第12話 ヴェロニカ襲来
「おお、やってるな」
急に人の声が聞こえて、アゼルの思考は断ち切られた。
驚いて顔を上げると、ヌートだった。考え事に耽っていたせいでまるで気付かなかった。
どうやら様子を見に来たようだ。
マルクが去ってからまだいくらも経っていない。鉢合わせにならなくてよかった、とアゼルはこっそり胸を撫で下ろした。
(ていうか、ひょっとして)
マルクはそれを避けるためにあんなにせわしなく立ち去ったのだろうか?
可能性で言えば全然あり得そうな話だった。
「お?今日はえらく順調でねぇか」
作業の進み具合を確認したヌートは驚き、にわかに上機嫌になった。
「この調子なら問題なく終わりそうだな」
「どうも、ヌートさん。まだちょっと掛かりますが、夕方には終わると思います」
「そうかそうか!それにしてもお前、今日はずいぶん元気でねぇか。いつもならもっとへたばってるのによ」
「い、いえ。それは……たまたまですよ」
「たまたま?」
「ええ。今日はたまたま、木の根っこが少なかったんです。太い根があるとどけるのに手間が掛かるし、死にそうなぐらいへばってしまいますから」
アゼルは咄嗟にそう口にした。マルクが最後に木の根を隠したのは何か意味があるはずだ、と考えたのだ。
確証はないが、おそらくこういう意図だったに違いない。
ヌートは素直に納得した。
「なるほどなぁ、そりゃそうか。たしかにアレは厄介だからなぁ。もうちぃっと時間が経てば腐ってなくなっちまうんだが、それを待ってられんからなぁ」
ヌートはそう言うと用心深い目付きになって、キョロキョロ辺りを見回した。
そして声を低めて言った。
「あの管理人の爺さんは、そういうワシらの苦労をちっともわかっとらん。『おい、アソコを明日までに掘っておけ』と命じたら間違いなくその通りになると思ってやがる。あいつはきっと、自分の口から出た言葉が土を掘ってるとでも思ってるのさ。まったく、誰が汗水流して掘ってやってると思ってるんだ。なぁ?」
「はは……そうですね」
一人で憤慨しているヌートに相槌を打つ。もちろんここで「あんたは掘ってないでしょ」と言うほどアゼルは向こう見ずでも世間知らずでもない。
「それにしたって、根っこがなかったとはいえ子供一人でこんだけ掘れるのは大したもんだ」
珍しく褒めるような言葉をヌートは口にした。
アゼルは多少の後ろめたさを感じた。掘ったのは自分一人の力ではないのだ。
だがもちろん、そんなことは口が裂けても言えない。
何を言われるかわからないし、マルクにだって迷惑が掛かるかもしれない。
なので愛想笑いを浮かべておく。
「ま、亜人なんて体を動かしてなんぼだからな」
ヌートはなおも感心した様子でそんなことも言ったが、それは聞き流した。
悪気なくこういうことを口にしてしまうのがヌートという男だ。いちいち気にしていたらここでは生きていけない。
「お前も少しは亜人らしくなってきたってことか。んじゃ、夕方までに堀り上げておけよ!それが終わったら今日はもう上がっていいからよ」
「わかりました」
最後までヌートは上機嫌のままだった。アゼルを手伝ってくれた誰かがいた可能性など、頭を過ぎることもなかったようだ。
(心配しすぎだったかな)
後は夕方までに残りを掘ればいいだけ。
作業はもう7割ほど終えているし、マルクのおかげで体力には余裕がある。さほど苦ではないだろう。
アゼルは改めてマルクに感謝した。
――と。
(ん?)
何やら人が騒ぐ声が聞こえる。
なんだろう?とアゼルは思った。こんな敷地の外れに、そうそう人は来ないはずだが。
そう思って声のする方を見ると、少し離れた場所でヌートが誰かと立ち話をしている。
相手は二人組で、格好からしてここの修道女に間違いなかった。
ただし纏っている修道服は黒ではなく紺色。
正式な修道女は黒の修道服を身につけているので、あの二人はリタと同じく見習いの立場なのだろう。
だが、髪色が違う。どうやらリタではない。
それと気付いた途端、イヤな予感がした。
その二人組に心当たりがあったのだ。
(まさか……だよな)
不安を拭うべく、さりげなく向こうの様子を窺う。
距離があるので何を言っているのかまではわからない。
しかしどうやら、二人組の内の一人……赤い髪の少女が、ヌートに向かってしきりに何事かを言っているようだ。
それに対してヌートは腰を折らんばかりに体を屈めてペコペコと頭を下げている。
自分より頭一つ二つ小さい相手にへこへこする姿は、見ていて少し哀れでもある。
……だが、同情している場合ではなかった。
イヤな予感は既に確信に変わっていた。見習い修道女はここには大勢いるが、大の男相手にあれほど強く出られる少女はそうはいない。
だとすると、ヌートの災難はまったく他人事ではないのだ。
(まさかこっちに来ないよな?)
どうか来ないでくれと、アゼルは神に祈った。
しかし祈り虚しく、少女たちはまっすぐこちらに足を向ける。
(ああ……)
アゼルは思わず天を仰いで嘆いた。
一方のヌートはと言えば、少女たちから解放されると這々の体で逃げ去ったようだ。
アゼルにはその気持ちが痛いほどわかった。なにしろ、次は我が身なのだ。
足音は次第に近づいてくる。
隠れることもできないのでアゼルは、作業に没頭しているフリをした。
そして――。
「ごきげんよう、アゼル」
すぐ近くで足音が止まり、そして聞こえてきた声に観念し、顔を上げる。
穴の底から見上げると、そこにはアゼルが恐れていた通りの二人組が立っていて、自分を見下ろしていた。
「ヴェロニカ様とアンジェリカ様も、ご機嫌うるわしく」
「ご機嫌うるわしく?ええ、とってもうるわしいわね。どうしてかわかる?」
二人の内の一人――赤い髪をした見習い修道女のヴェロニカが言った。
アゼルは首を振った。下手なことを口にして機嫌を損ねたくないからだ。
以前にそれで失敗して癇癪を起こされたことがある。
「少しは頭を使いなさいよ。それとも亜人は物を考えることもできないのかしら?」
ヴェロニカがクスクスと意地の悪い笑みを漏らす。
「まあいいわ、教えてあげる。それはね……今の私とあんたが、本来あるべき位置に立っているからよ」
「あるべき位置、ですか?」
「ええ。貴族である私たちが上にいて、平民で亜人のあんたが穴の底にいる。とても正しい関係でしょう?」
「ああ、そういうことぉ?」
相槌を打ったのはヴェロニカの隣に佇む少女――こちらも見習い修道女のアンジェリカ。
栗色の髪を長く伸ばした、おっとりとした口調の少女だった。
ヴェロニカとアンジェリカ。どちらも貴族の令嬢なのだが、なぜかアゼルによく絡んでくる二人組である。
とりわけヴェロニカは己の出自を鼻にかけており、他人を見下すような言動をよくした。
「そうよアンジェ。だってこんなみすぼらしい奴が私たちと同じ地面に立つなんて、烏滸がましいと思わない?」
「んー、別にそれぐらいいいんじゃない?誰にだってそれぐらいの権利はあるでしょ」
「あんたは甘いのよ。そんな甘いこと言ってると穴の中に引きずりこまれて、おかしなことされちゃうわよ」
「あはは、それはないよぉ。アゼルにそんな度胸ないでしょ」
「わかんないわよ?亜人なんて、動物みたいなもんなんだから」
「……っ」
気付かれないように奥歯を噛み締める。アゼルにできるのはそれぐらいだった。
ヌートとは違い、ヴェロニカには自分を貶めようという明確な意図を感じる。
彼女にとっては自分のような存在がこの修道院にいること自体が許せないのだろう……。
アゼルは、そう思っていた。




