第10話 三神教と天使について
「そんな、大袈裟ですよ」
「大袈裟なものか」
アゼルは笑ったが、マルクは笑わなかった。
「三神教は人類全体の繁栄と共存を謳っている。ご立派なお題目だが、しかし実態は大きく異なる。数が多い人族ばかりを優遇し、多種族のことは蔑ろにしている。その中でも、特に冷遇されているのは亜人だ」
マルクは大きく息を吐いた。内心の憤りを鎮めるように。
「この修道院でも亜人への差別意識が未だに根強い。リタはそれを変えようと頑張っていたが、それでも考えを改めさせることはできなかった」
「……」
アゼルは黙り込んだ。マルクの言うことは否定できない事実だった。
リタの口利きでこの修道院で働き始めてから一年。自分の待遇改善のために、リタがどれだけ骨折ってくれたかは聞かずとも窺い知っている。
しかし、残念ながらリタの尽力は芳しい成果を上げたとは言えなかった。
「慣例だから」「伝統だから」という理由で、その都度跳ね返されてしまったのだ。
その度にリタはしょげ返り、申し訳なさそうな顔をしていた。
アゼルにとってはむしろその方が辛い。
「聖女候補であるリタが変えられないんですから、それだけ根深い問題なんですね……」
「そうだな。その認識はもちろん間違っていないが」
「?」
「そもそも聖女候補にはそれほど権威がないんだ」
「えっ。そうなんですか?」
思わず大きな声が出てしまった。それほど意外だったのだ。
「でも、聖女候補は世界中の人達が待ち望んでいる存在なんですよね?」
リタが聖女候補に選ばれた時の街のお祭り騒ぎは今でもよく覚えている。それは貧民街を這いずっていた自分の耳にも届くほどで、街中の人々が浮かれていたのは強く印象に残っていた。
「その通りだ。悪魔の脅威にさらされる人類にとって、聖女こそが唯一それを打ち破る希望だからな」
マルクが淡々と同意する。
「だがその一方、これまで多くの聖女候補が本物の聖女になれなかったのも事実だ。千年もそれが続けば、人々の期待感が弱まってしまうのも致し方ないことだろう。どうせ、また……とな」
「それは、まあ……」
確かに期待を裏切られてばかりいては信じられなくなるのも無理はない。自分だって今の聖女候補がリタでなければ、きっとそう思っていただろう。
とはいえリタの友人としては面白い話ではない。
「そんな顔をするな」
その気持ちが顔に出ていたのだろう、マルクが取り成すように言った。
「それでも世間の人々は素朴に聖女の誕生を願っている。街の人々がリタを敬う気持ちは決して偽りなどではないだろう。……その点で言えば、教会関係者の方がむしろドライと言える」
「ドライ?」
「教会の人間にとって聖女候補というのは一時的な称号に過ぎないということだ」
マルクはそう言うと肩を竦めた。
「お前も知っているだろうが、聖女候補は教会への入信の際に発見されることが多い。入信時に行われる『宣霊』において、特別な徴が顕れた者が聖女候補と認定されるからだ」
アゼルは頷いた。熱心な信徒ではない自分でも、それぐらいはさすがに知っている。
三神教において正式な聖職者となるまでに経るべき儀式は3つある。
まずは『宣霊』。入信の際に行われる儀式で、在俗者が信仰の道に入ることを神々に向けて宣言する。
次いで『見神』。宣霊を終えた者が見習いの期間を経て、本格的に神の道を進む準備ができた時に受ける。
最後に『聖諦』。修練の時期を終え、一人前の神官になるために必要な課程を全て納めた者だけがこれを受けられる。
一人前の神官になるにはこの3つの儀式を修める必要がある。
そしてさらに、その上の高位聖職者を志す者はより高度な課程へと進むことになる。
このような階梯を順繰りに経ることによって信徒は神との絆を深めていくのだ。
ただ、聖女候補者の場合には儀式が持つ意味合いが通常とは少し異なっていた。
それぞれの儀式において聖女候補者は、聖女として神に認められたという特別な徴を顕さなければならないのだ。
宣霊の儀においてそれを顕した者はこれまでも多くいた。そのような彼女達は今のリタと同じく、『聖女候補』と呼ばれた。
だが歴代の聖女候補者のいずれも、次の見神の儀においては徴を示すことができなかったのだ。
先代聖女ロザーリア以来、千年間。ただの一人も……。
「宣霊を終えた者は通常3年の見習い期間を経て見神の儀に進むことを赦される。だがロザーリア以来、見神の儀で聖女の徴を示した者は表れていない。その場合、聖女候補の称号は剥奪される」
「……なるほど。それで《《一時的》》なんですね」
アゼルは思わず唸った。
聖女候補が尊い存在だとされているのは、「真に」尊い存在である聖女になる可能性を秘めているからだ。しかしその称号――いや可能性を失えば、もはや特別な存在ではなくなってしまう。
素朴に神を信じている一般信徒ならともかく、3年経てば「ただの人」となるかもしれない聖女候補の言うことなど、教会関係者はまともに聞いていられないということか。
「なんだかせちがらい話ですね」
「そうだな」
さすがにマルクも苦笑した。
「しかし聖女の徴を示すことはできずとも、多くの聖女候補は見神の儀において天使を降ろすことには成功している。それを思えばあまり蔑ろにもできないはずなんだがな」
「天使を……降ろす?」
「知らないのか。見神の儀は別名、『天使降臨の儀』とも言われているんだ。儀式の最中に稀に参列者の下に天使が降臨するからだ」
「そうなんですか……」
天使のことは聞いたことがあった。教会には聖なる天使をその身に宿した、特別に尊い方々がおられるのだという話は。
この世界の全てがまだ悪魔の手に渡っていないのは、そのような奇跡の御業の賜物なのだと……。
そこまで考えた時、ふと気付いた。
「あの、マルク様」
「なんだ」
「それってなんだか、先ほど伺ったお話と……」
似ている、と言いかけてアゼルは口を噤んだ。天使と悪魔を同列にみなすような発言は不敬かもしれないと躊躇したのだ。
しかしそれは杞憂だった。マルクはあっさり頷いたのだ。
「お前が考えている通りだ。天使の降臨も悪魔の召喚も、どちらも同じ原理で起きる現象だ」
やはりそうか、とアゼルは思った。
「人間の魂が負の方向に振れれば魂の門は魔界に通じる。反対に、魂が正しい方向に振れれば門は天界へと通じる。その時に向こうにいる天使に気に入られれば、その天使をこちらの世界に喚ぶことができるんだ」
「なるほど……」
悪い人間の心は魔界に繋がり、清らかな人間の心は天界に繋がる。実にわかりやすい。
「ただ、天使の降臨は悪魔を喚び出すよりもさらに稀有な事象だ。そこで儀式においては聖歌隊による聖唱や薫香、鳴り物などによって天使が降臨しやすいような神聖な『場』を整える。そうすることによって参列者が神懸かりになり、天界に繋がりやすい瞑想状態へと導くんだ」
「そっか。だから『見神』なんですね」
「そういうことだ。理屈では儀式なしに天使を喚ぶのは可能だが、それは本当にごく稀だとされている」
「天使が降臨されるということは、その人は天使様の御力が使えるということですか?」
「ああ。天使を降ろした人間は『天使持ち』と呼ばれ、その天使の力を行使することができる」
「知りませんでした。そのような尊い方々がこの世にいらっしゃるなんて」
「天使持ちは教会が厳重に管理しているからな。知らなくても無理はない」
そう言うとマルクは水を一口呑み、喉を湿らせた。




