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【完結】アゼルとゼラ(或いはリタ)  作者: 塵野オコ
第四章 「その日」
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第100話 結末③

「――っ!」


 リタが息を呑む。



 ゼルペンティーナは、少し驚いたようだった。一瞬だけ目を見開く。

 しかしすぐに瞼を閉じ、アゼルの背に腕を回した。


 まるで、本当の恋人のように。



 ――その抱擁と、口付けを。



「……っ!」


 ヴェロニカは、目を逸らさずに凝視していた。鬼気迫る形相を浮かべ、目を炯々と血走らせ、血が滲むほどに強く唇を噛み締めながらも、屈辱を胸に刻みつけるように瞬きもせずに凝視し続けていた。


「…………」


 マルクは、気まずげに視線を逸らした。そして額に手を当て、苦悩の色をありありとその顔に浮かべると、二、三度大きく首を横に振った。



 そして、リタは。



「――――」


 リタは最初、何の反応も示さなかった。


 表情をほとんど変えず、目だけを大きく見開いて、自分の幼馴染が見知らぬ悪魔と口付けを交わす姿を、ただただ呆けたように眺めていた。

 目の前で起きていることが何なのか、わかっていないというように。


 やがて、ようやくその瞳に理解の色が生じ――。


 目にしている光景が現実で、夢でも幻でもないと悟った時。彼女は――。



「――――……っ」

 


 ただ一筋の、涙を流した。




「……これでわかったか」


 長い口付けを終え、アゼルが振り向く。


 リタはその顔を、なぜか直視することができなかった。


 無意識に目を逸らす。


 ……と、女悪魔の顔が目に入った。


 キスを終えたゼルペンティーナがこれ見よがしに舌舐めずりし、明らかに自分を見ながら薄く嗤ったその顔が、リタの脳裏に深く刻み込まれた。


 その唇が、濡れているのを見た時。


 心が――ざわついた。



「……殺してやる」



 リタの肩がビクリと震える。


 しかし、それを口にしたのは彼女ではない。


「……っ!」


 ヴェロニカだった。幽鬼じみた形相を浮かべたヴェロニカが、殺気すら籠もった視線でゼルペンティーナを――そして、アゼルを睨みつけていた。


「私はあんたたちを許さない。絶対にクラリモンド様の仇を取る」


 アゼルは彼女と目を合わさなかった。


 一方のゼルペンティーナはニヤニヤと、挑発するような笑みを浮かべて彼女を見返した。


 それを見たヴェロニカの眼がますます吊り上がる。


「私は絶対にあんたたちを殺す! 首を洗って待ってなさい、アゼル! ……ゼラァァ!!」


「あらぁ! いいじゃない、それ!」


 ゼルペンティーナが場違いな華やいだ声を上げる。


「はぁ!?」


 いきり立つヴェロニカをまったく無視し、ゼルペンティーナはアゼルに向かって言った。


「ア(・)ゼ(・)ル(・)と(・)ゼ(・)ラ(・)! なんだかいい響きじゃない。ねえ、私たちこれからそう名乗りましょうよ!」


「好きにしろ。呼び名なんてどうだっていい」


「馬鹿にして……!」


 ヴェロニカが歯軋りする。悔しさのあまりか、彼女は目尻に涙を浮かべていた。


「そうやって余裕ぶってなさい。……私は必ず強くなる。強くなって、あんたたちを地面に這い蹲らせてやる。いいえ、八つ裂きにしてばら撒いてやる!」


「それは楽しみね。せいぜい頑張りなさいな、お嬢ちゃん」


 ヴェロニカの相手をゼルペンティーナに任せ、アゼルは踵を返そうとした。


 ……と。


「アゼル」


 呼び止められ、足を止める。


 振り向くと、リタが自分を見ていた。


 リタはこれまでに見たことのない憔悴した顔を浮かべていた。


「アゼル……行ってしまうの? 本当に行ってしまうの?」


 ポロッと涙を零し、縋るようにリタは言った。


「私を置いて、行ってしまうの?」


「……そうだ。俺はお前を置いて行く」


 彼女に向き直り、アゼルははっきりと告げた。


「俺は、翼を手に入れた。何にも囚われることなく、自由にどこへでも行ける翼を」


 マルクが羨むような顔を浮かべる。


「それに俺は、力を手に入れた。他者の願いを撥ね退け、それを踏み躙る力を」


 ヴェロニカが歯を食い縛る。憎悪に燃える眼でアゼルを睨む。


「そして……俺は、女を手に入れた。何でも俺の思い通りになる、理想の女を」


 ゼルペンティーナを引き寄せ、見せ付けるようにその腰を抱きながら、リタに冷たい目を向ける。



「お前はもう、いらない」



「――っ!」


 リタは殴られたようによろめいた。


 膝からガクリと力が抜ける。


 堪え切れずにその場に膝を着く。


 床に手を付くと、ひとりでに嗚咽が漏れた。


 幼馴染が何を言っているのか、リタにはわからなかった。


 そして、どうして自分がこんなにもショックを受けているのかも、彼女には何一つとしてわからなかった。


 ただ、身体に力が入らなかった。

 指一本動かせなかった。


 立ち上がることなんて、二度とできないのではないか――そう思えるほどに。


 後から後から、涙が溢れた。

 視界が滲んで、何も見えない。


 彼の姿が、もう見えない。

 声だって、出せない。


 今引き止めなければ、彼は行ってしまうのに。

 そして、もう二度と……逢えないかもしれないのに。


 何か言わなければいけない。

 なのに、喉が引き攣って、どうしても声が出せない。


 噎(むせ)び泣くことしかできない。

 しゃくり上げることしか、できない。



「みっともなく泣いちゃって、情けない子ねぇ。ホントにこんなのが聖女なの?」



 そんなリタを見下ろし、女悪魔が蔑みの言葉を放った。


 床に置いたリタの手が、ピクリと動く。


「ねぇ、もう行きましょうよ。こんな埃っぽいところウンザリだわ。おまけに辛気臭いったら」


 ゼルペンティーナはアゼルに擦り寄ると、当て付けるように甘ったるい声を上げた。


「そうだな」


「待て!」


 最後に呼び止めてきたのはマルクだった。


「行くなアゼル。ここに留まれ!」


 いつになく険しい表情を浮かべてアゼルを見据える。


「俺が全部なんとかしてやる! だから、ここに残れ!」


「その必要はない。自分の面倒ぐらい自分で看られる」


「そんなことを言ってるんじゃない! リタにはお前が……」


「マルク。お前はお前の役目を果たせ」


「……!」


 マルクがハッと息を呑む。


 それを見届けると、アゼルは改めて相棒に声を掛けた。


「ゼラ」


「はぁい」


 ゼルペンティーナがアゼルの背中に抱きつく。


 すると見る間にその姿は黒い靄へと変わり、アゼルの全身を少しずつ覆っていった。


「……っ」


 顔を上げたリタは息を呑んだ。


 同じ光景を、彼女は目にしたばかりだった。

 それはあのロミュオーという悪魔が、修道院長にとり憑いた時と同じ。



 悪魔が、人間を。悪魔憑きへと造り変えていく光景。



 アゼルの姿が。……大切な幼馴染の身体が、闇を思わせる黒い色へと染まってゆく。


 二人の身体が溶け合い、一つになってゆく。



 それはリタの目に酷く忌まわしい光景に映った。



「やめて……」


 それ以上見るのに堪えられず、俯く。

 溢れ出る涙をどうすることもできないまま、やっとのことで声を絞りだす。


「アゼルを……穢さないで……っ!」



「――勘違いするな」



 バサッという羽音が響き、リタは顔を上げた。


 黒い大きな翼を広げ、悪魔そのものの姿と化した幼馴染が宙に浮かび、冷たい目で自分を見下ろしていた。


 変わり果てた姿のアゼルは言った。



「俺はもう……穢れている」



 それが最後だった。アゼルはもう一度、今度は大きく翼をはばたかせると、彼らの手が届かない高さへと一気に飛翔した。


 そして天井の穴から外に飛び出すと、それきり二度と戻らなかった。

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― 新着の感想 ―
マルクとだけは意思が通じてる感じがいいなぁ。 それにしてもヴェロニカはなんでそこまでブチキレてるのか、いまいちわからん。 クラリモンドが自分を特別視していた事や想いがあった事を知ったにしても、アゼル…
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