第8話 秋月大地④
翌日は霧の深い朝だった。
三人で漆黒塗りの牛車に乗り込むとき、岬は感嘆の声をあげた。
「改めてみると、この牛車とても綺麗! 博物館で古い牛車が展示されているのは見たことがあるけれど、当時の、現役のものって、こんなに艶があるんだ」
「お褒めにあずかり光栄でおじゃる」
かわひらこは褒められて悪い気はしない様子。赤べえも嬉しそう。
「大きな赤べこくんも可愛いね。これからよろしく!」
自分の夫がある意味で行方不明という複雑な状況の岬だったが、未知との遭遇に心が浮き立つこともまた事実だったようだ。
一方で、こちらも複雑な状況である大地は顔が薄暗い。
岬とかわひらこが話している間、大地はマンションの駐車場に停まっている赤いRV車を眺めていた。
『こちらの世界の大地』の車だという。赤べえに少し似ている。
大地も車は持っていたが、それは二回りくらい下のランクの中古車だ。
「こっちの僕は給料高そうだな」
大地が赤い車をいつまでも眺めていると、向こうからかわひらこに「行くでおじゃるよ」と声を掛けられた。
真っ白な霧に包まれたな町の上空を、牛車は飛んだ。
遠くの高いところからこの時間帯に会津若松の町を見ると綺麗なものが見られる。会津盆地の底に溜まった霧。
町はまるで牛乳のような霧に浸されているが、外から見ると、上空には澄み切った青空が広がる。快晴なのだ。しかし、町に住むものからすると、「今日もなんにもみえないなー」となる。
「これって、深いところでこの町の人々の精神構造に影響を与えているような気がする」
霧が少しずつ晴れていく街並みを空から眺めながら大地がぼそぼそとつぶやいた。
岬の提案で、お城の近くの小山で、大地に『こっちの世界』を見せておくことにした。
今度は大地が声を張る番だった。
「なんじゃこれは!?」
遠足でこの山、小田山から見た景色を大地は良く覚えていた。そしていま彼の目の前に広がった、ぼんやりとした霧の中に浮かぶ景色は、その記憶とまるで違っていた。
呆然とする大地の横で、岬が彼の様子を伺っている。
「そんなに、似ても似つかないの?」
「うん、でも鶴ヶ城があるから、まあ同じ町なんだなって推測できる」
赤瓦に飾られた、美しい五層の天守閣がそびえていた。しかし周りを取り囲んでいるはずの大企業の支社や、電気量販店の入ったビル群はない。低い家屋のあいだにいくつか見える大きな建物はマンションが多かった。
「この山のふもとには、地下鉄の駅があってさ。大きな本屋があるからたまに来る」
「地下鉄ぅ?」
岬は何を言い出すのだこの馬鹿はというような顔で、夫にそっくりな男を見た。
「こっちにはないの?」
「ありますかそんなものが。普通の電車でさえ一時間に一本だというのに」
「それじゃ朝の通勤ラッシュも」
「二両しかない電車だから、朝、学生が座れない場合はあるそうだけど、それをラッシュと呼ぶのかどうか」
かみ合わない二人の会話。会津戦争を回避できた歴史の延長線上にある、繁栄した会津からきた大地と、戦争により一度破壊されたこの会津に住む岬。
高い木に囲まれて、ときどき鶯の声が響いていた。
少し離れたところに、ここが県の管理地であることを通告するくすんだ看板があるのが、大地の目に入った。
「岬」
「なあに?」
「君の住む場所の正確な住所を教えてくれないか。僕も自分の住所を言うからさ」
「……? いいわよ。ええとね『福島県会津若松市千石町』よ」
「そう。僕の住所はさ『会津県会津若松市河東区』だよ」
「なるほど……。たぶんね、わたしの世界であなたが言っているのに相当する東北地方の中心都市は、仙台だと思う」
「仙台、あんなプロ野球チームも無いようなところが?」
「あるでしょ」
「僕の世界にはないよ、会津にはあるけど」
霧がだいぶ晴れてきて、盆地の反対側の山並みがうっすらと浮かんできた。
「大地さん、岬さん、我々はこれから江戸時代末期の世界へ向かいます。そこは歴史の大きな分岐点。人の心の力が途方もない濃さで凝縮された場所。宇宙の崩壊と安定を司る場所。……そして松平容保公の元へと参ります」
かわひらこの言葉を聞いたとき、岬の肩がびくっと震えた。それに気づいたかわひらこは彼女を振り返る。
「どうしましたか岬さん。……まあ、確かに途方もない話ではありますが」
「えーと」
大地が口をはさんだ。
「その名前は聞いたことがあるような。僕の知っている岬は歴史が好きで、中でも最推しが確か……」
「容保さまに、会える……? このわたしが……? この人生において……?」
岬の顔は紅潮し、両手で口を押えてその場でぴょんこぴょんこしていた。
大地は彼女の様子を見て、何度目かのためいきをついた。
こうして彼らは19世紀の日本へ向かうことになった。
江戸上空に到着したとき、岬はかわひらこが止めるのも聞かずに牛車の簾を開いて外を見た。居ても立ってもいられないというふうに。
「これが江戸時代の風の匂い!」
彼女は視界いっぱいに広がる江戸の街並みを前に、興奮して叫んだのだった。
「やったー、嬉しい!」
***
「……とまあ、この時代にわたしたちがやってきたいきさつは、このような感じになるでおじゃる」
時空の川を征く牛車のなかで、岬とかわひらこは、容保にこれまでの経緯を話した。
「その秋月大地というものとわたしが力を合わせる必要があるということか?」
「そうなのです、容保さま」
実は容保に出会った時から内心お祭り騒ぎだった岬が答えた。
「で、その男はどこにいるのだ?」
「大地殿は江戸に置いてきたでおじゃる。彼は倒れちゃったのですよ、この時代に来て早々に。どうも時空移動に酔ったようです。普通はそんなことは起こらないのですが、時の迷子である大地殿は特殊な状態のようで」
「なんと」
次回第9話 江戸①
2026年6月10日更新予定




