第9話 昼食
「おい、そろそろ昼だ。休憩にしよう」
「え?」
マルクの声に顔を上げる。
気付けば太陽は真上近くまできている。確かに普通なら昼飯時だというところだろう。
昼食の習慣のないアゼルにはその発想がなかったのだ。
「でも」
「ペースとしては十分だろう。それともこれではまだ不足か?」
アゼルは自分たちが掘っていた穴を見た。進み具合は6割ほどといったところか。
普段のペースからは考えられない速さである。夕方までに終わらせるとしても、十分に間に合う。
「いえ、十分すぎます。本当にマルク様のおかげです」
「お前のためじゃないと言ったはずだ。……それより、余裕があるなら休憩だ」
返事を待たずマルクはスコップを穴の底に残し、地上に上がった。
「お前も休め。俺が飯を食っている間に土を掘る音がしたら気が休まらん」
マルクはニワトコの木陰に入った。自分と同じく、そこに荷物を置いてあるのだろう。
土で汚れた手袋を外しながら付け加えた。
「それに土埃が立つ。だからこれは命令だ」
「はい」
まったくもってその通りだったので、アゼルは苦笑を浮かべて穴から出た。
服に付いた土を叩いていると、何かが足元に放り投げられた。
革袋だ。
持ち上げるとたぷんと揺れた。水が入っているのだ。
「それで手を洗い、少し飲め」
「え?ですが、これはマルク様の」
「俺の分は別に用意している。それはお前の分だ」
確かにマルクの手元にも同じ革袋があった。
「持って帰るのも面倒だからお前が使え。返す必要もない」
アゼルは少し逡巡した。この好意に甘えてもよいのだろうか?と。
マルクとは今まで会話したことが殆どなかった。だから今までは寡黙な彼が何を考えているかわからなかったし、どんな人間なのかまるで知らなかった。
だが、今日になって彼の人となりを知ることができた。リタが気を許すのだから悪い人間ではないのだろうとは思っていたが、それが裏づけされたという思いだ。
ただ、それでも彼と自分とでは身分があまりに違い過ぎる。
それを忘れて、距離を詰めすぎてもいいのだろうか……。
などと躊躇っている時だった。
「手は洗ったか?ならこっちに来い」
「え?あ、はい。……いえ、ちょっと待ってください。いま洗います」
「さっさとしろ」
「はい!」
迷っているヒマもない。言われた通りにするしかなかった。
水で手を洗い、それから口を付ける。水はお世辞にも冷えているとは言えなかったが、それでも疲れきった体に浸み渡るようだった。
活力が湧いてくる気がして、思わずゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ。
マルクがその様子をじっと眺めていることにも気付かぬほどに……。
「ありがとうございます、マルク様」
「水くらいで礼を言うな」
あいかわらずぶっきらぼうな返事だった。が、アゼルにはもう気にならない。
彼にもらった水のおかげで、大袈裟でなく生き返った心地だった。
水はまだたっぷりと残っている。これさえあれば目を回さずに、最後まで仕事を続けることができるだろう。
「おい、早く取れ」
「え?」
マルクの声に顔を上げると、何やら手に持った物を差し出している。
……パンだ。
分厚い肉とチーズ、野菜などがたっぷり挟まったパンを、自分に渡そうとしているのだ。
「え?いえ、受け取れません。それはマルク様のでしょう?」
パンには半分に割った跡がある。マルクが手で割ったのだろう。
残りの半分は彼の膝の上に広げられた手巾に乗っていた。
「これは一人で食うには少し大きい。だから黙って受け取れ」
「ですが……」
「……お前はまた勘違いをしているな」
マルクはそう言うと一つ大きな溜め息を吐いた。
そして言った。
「言っておくが、これは施しじゃない。『差し入れ』だ」
「……差し入れ?」
「そうだ。俺とお前は今、同じ仕事をしている。いわば仕事仲間だ。仕事仲間に差し入れをするのはそんなにおかしなことか?」
「……いえ」
「なら黙って受け取れ。仕事仲間からの差し入れを受け取らなければカドが立つというものだ。仕事を円滑に進めるためにも、仲間と交流するのは必要なことだ」
「……その通りですね。いただきます」
「ああ」
辛抱強く差し出してくれていたパンを受け取る。
受け取る時、自然と笑みが零れた。
「なにがおかしい」
「いえ。ありがとうございます、マルク様」
「いちいち礼を言うな」
ぶっきら棒に言うと、マルクは横を向いてしまった。
アゼルはマルクという男のことをさらに好きになった。
感謝しながらかぶりつく。
「……!」
目が回るほどに、それは旨かった。パンに挟まれた分厚い肉は、柔らかいのにこれでもかと噛み応えがあった。
こんなに美味い肉を食べたのは生まれて初めてだった。
舌、喉、それに胃。何より、身体がそれを喜んでいるのがわかる。
しばらく夢中でむさぼっていたが、ほおばり過ぎて喉が詰まりそうになって慌てて水で流し込む。
(こんなご馳走を食べられるなんて……!)
感動の余り、思わず言った。
「とても美味しいです、マルク様!」
「そうか」
マルクが言葉少なに答える。
と、その口元が僅かに緩んだのがわかった。
アゼルはまた礼を言おうと思った。……が、「いちいち礼を言うな」と言われたばかりなのでさすがに思い留まる。
なにか別の話題の方がいいだろう。
そこで、午前の作業中に感じていたことを口にした。
「それにしても、マルク様は力がお強いですね」
「そうか?」
「はい。僕は穴堀りには慣れているつもりでしたが、マルク様の方が何倍も掘るのが速かったですし」
「何倍は言いすぎだ。まあ、俺も多少は慣れているからな」
「慣れてるって……穴堀りにですか?」
「訓練の一環で魔物の討伐に出張ることがある。先輩達が仕留めた魔物を、穴を掘って埋めるのも俺たち見習いの役目だ」
「なるほど」
道理で手慣れているはずだと、アゼルは妙に納得した。
「それに比べて僕はダメです」
「ダメ?」
「これでも毎日あれこれと力仕事をしているんです。それなのに全然腕が太くならない。マルク様のような筋肉なんて付かないですし、力はないし、すぐに疲れてしまうし……」
アゼルは自嘲気味に笑った。
「亜人は人族より身体が強いといいますが、僕には当てはまらないみたいです」
「……」
マルクはそれを黙って聞いていたが、聞き終えるとポツリと言った。
「それはお前のせいじゃない」
「え?」
「筋肉は運動していれば付くというものではないんだ」
「……そうなんですか?」
「筋肉を形づくる元になるものが必要だ。要は、栄養だな。食べなければ筋肉はつかない」
「……!」
アゼルは息を呑んだ。初めて聞く話だった。
「騎士団の訓練では食べることも訓練の内だとよく言われる。摂った栄養が訓練で傷めた筋肉を修復し、それにより筋肉が大きくなるからだ。逆に、ろくな栄養も摂らずに運動していたら痩せ細っていくばかりだ。身体を動かすために必要なエネルギーを補うために、筋肉を分解して消費しまうからな」
「あ……!」
思わず自分の身体を見下ろした。毎日酷使しているのに一向に太くならない、骨と皮ばかりのみっともない自分の身体を。
それは自分が劣っているせいだと思っていた。でも、そうではなかったのか?
マルクはさらに続けた。
「それにすぐバテる。身体にエネルギーを貯えていないんだから当然だな。お前には圧倒的に栄養が足りていないんだ。それでもなんとか働けているのは、それこそ身体が丈夫な亜人だからだろう」
「……」
アゼルは言葉を失くした。思い当たることが多すぎたのだ。
確かに自分はすぐヘバってしまう。おまけに力もない。それでヌートによく打たれる。
マルクは持っていたパンを膝の手巾の上に置いた。
「お前が十分な食事を与えられていないのは、教会の体質に問題があるからだ。言ってみれば教会全体の罪だ」




