第61話 夜の日新館へ
「あの日、日新館で治療を受けていた負傷者のうち、自分で動くことができるものたちは鶴ヶ城へ入りました」
古川春英は語り続けた。
数日前の8月23日、会津の武士階級に鶴ヶ城に入るよう命令が出た日。籠城戦の始まりの日のこと。
「動けない者は自らいのちを絶った」
空の荷車を押しながら、春英と三人の男たちが日新館に向かって進む。
彼らの目的はいったい何だろう?
男たちは大きな編み笠を深くかぶっていて顔が見えない。
話を聞きながら彼らのあとを歩く容保と照の表情は暗い。
春英はちらりとだけ二人の顔を見て、またすぐに前を向いた。
「日新館に残った遺体の回収は、するなと指示がありました。死んだ彼らは『足手まといになりたくない、他の者の仕事を増やしたくない』その思いから誇りをもって死を選んだ。であれば、彼らのために我らが労力を割くということは、その思いに背くことになる」
容保はそれを聞いて、沈痛な面持ちで、一度二度と小さくうなずいた。
「……非常時だ、その指示はありうることだ。そなたはやりきれないだろうがな」
「いえ、ご心配なく。遺体の回収はもう終わりましたから」
「何と?」
「容保さま、わたしは悪いけれど勝手に行動させてもらいましたよ。処罰したいのであればすればいい」
「いまここにいるわたしは、お前に罰を与える立場にない。しかし思い切ったことをしたものだな」
「わたしは身分の低い農民の出です。偉い人の理屈などわかりません。もちろん昼間はお城の中で医師としての任された任務を果たしました。夜は夜でなにやらいろいろと指示はされました。あの人たち、もともとわたしのことなど眼中になかったくせに、今度は細かく人の行動を管理しようとするのがわずらわしい。しかしこうして勝手に動いていても、いまのところ気づいてもいないご様子」
春英は鼻で笑った。
容保はうつむいて、静かにつぶやいた。彼もまた笑みを浮かべる。
「わたしはお人好しだ。自分の部下を信じたくなってしまう」
「と、いいますと?」
「上の者はそなたのやっていることに気づいているよ。そのうえで目をつぶっている」
春英は容保のことをじっと見つめた。そして進むほうを向く
「そうでしょうかねえ。まあ、どちらでもいいですが」
容保はその様子を見て(こいつ大地に似てるなあ)と思った。
「古川春英、遺体がもうないのであれば、いまそなたは何のために日新館に向かっているのだ? どこに敵兵がいるかわからない。危険すぎるだろうに」
春英は容保の問いに答えない。
照が心配げに首をかしげる。
「これって、ついて行っても大丈夫なんですかねえ……?」
やがて日新館の入り口にたどり着いた。
「荷車はここに置いておきます」
容保と春英たちの前には大きな門があった。固く閉じられている。
「閉まっておるな」
容保がつぶやく。
編み笠をかぶった男のうちの一人が、外壁に沿って西へと駆けだした。
春英が門を見上げている。
「お城の東側ほどじゃないが、この辺にも大砲が何発か落ちた。爆発で向こうの壁が崩れていて、通れる」
門の向こう側で人の気配がした、さきほどの男がなかに入り込んだようだ。
重苦しい音を立てて門が開いた。
「南門は上級武士専用の門。ここで授業をしていたときは、この門をわたしがくぐるなんてとても許されなかった」
歩きながら春英がつぶやく。
二つ目の門をくぐって、その先の広い場所へ出た。
月の明かりで照らされた学校。
向こうにはこの学校の中心である大成殿が見える。そしてその手前に半円型の池。池の内側は広場になっていて、人が300人くらいは収まることができそうな広さだった。
春英が歩き出し、容保と照もついていく。
東西には二階建ての建物がある。半円型の池の周りを囲むように。
どの建物も燃えた形跡があり、焦げたにおいを強く感じる。
春英は池にかかった石橋を渡り、その先の広場の中央まで歩みを進めた。
「にぎやかだったんですよ、ここは」
春英はあたりを見回した。さきほどまでの不平を言っていたときとは変わって、彼は穏やかな目をしていた。
いまは人の気配がなく、虫の音が聞こえるばかり、しかし春英には会津の若者たちの姿が見えているようだった。
このとき、容保たちのことを上空から兎奇子が赤く冷たい目で見ていた。その傍らには寅太もいる。
兎奇子は寅太に語り掛ける。
「ん? 容保はんが本調子じゃないうちにやらないのかって? そやなあ……やってもいいけど、ちょっと様子を見た方がよさそうやなあ」
照姫を倒すことが兎奇子の目的。
「照姫の潜在能力はすさまじい。うちら二人でも勝てるとは限らん。それに……」
兎奇子は、春英のあとにつく荷車を押してきた男たちをじっと見ていた。
「あいつ……なに?」
そちらに気を取られていた兎奇子は突然視線を感じた。大きな黒蛇に睨まれたような気配。
照姫が上を向いていた。空高くにいる兎奇子を見ている。
「見つかってもうた」
兎奇子を見つめる照姫の視線はいつもの彼女とまるで違って、暗く冷たかった。
「うち、じいさまにまた会えるかなあ……」




