第11話 『熾天使アスタルテー』のこと
「ところでお前、今度の儀式でリタが聖女として認められる条件は聞いているか?」
「え?いえ……知りません」
アゼルが首を振ると、マルクが少し呆れた顔をした。
「やはりか。あいつ、そんな肝心なことを話していないとはな」
「あえて避けていたのかもしれません。柄にもなく緊張しているようですから」
「そうだな」
マルクはフッと笑った。
「見神の儀で聖女と認められる条件は基本的には今話したのと同じだ。つまり、天使を降ろせばいい。ただし普通の天使じゃない。先代聖女が降ろしたのと同じ、特別な天使を降臨させねばならない」
「特別な天使?」
「ああ。熾天使と言う、天界でも三体しかいない特に神格の高い天使達がいるんだ。先代聖女ロザーリアはその一柱である『銀色の翼のアスタルテー』を喚び出したと伝わっている」
「『アスタルテー』……」
アゼルは畏怖を込めてその名を口にした。
「その特別な天使様を喚ぶことができればリタは聖女になれるんですね」
「ああ。だが言った通り、それは非常に難しい。もちろんそうなることを願っているがな」
「……もし喚べなかった場合、どうなるんですか?」
恐る恐るアゼルは聞いた。
「その場合は聖女候補の称号は剥奪されることになる。その後の待遇は、儀式の結果次第だな」
「結果次第というのは……」
「アスタルテーではない他の天使を喚んだ場合だ。聖女にはなれずとも、聖女候補は天使を降ろすケースが多いんだ。天使持ちは希少だから、その場合は教会に何らかの要職に就くか、或いは聖騎士となるかのどちらかとなる」
「聖騎士?」
「天使持ちの中で悪魔と戦うことを志し、騎士となった者たちをそう呼ぶ。教会騎士の最高峰だ」
「……リタが聖騎士というのは、想像つきませんね」
「まあな」
リタが剣を抱えている姿を想像して吹き出しそうになる。
同じことを思ったのだろう、マルクも僅かに口元を緩めた。
一つ咳払いし、緩んだ表情を引き締めてからマルクは続けた。
「最後に、これは稀な事例だが……過去には何の天使も喚べなかった聖女候補も中にはいた」
「え?」
「その場合も教会に留まるケースが多かったようだが、還俗して市井に戻った例もあるそうだ」
「そう……ですか」
咄嗟に言葉が出なかった。喉に何かがつかえたように。
それを誤魔化すように革袋を取り、水を流し込んだ。
「……大丈夫ですよ。リタはきっと聖女になります」
「そうだな」
言葉少なにマルクが頷く。それはいつものことではある。
しかしアゼルにはその時、彼が言葉を飲み込んだように感じた。
「……」
それはきっと気のせいではないのだろう。
だが、訊くのはやめた。
彼が話さないことに決めたのなら、きっと訊き出すことはできないからだ。
それに……それは恐らく、聞くべきことではないのだ。
アゼルはそう思い、食事に戻った。
パンを食べ終えた後、少しの休憩を挟んで二人は墓穴堀りを再開した。
アゼルはこれまでになく快調に体が動くことに驚いた。休憩したからということもあるが、栄養のあるものを食べたということが大きいのか、身内に今までない力を感じた。なんだか活力が湧いてくるようだ。
しばらくそうして調子よく掘り進めた。
しかし、途中で手を止めざるを得なくなった。とりわけ太い木の根にぶつかってしまったからだった。
二人で交代にノコギリを使い、大いに手間を食ったものの、なんとかそれを取り除くことができた。
座り込んで肩で息をしているアゼルをよそに、マルクは切ったばかりのその根を拾って穴の外に出ると、少し離れた場所にある茂みに放った。
「?」
アゼルは不思議に思ったが、マルクはそれについては説明しなかった。代わりに、
「悪いが、俺はそろそろ上がらせてもらうぞ」
空を見上げながらそう言った。
「え?」
「そろそろ騎士団の方に戻らなくてはな」
言われて見れば、確かに太陽が少し動いている。木の根を切るのに思ったより時間が掛かってしまったようだ。
「わかりました。悪いだなんて、ぜんぜんそんなことないです。マルク様のおかげで助かりました」
「礼などいうな。俺はお前のために来た訳じゃないと言ったはずだぞ」
「そうでしたね。このお墓は、きっちり最後まで僕が堀りあげます。ご安心ください」
「よろしく頼む。……ああ、そうだ」
踵を返そうとしたマルクが、ふと立ち止まる。
「忘れるところだった。リタのことだが、明日の朝はそっちに行けないぞ」
「え?」
「儀式に向けて潔斎を行うとのことだ。誰かに代わりを頼むと言っていた」
「代わり……」
アゼルは少し憂鬱になった。一体誰が来るのだろうと。
ここの人々は年嵩のシスターから見習い修道女にいたるまで、ほとんど自分のことを疎んじている人間ばかりだ。
明日はきっと朝から嫌味の一つでも言われるに違いない。
だがそういう事情なら仕方がない。嫌味なんて慣れてるし、ワガママを言える立場でもない。
「わかりました」
「確かに伝えたぞ。じゃあな」
そう言うとマルクは手早く荷物をまとめ、早足で歩き去っていった。
アゼルは少し呆気にとられた。なんという鮮やかな撤収ぶりだろう。
見れば、マルクがここにいたという痕跡は彼が自分のために用意してくれた革の水筒だけしかない。
(まるで夢でも見てたみたいだ)
水筒がなければ本当にそう思えただろう。
そう考えると、なんだかおかしかった。
マルクが去り、アゼルは再び一人で作業を続けた。
だが、それほど焦る必要はない。木の根で時間を食ったものの、普段と比べればかなり作業は進んでいる。
この調子なら夕方までに問題なく終わるだろう。
そう思うと余裕ができ、雑念が浮かんできた。
思い浮かぶのはさっきマルクが口にした言葉。
『天使を喚べなかった聖女候補が、還俗して市井に戻った例もある』
マルクは確かにそう言っていた。
(じゃあ、リタも?)
ついそんなことを考えてしまう。
マルクの生家であるヘルブラント家はリタが聖女候補だから息子と婚約させた。
それは別にリタが真の聖女になることを期待している訳ではなく、天使持ちとして教会で高い地位を得ることを見越してのことだろう。
しかし、だとしたら。
リタがアスタルテーどころか何の天使も喚ぶことができなかったとしたら?
そして、還俗するとしたら……。
その場合、二人の婚約はどうなるのだろう?
ヘルブラント家の狙いが教会との関係を深めることなのだとしたら、その場合は……。
(いけない。余計なこと考えちゃ)
余計なことどころの話ではない。良くないことだ。
二人の婚約が破綻することを望むなんて、我ながらどうかしている。
(……でも)
いけないと思いつつも、思考はどうしてもそちらに向かってしまう。
マルクはまさにそのことを言おうとしていたんじゃないか?と。
彼のあの時の口振りを思い出すと、どうしてもそう思えてしまうのだ。
(だとしたらマルク様は……)




