第60話 そういうとこだぞ
古川春英は、自分のことを覚えていないという容保に対して、仕方なしにという感じで言葉を続けた。荷車を押しながら。
「わたしは医者ですよ。鶴ヶ城のなかで負傷兵の治療にあたっています」
「医者か……」
容保は思い出そうとしたが、彼の名前にも顔にもやはり覚えがなかった。
「松本良順ならば、何度かわたしも世話になったが」
「そうですか。幕府お抱えの良順先生は、誰もが知る名医ですからな」
言いかたにトゲを感じる。何か彼の気に障っただろうか。
「それで、そなたらはどこへ向かうのだ?」
容保はたずねた。
「日新館に用事があります」
「日新館? 焼けてしまったと聞いたが」
「焼けてしまったというか……我々が焼きました。そうするしかなかった」
会津の武士が通った学校、それが日新館だ。
鶴ヶ城の西側に広大な敷地を持つ学校は、西軍が会津若松城下に侵攻した日に焼失している。
春英の言う通り、会津の者たちの手によって焼かれた。お城のすぐそばにあった日新館は敵の拠点となってしまう可能性があったからだ。
容保はそのことを西郷頼母から聞いていた。
彼が明治時代に飛ばされてしまったときに出会った、未来の頼母に。
「すっかり焼けましたよ。人もたくさん亡くなった。……ところで、あなたがたどこまでついてくるおつもりで?」
話の途中で振り返った春英は、容保の横を歩く照の姿に気づいた。
「ありゃまあ、照姫様まで。お久しぶりでございます」
「……あなたは、わたしのことも知ってるのですね」
彼女もやはり春英に見覚えがない。
春英は照の様子を見て首を傾げた。
「ん……? なんだかおかしいな。容保さまはともかく、照姫さまがわたしを忘れるのはちょっと考えづらい。もしかしてあなたがたはニセモノか?」
ある意味、春英の推測は当たっていた。ここにいる容保と照は『この世界の』二人ではない。
「偽者と言われれば、そうかもしれない」
容保は答えた。
「信じてはもらえぬだろうが、わたしたちは別の世界からやってきた。もう少し正確に言えば、数か月前の世界から。だから、もしわたしたちがそなたを見知ったのがここ最近のことだとすると、その記憶がわたしたちにはない」
「ん-?」
春英の頭の中では容保の言葉がぐるぐると回っているようだった。
「……まあ、わかりました」
「わかったのか。そなた凄いな」
「わからないということがわかりました。これ以上は考えるだけ無駄です。わたしのやることを邪魔しないというのであれば、あなたがたが本物だろうが別の世界から来たのであろうが、わたしにとってさほど優先順位の高い事柄ではない。急いでおるでな」
「なるほど」
学者らしい割り切った物言い。なかなか興味深い男のようだ。
日新館に近づき、焦げたにおいを感じるようになってきた。春英は何か考え事をしているような顔で荷車を押し続ける。
「日新館はなかなかよい学校でした。わたしはここで蘭学を受け持っていた」
「わたしも若者たちが励むようすを視察に来たことがあったよ」
容保は平和だった日のことを思い出す。日新館には水練水馬池という大きな池があって、そこでの水泳の授業を視察したことがあった。
「この8月に入ると、日新館は授業どころではなくなった」
「戦局が悪化したのだな……」
「ええ、各地から運ばれてくる負傷者がどんどん増えて、施設に収まり切れなくなりましてな、日新館も病院として使わざるを得なかった」
「そしてそなたも日新館での医療活動に参加したのか」
「それがねえ」
春英は立ち止まり、振り返った。
「参加できなかったんですよ」
「どうして」
「だって呼ばれませんでしたから」
この時期の医療活動は、江戸から会津までやって来た医師松本良順が中心となった。
状況は苦しいものだった。すべてが足りない。薬も、器具も、そして人も。
それでも良順は自分にできる最善を尽くそうとした。
日新館に足を踏み入れた良順は負傷者にあふれた現場であたりを見回して、会津の役人に尋ねた。
人手が足りないという割に、会津の医師古川春英がいないではないか。どこにいった。
役人は答えた。
あのものは郭内での医療行為には参加できません。
どうして。あいつは腕がいいぞ。春英は長崎や大坂で学んだ男、昔から知っている。
彼は身分の低い生まれだからです。
その答えを聞いて、良順は深い深いため息をついた。そして怒鳴った。
「お前らそういうとこだぞ」
役人たちは良順にすごく怒られて、ようやく春英を呼び寄せた。
「まあ、人を馬鹿にしたはなしですよね」
容保はそれを聞いて、ようやく春英の自分に対する態度の理由を悟った。
「それは……気分を害しただろうな」
「来たからには精一杯やりましたけどね。そして日新館で治療に当たっていたときに照姫さまともお会いした。この世界でのあなたは看護活動を積極的に手伝ってくれた」
「おや、そうでしたか」
「こっちの照姫さまはわたしをよく覚えているはずですよ」
「それはどうして?」
照の言葉に春英の仏頂面が少し緩んだ。
「わたしは鶏肉だと嘘ついてあなたに馬の肉を食べさせてみた。栄養があってケガの直りが早まるんですよ、馬肉。あなたに本当のことを言ったらじだばたしていましたね。『おいしいけども、おいしいけども!』と言って。あれは愉快だった」
「何してくれてんですか、あなたは」




