第23話 アンジェリカと藁布団
その横顔を眺め、ふと思った。
自分はこの少女のことを少し誤解していたのかもしれない、と。
今までヴェロニカに抱いていたイメージからすれば、ここに来る途中でパンを捨ててしまったとしてもそう驚きはしなかったろう。彼女も亜人に差別意識を持っている一人だと思っていたからだ。
だがもしかしたら彼女は、単にきっちりした性格なだけかもしれない。
身分や階級の区別に厳格にこだわるからこそ、自分だけでなく他人にもそれを強いているだけなのではないか。
普段の言動を思えば、ヴェロニカが亜人を嫌っているのは間違いない。だが、そうした個人的な感情を仕事には持ち込まないということなのだろう。
公私混同はしないということか。
(きっと、それがわかってたからリタは彼女に頼んだんだな)
最初に聞いた時は驚いたが、そういうことなら納得できる。
……などと、アゼルが密かにヴェロニカへの認識を改めていた時だった。
「ちょっと、何をボケッと突っ立ってるのよ」
ジロリと睨まれてしまった。何のことかわからず当惑する。
「お二人をお見送りしようと思って立っているのですが……」
途端にヴェロニカが不機嫌そうな顔に変わった。
「はぁ?まさかあんた、私たちをこのまま追い返すつもり?」
「……と、言いますと」
「わからない奴ねぇ。中に入れろって言ってるのよ」
「え……っ」
「朝早くからわざわざこんな所まで足を運んであげたのよ。少し休ませなさいよ」
「わたしもぉ。眠いし、ちょっと座りたい……」
「そんな。こんなボロ小屋にお二人を上げるわけには……」
アゼルは慌てた。自分が寝泊りしている小屋ではあるが、お世辞にも人を招きいれられるような建物ではない。まして、相手は貴族令嬢なのだ。
どんな粗相があるかわからない。商家の出身であるリタとは違うのだ。
アゼルはなんとか二人を止めようとしたが、
「ゴチャゴチャうるさい。お邪魔させてもらうわよ」
「うぅ、もう限界。お先にしつれい~」
ヴェロニカは聞く耳持たなかった。いや、それ以上にアンジェリカが。
気付いた時にはもう、アゼルを無視して二人は小屋の戸を潜ろうとしている。
ろくでもないことになりそうな予感をヒシヒシと感じつつ、アゼルは慌てて二人を追った。
「ひどい所ねぇ……。うちの家畜小屋だってもうちょっとマシよ」
開口一番ヴェロニカが呟いた。
戸口に立ち止まり、呆れたように中を眺めている。
アゼルは恥じ入るしかなかった。
「申し訳ありません」
「別にあんたが謝ることじゃないけど。それにしたって、人間の住む場所とは思えないわね」
そんなことを言われても住んでいるんだから仕方ない。
「それで、私はどこに座ったらいいわけ?」
「お座りになられるのでしたら、そこの木箱に」
「木箱ねぇ……」
「その他にはテーブルと、あとは寝台しかありませんが。それは流石に……」
おっかなびっくり提案する。勧めるだけで彼女を怒らせかねないと思ったのだ。
ヴェロニカはしばしアゼルの使っている寝台を眺めていたが、
「……そうね。それはさすがにね」
仕方なさそうに木箱の一つに腰を下ろした。
普段、リタが座っている木箱に。
「?……なによ」
「いえ、なんでも」
「じゃ、私は寝台を借りるねぇ……」
そんな二人をよそにアンジェリカが寝床に歩み寄っていく。
「ちょっと!それはいくらなんでもはしたないでしょう!?」
途端にヴェロニカが下ろしたばかりの腰を浮かせた。
「え、そう?」
「当たり前でしょ。男の子が使ってるベッドなのよ」
「これベッドなの?布団ていうかただの布だし、その下は……何これ、藁?」
積み上げた麦藁を覆っている、寝具とは名ばかりの薄布を摘まんでアンジェリカが言う。
「藁布団ね。田舎なら珍しくもないわ。それに昔は、どこの修道院でも藁布団が当たり前だったという話よ」
「え~、そうなの?信じられないや。この修道院に来た時にお布団の薄さにビックリしたけど、上には上があるんだねぇ」
それを言うなら下には下だとアゼルは思ったが、言っても虚しいので口にしなかった。
「アゼル、こんなので寝てんの?寒くない?」
「あ、はい。まあなんとか」
今の気候なら耐えられるが、これからの季節は厳しくなるだろう。
そんなことを言っても仕方がないので言葉を濁す。
しかしアンジェリカは別に気にした様子もなかった。
「ん~、でも意外と寝心地はよさそうかも。ちょっと横になっていい?」
そう言いながら答えを待たずにノソノソと掛け布の上に上がろうとする。
アゼルも慌てたが、それ以上にヴェロニカが血相を変えた。
「ダメに決まってるでしょ!あんた何言ってんのっ!?」
「だって眠いんだもん。誰かさんのせいで~」
「ぐ……っ」
一応負い目を感じているのか、珍しくヴェロニカが口ごもる。
「それに私が寝てた方が話もしやすいんじゃない?」
「ちょ……!」
「話?」
「あんたは気にしなくていいのっ」
「はあ」
気になったものの、ヴェロニカにそう言われては引き下がるしかない。
そうこうしている内に二人の口論らしきものは決着がついたようだった。
「帰る時に起こしてねぇ。それまで私、おとなしくしてるから~」
そう言うと早くもスヤスヤと寝息を立て始めてしまった。……アゼルが普段使っている寝床の上で。
さすがに寝具に潜り込んだりはしていないが、それでもなんだか落ち着かない。
「まったくこの子は……」
ヴェロニカはしばらく苦虫を噛み潰したような顔でアンジェリカを睨んでいたが、ふとアゼルの方を振り向いた。
と、その目がさらに険しくなる。
「なに赤くなってんのよ。あんたまさか、変なこと考えてない?」
「まさか!」
「ふん、どうだか」
不機嫌そうに呟くと、ぷいっと横を向いてしまった。
なんなのだろう、とアゼルは思った。どうしてよいのかわからない。
そのまま気詰まりな沈黙が続く。
アゼルは途方に暮れた。何か話した方がよいのだろうか?
しかし何を話せばよいかわからない。
と、ヴェロニカの方が先に動きを見せた。
彼女はゆっくりと息を吐くと、気を取り直したように口を開いた。
「……意外とキレイにしてるのね」
「え?」
「この小屋よ。あちこち傷んでいるけれど、掃除は行き届いているわね。埃っぽくないし」
「あ、はい。一応、掃除は小まめにしています」
「いい心掛けね。そうじゃなければ足を踏み入れようとも思わなかったわ」
ヴェロニカは少し感心した様子で小屋の中を見回している。
「必要なものはまったく足りてないし、およそ人間の住むに相応しい環境とはとても言えないけど……私が立ち寄る場としては、まあ及第点をあげてもいいわ」
「ありがとうございます」
ヴェロニカに褒められ、アゼルは素直に嬉しかった。毎日のようにリタとマルクが訪れるので、いつでも彼女らを招き入れられるように日頃から心がけているのだ。




