第26話 噂話
「ねぇねぇ、まだ心配?」
「え?」
いつのまにか考え込んでしまっていたらしい。二人揃って自分の顔を見つめている。
「いえ、そんな。お二人の仰る通り、それなら安心ですね」
「嘘。ホントはぜんぜん安心してないくせに」
はっきり断言されてつい口籠もってしまう。図星だと言っているようなものだ。
「そう……ですね。まだ、少し」
「だよねぇ」
アンジェリカがにっこりと笑う。その様はおっとりしているようにしか見えないが……。
彼女は意外と鋭い、と言っていたリタの言葉が思い出された。
「大丈夫だよ」
「え?」
「そんな心配性なアゼルに、とっておきの情報を教えてあげる」
「とっておきの情報?」
「いいよね、ヴェラ」
「それって、あのこと?……ま、それは別に秘密じゃないから、いいんじゃないの」
不機嫌にそう言うとヴェロニカは、ぷいっと横を向いてしまった。結界の効果を信用していないことが不満なのだろうか。
気には掛かるが、今はとっておきの情報とやらを早く聞きたい。
「それで、その情報というのは?」
「実はね。明後日の儀式には王弟陛下もいらっしゃるんだよ」
「王弟陛下というと……国王陛下の弟君のことですか?」
「そう、ヴィクトリーン殿下。人呼んで王弟陛下」
「それは俗称よ。下々の者ならともかく、あんたは軽々しく口にしないの」
「はーい」
ヴェロニカの小言にアンジェリカがペロッと舌を出す。
ヴィクトリーンは現国王であるヘルモーゲンの異母弟に当たる。先王の晩年に生まれた子供ということで、王位継承争いの火種になるのではないかと一時期は危ぶまれた。
結局、王太子であった長子のヘルモーゲンが王位を継承したことでことなきを得たが、口さがない者は今でもその名残で王弟『陛下』などと陰で呼んでいる。
下々の者が口にするのも不敬に当たるが、貴族であるアンジェリカがそれを口にするのは別の意味で問題がある。ヴェロニカが咎めるのも当然だった。
まあ、それはそれとして。
「王弟……ヴィクトリーン様がここにいらっしゃるんですか?」
「ええ。国王陛下の名代として観覧されるというお話よ。王族としても気になるのでしょうね」
「教会だってさすがに王族の要請は断れないからねぇ」
「なるほど……それなら警備は万全という訳ですね」
なにしろ王族だ。万が一にも危険が及ばないようにするだろう。
するとアンジェリカはチッチッと顔の前で指を振った。
「そうなんだけど、それだけじゃないんだよ~」
「え?」
「私が言いたいのはね、王弟陛下が……」
「殿下!」
「殿下が来られるってことは、『剣聖』様もここにいらっしゃるということなんだよっ」
「剣聖様?」
「ありゃ、知らない?剣聖メダルドゥス様。聖騎士の中でもぶっちぎりで最強って噂だよ~」
アンジェリカが身を乗り出す。どうやらそういう噂話が好きらしい。
「過去に何体も上級悪魔を討伐したことがあるんだって。しかも、たった一人で!」
「上級悪魔を……!」
上級悪魔を倒したと言われたところで、それが具体的にどれくらい凄いことなのかはわからない。
だが、昨日のマルクの話によれば街に出た下級悪魔を騎士団総がかりで討伐したという。しかも、それでも犠牲者が出たということだ。
単純に考えて中級悪魔はむろん下級悪魔より数段強いのだろうし、上級ともなればそれ以上。自分にはもはや想像も及ばない領域の化け物ということだ。
そんな恐ろしい悪魔を退治した聖騎士がやってくるという情報は、アゼルにとっては願ってもない吉報だった。
「剣聖様がいらっしゃるというのは確かなんですか?」
勢い込んで尋ねるアゼルに、答えてくれたのはヴェロニカだった。
「ええ。メダルドゥス様はヴィクトリーン殿下の守護騎士だから、明後日も確実にいらっしゃるでしょうね」
「そうなんですか……!」
「だからどんな悪魔が襲ってきても大丈夫よ。安心なさい」
「むしろそれで駄目ならどうしようもないよね」
「縁起でもないこと言わないの」
「は~い。どう、アゼル。安心した?」
「はい!安心できました、ありがとうございます」
「どういたしまして~」
アンジェリカが穏やかに微笑む。それを見て心が和んだ。
アゼルは心から安堵していた。どんな悪魔が襲って来ようが、そんな凄い騎士が来てくれるのならリタの安全は保障されたも同然だ。
リタが死ぬなんて、やっぱりただのデマカセだったのだ。
「……」
だが、そんな和やかな空気の中、ヴェロニカ一人が仏頂面を浮かべていた。
そして、不機嫌そうに口を開く。
「……あんたさ、ひょっとしてリタが聖女に選ばれると思ってる?」
「え?」
アゼルはギクリとした。何か勘付かれたのかと思ったのだ。
しかしそうではなかった。彼女はこう続けたのだ。
「だとしたらとんだ勘違いよ。あの子が聖女になれるわけないじゃない」
「また~、ヴェラはそんなこと言って……」
「事実でしょうが」
取り成すような相方の言葉を一蹴し、頑なな表情でアゼルを睨んでくる。
「どうなの?あんたはリタが聖女になれると思ってるのね。だからそんなに心配してるんでしょ」
「僕は……」
どう答えるべきか少し迷う。だが、ゼルペンティーナのことは口が裂けても言えない。
色々と教えてもらったから少し後ろめたいものの、結局はお茶を濁すしかないだろう。
そう……いつも通りに。
「友人として彼女を応援しています。もちろん、難しいことはわかっていますが」
リタを裏切るわけでもなく、ヴェロニカの言葉を否定するでもない。これがアゼルにできる妥協点であり、ここで生きていくための処世術だった。
だが。
「……」
ヴェロニカの目の端が少しずつ吊りあがっていくのを見て、どうやら失敗だったらしいと悟った。
(ああ、まただ)
とアゼルは思う。自分はまた、間違えてしまったようだ。
彼女はいったい何が気に入らないのだろうか。
「あんたの嘘はすぐわかるのよ」
吐き捨てるように彼女は言った。
「そんな風に取り繕って、調子を合わせて。言いたいことがあるなら言えばいいじゃない」
できるものならそうしている。だが、それができないのが身分の差というものだ。
アゼルはそう思ったが、口には出さない。出す意味がない。
そんなことは彼女だってわかっているはずだからだ。
いや、むしろ彼女の方がよくわかっているのではないのか?
それなのにどうしていつもこんなに絡んでくるのだろう。
アゼルには本当にわからなかった。
「……あんた、こんな噂を知ってる?」
「噂?」
「ええ。――リタの噂よ」




