第66話 未来
兎奇子は目を覚ました。
(ここは……どこや?)
知らない場所で、兎奇子は布団に寝かされていた。
動こうとすると、腹部を中心にたくさんの損傷があることに気づく。
そうだ自分は砲弾の爆発をまともに受け止めたのだった。兎奇子は思い出した。
「起きたか」
声のした方を見ると容保がいた。何冊かの本を整理している最中のようであった。日新館で見つけたものだろう。
容保は本から顔を上げて、兎奇子のほうを見た。
「朝ごはん、食べるか?」
「なんでやねん」
兎奇子はもっと大声を出したいところだったが、傷のせいで絞り出すような声しか出なかった。
「聖刀の力でそなたの治癒ができることは知っていた。だからわたしの『白虎』と姉上の『玄武』を使った」
「なぜ助けたんや?」
兎奇子はたずねた。自分は容保たちにとって敵である。助ける義理などないはず。
「やることなすことに理由がいちいち必要か? わたしはそう思わない」
容保が答えた。兎奇子は納得がいかず、彼を見つめ続ける。赤く光る兎奇子の眼は恐ろしくも美しく、そしてそこに憎悪以外のものもあることを容保は感じていた。
「すごく見るじゃないか。……そうだな、どうしても理由が欲しいのであれば、会津の流儀だ。古く伝わる『会津五流』の一つである溝口派一刀流の精神は、敵に改心する機会を一度だけ残す。一度は許し、再び襲ってくるなら切り捨てる。そしてわたしは古い流儀を守らなければ気の済まない頭の固い男。それで納得しろ」
兎奇子はうつむいて黙った。しばらくそのままで、やがて顔を上げた。
「うちは過去を取り戻したい。頼母じーさまのお父ちゃんの名前を、うちが未来に持って帰りたい」
「兎奇子、そなたわたしに仕えぬか?」
「は?」
兎奇子は目を見開いて容保を見た。
「アホなことをいうなや」
「変だろうか?」
「ありえへん」
「まあ……そなたにはそなたの考えがあるだろうし、いまも誰かに雇われているのだろうからな」
「それはそうや。でも……」
「でも?」
兎奇子は首を右に左にとひねって、なにやら考え込んでいるようだった。二つに結った長い銀の髪の毛がそのたびに揺れた。そして意を決したように容保を見た。
「雇われの身はもういいかなと思っていたんや。……けど、そうやな。あんたならいいかもな。容保はん、うちを家来にしてよ」
兎奇子は照れ臭そうに笑顔を見せた。
「大事にするよ」
「そんなん言わんといて。うち恥ずかしいわ」
そのとき、急に部屋の障子戸がピシャーンと勢いよく開き、跳ね返ってちょっと戻った。開けたのは照だった。
「牛乳と馬肉をもってきましたよ、お食べなさい兎奇子」
兎奇子は目の前に置かれた食べ物を眺めて、眉を少ししかめた。
「うちは人間の味覚とはちょっと違うんやけど、それでもこの食べ合わせってなんだかおかしくない?」
「傷の治りが早くなるのです。春英先生の見立てではあなたにも効用があるはず。文句を言わずに食べなさい」
「食べへんとは言ってない。組み合わせるなといっている。まあ、あんたは面白くないやろな。すまんな。うち容保はんからほぼ結婚を申し込まれたようなもんやからな」
「全然違いますよね? 立て兎奇子、表に出るがいい」
「落ち着いてください、姉上」
照と兎奇子のわちゃわちゃはそれからしばらく続いた。
容保がつかれた顔で縁側に出ると、そこに男が二人座っていた。医者の古川春英。そしてもう一人の目つきが鋭い男は新撰組の斎藤一。
「いろいろと世話になったな。春英」
「たいしたことはありません」
容保たちが身を隠したこの屋敷は、春英が何度か診療に訪れたことのある、まちはずれの商家だった。
遠くでは今日も大砲の音が響いている。
「春英が、新撰組の斎藤と知り合いだったとはな」
容保は、京で新撰組局長の近藤勇とは面識があった。そのころ斎藤と言葉を交わしたことはなかったが、その強さは近藤から伝え聞いていた。
「副長……土方さんが宇都宮での戦いのときに足を負傷して、治療をしてくれたのが古川先生だった」
斎藤が庭を眺めながら言った。
「そうであったか」
容保は斎藤の隣に腰かけた。
「義理堅い人だよ、斎藤さんは。わたしごときのために」
春英が薄く笑った。
斎藤は春英のほうを向いた。
「途中で、他の医者があんたに代わって土方さんの治療を受け持った。だが、あれは土方さんの意志ではない。あのひとはあんたの治療に文句はなかった。俺もあんたの治療を傍らでずっと見ていたが、なんの問題もなかった」
「それなのに担当を変えられたのか」
容保が問うと、斎藤の口調がすこしだけ強くなった。
「俺たち新撰組は京でそれなりに有名になった。その副長を治療したとなれば、医師としての箔がつくのだろう。やりたがる医師が何人かいたようだ。そして手柄を持っていった。いいか古川先生。もしかしたら変なうわさがあんたの耳に入るかもしれない。会津で最初に副長の手当てをした医者がとんだ藪医者で役立たずだったとか。でも全然そんなことはなかったからな」
「わかった、わかった」
春英がなだめると、斎藤は熱くなった自分を恥じるように目をそらした。
「新撰組は古川先生に失礼なことをしてしまった。借りがあるんだ。何かあったら手伝うつもりだった」
「いい用心棒だったよ。助かった」
春英が斎藤の肩をぽんぽんと叩いた。
そして古川春英は容保に声をかけた。
「お城の中に用があるんでしょ、もう一人の容保さま」
春英の言葉に、容保は静かにうなずいたのだった。




