遠ざかる。
アゼルはなんだか、化かされているような気分でそれを見送った。




